株式会社落雷抑制システムズ

雷ブログ

あまりに内向き過ぎる日本のマスコミとそれに踊らされる人々

平成30年 3月 30日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

それ見たことか! と思ったのは中国を訪れた金正日と習近平の会談です。 中国はこれを報告しに韓国に特使を派遣しますが、日本はカヤの外です。 世界はめまぐるしく動いているのに日本の国会では、モリだカケだ、内向きの事しか話題になりません。 しかし、そのような内向きのことなど、どうでもよいのです。

どうでも良いというのは、もちろん、悪いことをしても良いというのではなく、政治、国会議員が騒ぐ問題ではないということで、検察が動いているものを、国会議員が「検察ゴッコ」などしなくてよいということです。 マスコミは、万人受けを狙って報道しますから。アホな国民とアホなマスコミが、小さなことで国会を揺らし続ける間に世界の情勢に取り残されるということです。

 残念ながら、我々は有限な時間の中で生きているので、全ての事柄を同じような重みで取り扱うことはできず、優先度に従って取扱うしかありません。森友問題など国家予算との対比でいえば、98万円の中の8円の問題ですから一年もかけて騒ぐべき問題ではないのです。 TV中毒になってしまった国民は、マスコミの報道の大きさで、物事を判断し、マスコミも視聴率を稼げそうな面白おかしな話題を好みます。

 TVなど消し、日本に必要なものは何かを静かに考えれば、日本の国のためと言いながら、実はなんの役にも立っていない事にあまりに時間をかけすぎなのです。島国の中での平和ボケと結論するのは簡単ですが、大人までが幼少化してしまった文化が世界の中でやっていけるのでしょうか? ジジイとしては、あまりに内向きになってしまった日本の世論が心配でなりません。 世界と伍してやっていくという気概のみじんも感じられず、日本はどこまで落ち込んでしまうのでしょう。 それを国会議員の方々が先導しているのですから情けない話です。

盛岡での食事

平成30年 3月 29日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

盛岡に行きました。 盛岡と言えば、冷麺、じゃじゃ麺、わんこそばですが、このうちのどれを食べるべきか、タクシーの運転手さんに地元での評判を聞いてみました。 私よりも先輩の運転手さんでした。

「お客さん、出張で一人なら、わんこそばを一人で食べるのは寂しいよ。 あれは大勢で言って、みんなの声援を受け、その勢いで100杯くらいは食べるんだけど、噛みもしないで呑み込むだけで、味わってはいられないし、まあ、50代までだね。 喉に詰まらせて窒息しないようにしてくださいよ。」とのことでした。  

その御忠告に従い、わんこ蕎麦の専門店ではなく、駅ビルの中の美味しそうなお蕎麦屋さんでわんこ蕎麦を注文すると、最初からお蕎麦は5皿だけで、5皿分の薬味、テンプラが一緒についてきて、美味しいお蕎麦でした。 

出張に行く時に訪問先のお客様の事より、ご当地の美味しいものは何かに注意が向いてしまい、以前は「一泊1kg」の法則なるものを経験しまして、これは出張で一泊すると体重が1㎏増加するという法則ですが、最近は日帰が多いのですが、行きの新幹線に乗った段階で駅弁が食べたくなり、ご当地での昼食、帰りの新幹線も無事に仕事が終わった安堵感で昼間からビールとおつまみとなり、宿泊しなくても1kgの体重増加になりそうで、これは労働災害とも言うべき事態です。

仕事で行っているのか、食べに行っているのか、緊張感のないダラケタ出張で、それで仕事になるのか? といえば、最近は「連戦連勝」訪問する先々で簡単に決まります。 9年の実績で、効果が見えてきていますから、最初の頃よりは営業ははるかに楽になりました。 しかし、「勝って兜の緒を締めよ」、「油断大敵」、おごることなく努力せねばなりません。  

盛岡、美味しそうなものは他にもたくさんありました。 近いうちにまた行きたい所の一つになりました。 


野党無用論

平成30年 3月 28日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

国会で与党自民党への反対勢力としての野党ですが、憲法、外交、労働問題、日本には問題が山積しているのに、森友/加計問題でばかり「検察ゴッコ」をしているだけで何の役にも立っていないように見えます。。検察が既に動いている問題を「証人喚問」だなどと偉そうに呼び出しても、結局、大した追及もできずに、マスコミと一緒になって、安倍さんの足を引っ張ることしかできない野党は無用です。 100万円の札束を白紙で作ってくるような大ウソつきにワザワザ話を聞きに行くのは、アホの極みです。 総理大臣の発言とこの詐欺師の発言を同じ重みで受け取る方がおかしいのです。

高い人件費をかけながら、野党の皆様のしていることは、日本の政治を停滞させているだけの事です。 中国はと言えば、あんなに簡単に習近平の在任期間を延長するために憲法を改正してしまうのに、日本ではまだ、登山に例えれば、ふもとにさえ到達できていませんし、この森友の問題が解決しなければ、憲法改定の審議にさえ応じられないなどと言っている野党の存在は何なのでしょう? あれで、正義のヒーロとでも思っているのでしょうか? 日本の政治を停滞させるために、外国勢力からサポートでも受けているのでしょうか?

「忖度」というのも、当たり前の事ですし、しかもそれは相手のすることで自分のしたことではありません。政治家が口利きをするのも当たり前の事です。それが大事なお仕事です。 こういう当たり前の事を悪い事のように仕立ててしまうマスコミとそれにのってしまう、国民がアホなのです。 

桜木町の駅にある蕎麦屋さんですが、その昔、伊藤博文により駅構内での蕎麦屋開業のお許しを頂いたとの歴史が店内に紹介されています。 これもアホな野党がいたら、何故、総理大臣が駅ソバの開業にまで口を出すのかと騒いだことでしょう。 総理大臣のすることに、少しくらいは幅を持たせてあげても良いではありませんか。。  品川駅の駅ソバもやはり、明治の頃の大物政治家の口利きによるものだそうです。 これが、100年以上も続けば、どちらも歴史に残る駅ソバで、通勤客への貢献は計り知れません。

国会議員の先生は駅ソバなど食べないでしょうが、幾ら何でも今さら伊藤博文を証人喚問にと言い出すことはないでしょうが。。

自民の憲法改革案にガッカリ

平成30年 3月 27日
こんにちは。  落雷抑制の松本です。

軍隊を持たない事と交戦権を明確に否定している、第9条第2項をそのままに、何を加えようとも見苦しい論理をまとったゴテゴテ憲法になってしまうのに、賛同をとるのが難しい「改憲」ではなくて、追加(加憲)であって改憲ではないと目先をゴマカス姿勢がアリアリの案にはガッカリです。

それも、議論が紛糾すると立った一人に「一任」するとは、何処まで憲法をいい加減に扱おうとしているのか、「朝まで生議論」で三日三晩トコトン、公開の場で議論すべきです。 議論を深めての対立を回避するために議論を避けるというのは議論の仕方を知らないからです。「罪を憎んで人を憎まず」のように、あくまでも「論」と「論」を闘わせるべきなのに、その「論」を発する「人格」にまで及んで、「人」と「人」の対立になってしまう。。それを回避するために深い議論は行わない。 これではまともな議論ができません。 政治の場なのですから、トコトン、議論で勝負を決めて欲しいものです。 

第2項で否定しているものを第3項として加えるという、それも「最小限」などと言うあいまいな言葉で定義する位であれば、このようないい加減な改定などしないで国民のレベルがもう少し改善するまで待った方が良いのかもしれません。 この憲法改正に反対するとは、アホの極み、日本の恥なのです。 

自衛隊の必要性については、誰でも認めるハズです。 これを認めないというのは、外国勢力の手先となった反日日本人だけです。 その自衛隊を認めない憲法など、改訂するのが当然です。 このような当たり前の事を反対するのは、アホとしか言いようがありませんが、しかし、それが多数を占めているのであれば仕方ありません。

憲法改正は、外国軍隊に押し付けられた憲法を、日本発のものに戻すという大きな目標があったハズなのですが、いつのまにか第9条の2項の問題だけに絞られ矮小化されてしまったようです。国の在り方として、本当に軍隊を持たない方が良いのか? 天皇制を維持していくには皇室典範の事もありますし、憲法の問題は、現在生きている日本人だけの話しではなく、歴史的に過去から引き継いで、未来に引き継ぐ責任があるのです。 2600年以上続いている日本を将来の子孫に残すためにどうするのか、もっと大きく、高い視点で考えねばならないことです。 

第3項を付け加えるだけであれば、簡単そうだからと言うような小さなことではないハズであるのに、これだけで済まそうとするのは、安倍さんも小さくなってしまったものです。 残念!

トランプ大統領の貿易戦争

平成30年 3月 26日
こんにちは。  落雷抑制の松本です。

トランプ大統領の貿易制裁については、トランプ大統領は現状を理解していない、もっと勉強して現実を知れと言う意見はたくさんあります。 確かに、私もピント外れとは思いますが、これはトランプさんだけではありません。 世の中は、誤解、曲解、無理解を頂点とする三角舞台で演じられる喜劇なのです。 皆、この舞台で踊る役者ですが、私の意識の半分は傍観者、というか観客です。 真面目な顔で、トランプ大統領に「もっと勉強しろ」などと言う方が間違いなのです。トランプ大統領に、もっと勉強しろと言ったところで、トランプ大統領に勉強させることなどできないのです。 できもしないことを偉そうに語っても意味がありません。

全ての決定には、判断に多少の間違いが含まれていて、その間違いと言うのも、自分の立場がどこにあるかによっても異なります。 米国大統領であれ、日本の内閣総理大臣であれ、周りに優秀なブレーンがいながらも、その判断など、どこから見るかで評価は異なります。 数学の答えではないのですから、ただ一つの正解がある訳でもなく、自分が思っている正解を振りかざして、相手が間違っているというのは簡単なのですが、誰にでも「3分の理あり」で、世の中の判断は、100%の間違いも100%の正解もない。  と言う位に思っておいた方が良いのです。

資源は有限であるが、人間の欲望は無限であり、所詮、力関係の世の中なのです。 その力関係のルールの上での「正義ごっこ」なのであって、如何に自分が正しくて、相手が悪いという屁理屈の付け合いなのですから、クソ真面目にトランプさんをけなす方も「もう少し、大人になったら?」と言う感じです。  いつまでも、森友学園の事を騒いでいる野党の皆様も同じく、検察ごっこなどをしているのは時間の無駄です。 検察が動いていることを一緒になって騒いでいないで、すこしの不正は「損切り」して、もっと大きなことに取り組んでいただきたいものです。 自分は正義の味方であると、正義を振りかざす。。こういう連中が一番怪しいのです。


日本は既に「核大国」

平成30年 3月 23日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

近隣諸国と常にバランスの取れた軍備を整えることは、相手におかしな野望を抱かせないために必要です。 中国、北朝鮮と言う核保有国が、核を背景に日本を恫喝してくることもあり得ます。 そんな時に、日本には核爆弾はありませんが、これにに匹敵する「核」が既にあります。 プルトニウムです。 原発から生成された「核廃棄物」と言えば、後始末に困る「廃棄物」なのですが、吸引すると発ガン性が高く、その効果が長年にわたるということは、兵器としてこのままでも十分に価値があるという事です。

既に、運搬方法としてのロケット技術は、日本にはありますから、このプルトニウムの粉末を敵国の頭上でまき散らしてあげれば、核爆弾を爆発させることなく、核爆発と同じような人的被害で出て、これを除去することは非常に困難ですから、日本に核攻撃を仕掛けることがないように、核攻撃を受ければ、プルトニウムによる反撃を行うと公言しておくことです。 プルトニウム汚染された土地は長年使用できないでしょうから、これは領土拡大のために用いることは出来なく、あくまでも報復処置であり、攻撃的兵器ではなく、報復的兵器で日本にはピッタリです。

プルトニウムは、厳格に管理されていますから、そのような用途には使用できないのが現状ですが、現在、大量のプルトニウムを抱えています。 これら、「ゴミ」ではなくて「資源」なのです。 プルトニウムを核爆弾へと転用するには時間がかかりますが、生のプルトニウムをそのまま使うのでしたら、日本には大量のプルトニウムがありますから、日本は既に「核大国」なのです。 熱核反応ばかりが核爆弾ではありません。 「生」のプルトニウムでも立派な「核爆弾」になります。

原発は電気のみならず、この貴重な資源を生み出してくれます。 また、金をかけずに核兵器に転用できるのですから、北朝鮮や中国の核兵器を恐れる必要もありません。「生プルトニウム爆弾」を早期に実戦配備して、中国、北朝鮮に対抗すべきです。 

人が殺し合いの準備をするというのは、愚かなことなのですが仕方ないのです。 アフリカの草原で、毎日行われている食物連鎖をみて、残酷だと良い子ぶっても仕方ありません。 我々も、毎日のように肉を食して生活しています。国際関係の中で対立する国があることは仕方ない事です。 その対立を戦争へと進まないようにするには、相手に「報復措置への恐怖心」を持たせるしかありません。 日本をどのように護るか、これを考えるのは国民の義務のようなものです。 この方法、多少、卑劣かとも思いますが、国を守る手段にタブーなどありません。 何でもありです。 平和ボケの国民には少し刺激が強すぎる話で、ブーイングものでしょうが、対話、話し合い、などで問題が解決がしないことは世界中で続いている戦争、紛争が証明しています。

AI vs  教科書が読めない子どもたち  新井紀子  東洋経済新報社

平成30年 3月 22日
こんにちは。  落雷抑制の松本です。

「東ロボくん」と名付けた人工知能を東大に合格させるべく努力されてきたことで有名な新井先生は、人工知能の事ばかりでなく、大学生を相手に調査を行うと、数学ができないのではなく、数学自体の前に問題文を理解できないからであることに気が付かれたそうです。 日本人の一般的な英会話力のようなもので、話せないのではなくて、話す前に何を聞かれているのか理解できない。 これが、英語どころか、日本語の文章が理解できないという事です。 確かに日常会話のレベルであれば、会話は成立しているのですが、文字を読むのが苦手と言う人はいます。  苦手であっても正しく読めればいいのですが、読むのが苦手と言う位の人は必ずしも内容を正しく理解してはいないことがあります。

私のこのブログも、毎日楽しみにしてくれていると言う方がいる一方、「読むのが面倒」という方もいます。 この読むのが面倒と言う方は、読む時に声を上げて読むことがあり、読解力には不安があります。 ですから、これは大学生だけの話ではなくて、もっと幅広い世代を対象にしても同じように読解力不足の結果は出るかと思いますが、SNSのように、短い言葉でのコミュニケーション、YouTube その他のTV番組に見られるように、言語よりは映像によるコミュニケーションなど、読解力が不足していても日常生活に大きな支障をきたすことなく、本人も読解力不足に気が付かないままになっているケースも多々あるかと思われます。 昔はカルタ遊びなどで、短い言葉で言葉のリズムを遊びながら身に付けましたが、子供の頃からアクション主体のゲームで育ち、言語への依存性が低い社会となり、二極分化が進むことでしょう。

しかし、言葉は大事で、AIがより一層、日常生活の中で使用されることになると、AIに負けない言語能力が必要とされます。 いつも自分の上の方ばかり見る習性がついていて、AI については興味をもっていますが、子育てが終わった現在、子供たちの学力がこんなに危機的な状況にあるとはオドロキです。 大人は将来に残された時間が短いから良いのですが、先の長い子供たちが、自分の生い立ちなどで不利益を被るのは気の毒なことです。 「読み書きソロバン」と言う古い言葉ですが、昔から言われることには真理があります。 プログラミングであるとか、外国語などに飛びつく前に、日本語の読解力を涵養する事が大切なのです。 TVは見ているだけで情報がとびこみ、それで得られた知識で自分が物知りのような錯覚を覚える事が多いのですが、映像時代にあっても、自分で読解力を付けるために読書する重要性は無くなりません。 

AI に過大な期待も過剰な恐れも持つことなく、我々、人間側で学ぶべきことを見直すことの必要性を優しい語り口で説明し、「学び」の奥の深さを教えていただきました。 教育制度に期待をするより、学習の材料はいくらでも揃った時代ですから、自らを教育する努力を幾つになってもし続けることが大事です。


規格と技術の発展

平成30年 3月 20日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

ポンペイの町で一番驚いたのは、轍(ワダチ)の跡と言っていた先輩の話です。 ベスビオス火山の噴火で埋もれた街ですが、轍が残るという事は、当時の馬車の車輪間の幅が決まっていた、即ち、規格化されていたと言う事で、この先輩、規格関連の仕事をしていたのでその観点からの見方からがとても印象的でした。 物を作るのに勝手にバラバラな大きさで作るのではなく、規格化された大きさで作るというのは、それでこそ分業も可能になり、大量生産の前提条件です。

しかしながら、規格がこれにあったもの以外は作ってはいけないと言うルールと捉えると、古いものを作り続け、そこが既得権益の安住の場所となっては新技術にとっては障壁となります。 規格、規格とルールを振り回す人の中には、何のための規格であるのかを忘れてしまい、ルールに盲目的に従うことを優先させる権威主義となってしまう方もおられます。

危険なものが世の中に出回ることは規制しなければなりませんが、新しいいものが世に出てくるのを妨害するような規格であってはなりません。 国家規格となると法律でそれに従う事の強制力が発生しますから、規格の意味を十分に理解して決めていただかねばなりません。 技術革新のスピードが速い例えば無線LANですが、無線LANも規格が合わなければ相互に使えませんから規格に合わせることは重要です。 しかし、これを国家規格とすると制定の速度も慎重になり遅くなっては技術の進歩の足かせになります。 そこで、米国では国家規格を決める ANSI とは別の業界団体である IEEE がこの規格を決めています。 IEEEは、元々、技術者集団で純粋に方式/仕様を決めるのですから、日本語では「規格」と呼ばれますが、国家規格とは異なります。 新しい方式は、提案して認められればすぐに動き出す、柔軟性とスピード感にあふれています。 このような「規格」こそが、新しい技術を発展させる原動力でもあります。

古い規格を振り回して、新しいい試みにイチャモンを付けるのは保守に回った既得権益者で、そのようなジジイは退場すべきで、新しいものでチャレンジしなければ世の中は変わらないのです。 ジジイか否かは生活年齢ではなく、新しいものに挑戦する気概と他人の新しい試みを受け入れる柔軟性があるかないかで決まります。

規格が厳格でなく、解釈の余地を残していることは、新しいい挑戦への幅を残しているという事で、あまり厳密にキチンときめてしまうより、伸びしろとして残しておく方が良いのです。 その幅の中で、規格に合うかどうかを議論するより、根本は、如何に落雷被害を防ぐかが重要なことなのです。 

パスタ に関しての2題

平成30年 3月 19日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。


お昼に知人とパスタを食べながら披露したパスタについての話題です。

その1
以前、よく通ったパスタのお店、カウンターの中での調理の様子が分かる席から、調理の様子をよく観察していました。 茹で上がったパスタに何やら緑色の粉を混ぜているので、それが何かを尋ねると「昆布茶」とのことでした。 和風パスタであれば、「あり」でしょうが、カルボナーラにまで昆布茶を用いるのは反則では? と余計な事を言ったため、雰囲気が険悪になり、以後、そのお店には行かなくなりましたが、これは正解で、ただの塩味よりは、昆布茶や「白ダシ」による塩味にはウマミも加わり、塩味での失敗は無くなります。 私は、生クリームに白ダシで塩味を加えた「カルボナーラ」が簡単で美味しくできるので「白ダシ」愛用しています。 昆布茶が反則と言った後で、昆布茶は使いにくいので白ダシにしましたが、反則でも何でも、素人料理は簡単で美味しければよいのです。 家に塩は置いていません。 塩味は全て白ダシで間に合わせてしまいます。 本格グルメの方でしたら、異議あり、でしょうが、私ごときC級グルメには十分です。

その2
スイスもイタリアに近い地方はイタリアン・レストランが多く、昼にはパスタを良く食べます。 そのスイスから来た二人と品川の駅の中でパスタをたべると、「この味は本場のシェフが作ったに違いない。シェフに挨拶をしたい」と言い出し、昼食時の忙しい時に、このパスタを作ったシェフに調理場から出てきていただきました。 シェフは、本場のイタリア人シェフではなくて、日本人。 それにガッカリしたのか、スイスの方達は、では本場のイアタリアで修行したのだろうと、追い打ちをかけましたが、「日本から一歩も出たことが無い」との答えで、 Made in Japan の品質が本場に勝るとも劣らない事が判明しました。 欧州でも米国でも、料理が美味しいとシェフに会って賛辞を贈るというのはよくすることです。 高級ホテルのレストランでもなければ、オーナ・シェフのお店でもない、駅ビルの中の普通のイタリアン・レストランでの話で、我々が身近で本場の味に近いものと知らずに食しているものが本場の外人が本場の味と間違える品質なのです。 日本が誇らしく思えた一瞬でした

人生の目的

平成30年 3月 16日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

朝っぱらから重い話で恐縮ですが、若い方との話しの中で「あなたの生きる目的、人生の目的は何なの?」と尋ねても、スパッと答えが返ることはあまりありません。グダグダ言いながら、目標が見えていない、と言うかハッキリと口にしない美徳の副作用なのでしょうか。 と偉そうに言うものの、そういう命題については人生に流されつつ、あまり真剣に考えることはないものですが、公言できる目的をハッキリと持つことは大事なことです。 口にしないで心にキープしているだけではなく、恥ずかしがらずに堂々と口にする事が大事です。 言霊の作用です。

特定の仕事/職業に就く、というような具体的な話しでなくても、もっと一般的な目標であれば、「自分を幸福にする」、少し譲って「家族を幸福にする」ですが、他人(家族も)を幸せにするという目的は空回りすることが多いのです。 家族が幸せでなければ自分も幸せではないのですから、「自分が幸せになる」と何はばからず口にすれば良いのです。 日本の青少年を外国の同世代と比べると、このような生きる目的とか人生の充実度など、日本が圧倒的に低いそうです。 自分がジジイになり、人生の先の長さが見えて来ると、このような消極的な生き方が実にモッタイナイように見えます。 若いうちから、堂々と胸を張って「幸せになる事」を目標と掲げれば、そのためには次に何をするかが具体的になってきます。 その目標に向かって突き進んでもらいたいものです。

折角、若い方と話しをしても、人生の目標もなく、肉体年齢だけは若くても、元気のない腑抜けのような受け答えしか返ってこないと、若いのに自分よりも老け込んでいる人と話をしたような感じさえします。 若さが貴重であることは、私の年代にならないと分からないのかもしれませんが、若さを浪費しないで元気にやってもらいたいものです。

闘いの前準備と視点の低すぎる国会議員

平成30年 3月 15日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

米朝会談が行われることで、世間にはこれで北朝鮮問題も決着に向かうと思っておられる方が多いのですが、私はこれは戦いの前の儀式ではないかと危惧します。 最後まで、会談の努力をしたと言う結果を得られましたから、後はこの会談を決裂させ、戦争に入る準備が完了し、戦闘に入る流れです。 

北朝鮮は、自国の核武装の解除ではなく、朝鮮半島全体の非核化を主張しているという事は、日本と同様に米国の核の傘に入っている韓国も米国の傘のから抜ける、という事は、米軍に朝鮮半島から出ていけという事ですから、それを米軍が受けることは無理かと思います。 この会談でより一層、戦争に近づいたのではと思いますが、この緊迫した情勢の中で、いつまで森友学園の事など騒いでいるのか日本の国会の能天気ぶりにはあきれ返ります。

もし、トランプさんがいい加減に妥協しても日朝の関係まで改善できるものではなく、米国まで届くICBMをやめたとしても日本まで届く中距離のミサイルで、日本への脅威は残り続けます。 日本の課題は山ほどあるのです。 モリカケ問題など重箱の隅のような話で、このような問題にばかり目を向けるのは将来への責任回避なのです。 週刊誌であればそれでも良いのですが、国会議員であるのに視点が低すぎます。

以前にも書きましたが、国家予算96兆円とは96万億円。その中の8億円は、96万円の中の8円の話しです。 もちろん、額が少なければ悪い事をしても良いと言っているのではありませんが、他に大事な事柄はいくつもある中で、この8円の話しばかりしている連中は、自分の歳費だけでなく、秘書の経費から、議員会館、議員宿舎までを国税でカバーされ、一人当たりの年間経費も数億円は要しているでしょうから、この問題にばかり時間をかけるのは正に税金ドロボーなのです。

世界がこんなに激動しているのに、このような国内の小さな話題で時間を割くことは無駄以外の何物でもありません。 世の中には不正などいくらでもあり、それらの全てを正すことなど不可能であり、一番手に付けやすい不正ばかりをやり玉に挙げているのは、本来の立法府の仕事とは言えません。 既に検察が動いている案件で、マスコミが掴んだニュースをさも自分の手柄のように騒ぎ立てる野党の面々、新聞のスクープを振り上げて偉そうな顔をしている連中に大局観はありません。 日本の将来を見据えた、もっと大事な問題を議論していただきたいものです。 まあ、この程度の議員を選んだのも日本国民なのですから仕方ない話ではありますが。。。。

トランプ大統領は、それが愚策であっても、大使館の移転を決めたり、鉄鋼アルミに関税をかけたり、メキシコとの国境の壁を視察に行ったり、国務長官を解任したり、とにかく前に進む政策をドンドン進めています。 日本の野党の方達は過去にしがみついた議論ばかりで前向きの姿勢が見られないのは残念です。


仕事は忙しすぎるくらいが楽しい

平成30年 3月 14日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

月曜日は新潟に日帰りし、火曜日は、朝6時に出社して資料を作り、7:30に会社を出て福岡に日帰りし、21時に会社に戻りました。 私は、労働時間は関係ありませんが、これを社員さんにさせたら残業時間が7時間という事で、労務管理が厳しい昨今では面倒な話しになりそうですが、バブル時代を経験し、昔は毎月200時間の残業など普通にしていた時代がありました。 毎晩、夜中の2時にタクシーで帰宅する生活を数年しましたが、健康問題など全くなく、それどころか、給料は残業代で3倍位に膨れ上がり、お金を使う時間もありませんでしたから、借金をし家を建てましたが、借金の額が繰り上げ返済でドンドン減っていくのは快感で、20年で借りた借金を数年で返済完了してしまいました。 この頃は、残業代というシャブ中毒のためにワザワザ自分で仕事を作って遅くまで会社に居残りました。 上司から言われた仕事は面白くないのですが、自分で勝手にやる仕事は楽しいものでした。 労働で問題なのは「時間」ではなくて「ストレス」なのです。 楽しいい仕事は何百時間やっても、楽しいのですから少しも苦になりません。 私生活だって、家に帰りたくなく居酒屋で時間を潰す人もいて、ストレスの元を私生活に抱えているケースもあり、過労死を残業時間を問題にするのはピント外れなのです。

ワークライフバランスというのは労働を悪とする某外国宗教の労働観が底辺にありますが、昔の労働とは、奴隷制度に見られるように労働自体に喜びはなく、苦役であったことでしょう。苦役である仕事と自分の生活のバランスと言うのは一面的なとらえ方で、労働は苦役ばかりではないし、私生活におけるストレスよりは仕事を楽しんだ方がよほど健康的なのです。 労働にはいろいろな要素があり、確かにやりたくないイチイヤするタスクもありますが、茶道、剣道、柔道などの「道」にも通じる、スキルの向上、鍛錬などの面も職人さんの仕事のみならず、サラリーマンの仕事にもあります。 ゲームのような楽しさもありますし、労働を「悪」とみなすだけの価値観は日本には向いていないかと思います。

今は懐かしい良き時代でした。 その良き思い出もあり、長時間労働、大好きです。 労働は本来、美徳であり、働いて何が悪い、長時間労働を規制するのは余計なお節介と思っていますが、社員さんを巻き込んではいけないというのは時代の流れですが、自分でする分には勝手にさせていただきます。 最近は、修行中のお坊さんまでが残業などと口にする時代ですが、道を究めようとする求道者には、全てが修行で残業などありません。 200時間程度の残業で、お亡くなりになる方が出てしまうとは、日本人もヤワになったものだと思います。 私は、ある意味、ハングリーな貧乏世代なので、その程度ではビクともしません。

水曜日は都内での仕事ですが、木曜日は三重までの日帰り出張、来週には、岩手と新潟への出張があり、出かけるのが好きな私にとっては忙しすぎるくらいのこのスケジュール、楽しくて仕方ありません。 この楽しい忙しさを「労働」として規制するなど、おかしな時代になってきました。 働く楽しさを見いだせない、知らない、経験できない世代はお気の毒としか言いようがありません。 最近は、モバイル機器の発達で、家にいても、外出先でも仕事ができ、会社にいる「時間」で仕事を管理すること自体が時代遅れなのです。 時間と言う「量」での判定でなく、仕事の「質、内容」で評価されるとなれば、裁量制労働は自然な流れで、これを「残業時間が増える」などと文句を言っているのが時代遅れなのです。


南の島の新幹線  田中宏昌   ウェッジ

平成30年 3月 13日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

台湾に新幹線を走らせた鉄道エンジニアの技術協力奮戦記です。 この面倒な仕事によく耐え抜いた古き良き日本人のお話で、先日のブログで「日本の鉄道は世界で戦えるか」を紹介しましたが、新幹線が台湾で戦った記録です。 実に忍耐強く仕事を成し遂げられたご苦労がにじみ出ています。 鉄道と言うのは、人間力で運営されているところが大きく、電車と言えば、その車両の事しか見えないのですが、ただ車両だけではダメで、その走行を支える、線路、信号系、電力系、通信系、車両の保守、線路設備の保守、運航制御、駅員、運転士、車掌、駅舎、要員の教育、これらを別々の国から部分部分をジグゾーパズルのように組み立てるなど、システム全体としての齟齬が生じるのはシステム構築に関わった経験があれば明々白々ですが、欧州と日本を天秤に測りながら統合しようとした台湾当局のアホな進め方の見本です。 そのような事をするには、サプライヤー側を超えた経験とスキルが必要であるのに、その怖さも理解せずに複数の資源を一つにまとめることに挑戦しました。

鉄道は、そもそも欧州で始まり、常に世界をリードしてきましたから、いくら日本に新幹線があるとは言っても、欧州にコンサルタントを求めたのは最初は仕方なかったことかもしれません。 その後、日本の新幹線を使うなら、車両だけでなくシステム全体をそのまま持ってくればよほど円滑にできたものを欧州勢としては自分たちのシステムに誇りを持っていますから、日本からチームと知的ななバトルが始まります。

そこに巻き込まれて奮戦する田中さん、その我慢強さに脱帽です。 私のような未熟者でしたら、「こんなアホの面倒を見られるか」と投げ出してしまいたくなるような中で、よくぞここまで調整をし、そして新幹線が走り出すまで欧州勢と台湾当局と見事にまとめあげたお話です。 他国との利害の中で仕事を進めるケースとして、若いエンジニアさんにも非常に参考になる一冊です。


AI (人工知能の)の知能検査

平成30年 3月 12日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

先日、AIによる制御がされているというシステムのAIについて調べてみると、ただのフィードバック・システムで、ただ、その閾値が細かなレベルに分かれていて、きめの細かな制御をするというだけのもので、そのようなものは昨今のAIブームの以前から存在していた自動制御をワザワザ、AIと名前を付け替えているだけで、なんの基準もないまま「AI」という言葉だけが先行しているブームに危うさを感じました。

AIとは、大げさな名前です。 知能と呼ぶなら、読み書きそろばん、一般会話まで、そのレベルは子供程度であっても身の回り事、全般ををある程度こなせる程度のモノを期待してしまいますが、実際には、例えば「AIによる将棋」これも将棋の世界にだけ特化した単能機で、確かに将棋は強くても、このようなものを「知能」などと呼んでよいものか。 「ディープラ-ニング」と表裏一体で、この手法を使えば「知能」と呼んでよいのか? どのような手法を使おうと、それはプログラムされた機能で、途中結果をフィードバックして、次の行動を決めるような動的な決定がされると、いかにも人間のような動きなので感心してしまうこともありますが、「AI」だとか「人口知能」とかの言葉だけが先行しているように思えます。

各社、企業秘密ですから、内部がどのように構成されているのかは検査のしようもありませんし、当面、言葉だけが先行するのは仕方ないでしょうが、知能と呼ぶなら知能検査のようなスクリーニングを行って、本当に知能と言えるほどのものなのか検証してから「AI]なる言葉を使用していただきたいものです。


日本の鉄道は世界で戦えるか  川辺健一  草思社

平成30年 3月 8日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

「世界一というのは思い込みにすぎない。」と言う挑戦的な帯を見て、新幹線をはじめ私鉄各線には100%以上満足している私は、そもそも鉄道と言うのはローカルな乗り物であって、世界各国を結ぶ航空機と違い、世界で戦う必要などなく、ローカルの要求を満たしていれば、それが世界の標準的な要求を満たしていなくて何が悪いと思っていますので、「鉄道が世界で戦う」必要などなく、この著者は何をアホな事を言っているのかと言う思いで読みました。

鉄道が「ローカルな乗り物」というのは島国日本のことであり、欧州では各国の相互乗り入れをしているということは「規格」の上で運用されているのは事実ですが、グローバルという言葉には、Leave me alone(放っておいてくれ!)と言いたくなる圧力を感じているので、「今度は、グローバリストの鉄ちゃんか」という思いでした。

国際比較と言うのは、往々にして余計なお世話、各国には各国の事情や背景があり、各国を同じスケールで比較した優劣などあまり意味が無いのです。 競争社会での教育は、モノも人も良いの、悪いのと比較したがる人間を増やしてきました。もう一つの要因にWTO(世界貿易機関)が国際標準なる「余計なお世話」を押し付けたがために、色々な分野で世界標準に対応することが必要となりました。 世界市場を目指す製品であれば、当然ですが、初めから国内で使用するのであって海外を目指していないと言っても、「世界標準」が水戸黄門に印籠のように使用されるのは、国内仕様あるいは国内標準が自由貿易のための「非完全障壁」となってはいけないというグローバルな圧力があるからです。ですから、余計なお世話とは思いつつ、外国との比較が必要になるのは、残念ながらやむを得ない事なのです。

私への批判ではありませんが、日本の鉄度の日常利用には十分に満足していますし、電鉄関連のお客様も多いので、自分への批判のように感じてしまう部分もあります。 批判されるというのは、あまりい心地よいものではありませんが、まあ、客観的な見方でなるほどと思えるものもあり、仕方ありません。 悔しいけれど、おっしゃるとおりなのです。

それにしても世界の鉄道事情をよく調べたもので、なるほど反論の余地の無い所も多々あります。 共感する部分もまた、多々ありまして、全体的には非常に参考になります。 今後、世界の鉄道の進む方向についても鉄道関連の世界的な展示会「イノトランス」(イノベーション と トランスポーテーションからの造語)の紹介など専門家でなければワザワザ、ドイツにまで見に行かない展示会での展示の傾向など世界の動きについても参考になります。

最近、TVのCMにも出てきますチューブの中を減圧された推進力で移動するカプセルのような乗り物「ハイパーループ」が世界では注目されているというのは驚きです。 少人数の短距離移動には使えても、長距離の大量輸送には使えないであろうオモチャとの認識だったのですが、世界では磁気浮上のリニアモ-タなどよりも真剣に議論されているそうです。 磁気浮上のリニアモータなど世界のガラパゴスとなるであろうというのは私も危惧している点で、そこは川辺さんと全くの同意見です。 あのようなものを作るより、日本全国の、特に北海道の線路のメインテナンスを東海道新幹線の利益の一部で補助すべき、というか、全国の鉄道インフラの保守は単一会社で行うべきで、乗客が少なく距離が長い北海道では赤字になるのは当然で、地域毎に分社化してしまった分社の在り方も再検討すべきではないでしょうか? 私の日本の鉄道で一番気に食わないのは、このJRの分社の仕方です。 ま、これはJR自身の問題ではなく、「政治」の責任です。

本書のタイトルの印象は良くなかったのですが、日本の鉄道に満足してはいても、満足だけに終わってはいけないと眼を開かせてくれる内容で大変参考になりました。


嫌いな質問

平成30年 3月 7日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

仕事の上で、色々な要求を受けますが、その中で一番嫌いなので「実績」です。 実績は無い訳ではなく、1600を超えているのですが、実績を持ち出すことがナンセンスと思っています。 なぜなら、世の中にある色々なもの、最初は全て実績ゼロから始まります。 石器時代の石器からして、最初から存在したものではありません。 実績がゼロであれば、スタートできないと言われるなら、身の回りに沢山ある製品も最初からいくつかの実績があったのでしょうか? 最初から存在していたものなどあり得ませんから、全てのスタートはゼロなのです。 そのゼロを否定してしまったら何事も始まりません。

実績リストですが、納入台数は1600超えていますが、それをリストになどしません。 実績リストが無いと判断できないと言われる方は、残念ですがお引き取りいただいてます。 何故、実績をリストにしないかと言えば、納入実績は「営業資産」であり、これをリストなどにして世に出回れば、喜ぶのは誰でしょう? お役所関連施設でPDCEをご利用いただいているのは重要施設が多く、日本国内には北朝鮮や中国の工作員が多々いますので、もしもの時の破壊活動の手助けになるようなリストは作らないようにしています。

PDCEの購入を決めようとしている方には、参考程度にはなるでしょうが、それが絶対条件とは思えません。 他社が設置しているから、自分も設置しようなどと甘い判断をする方はおりません。 他所は他所、自分は自分、であるとはみな分かっているのですが、お客様よりも、これを営業する側が安心材料としてお客様に見せたいという例が多いのですが、それは自分の説明だけではお客様を納得させることが難しいと言う場合のようです。 しかし、実績リストの有無だけで営業が決まる訳でもなく、それを原因にする程度の営業力で、売れる訳もありません。 

「実績主義」と言う言葉も謝って使われているのではないでしょうか? 仕事の結果については、実績主義で良いのですが、実績が無いから使用できないと言われてしまった製品は、それが本当であれば、一生、日の目を見ないことになります。 しかし、そのようなことはありません。 我々の身の回りには、毎日いくつもの新製品が現れ、それらには当然、実績はありません。  しかし、時がたてば、その製品が沢山使用されていることも珍しくありません。 実績がないと使用してもらえない。。。と言うのは売れない営業マンの言い訳に過ぎないのです。


隊友会

平成30年 3月 6日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

自衛隊のOBの方の集まりで隊友会と言う組織がありまして、私は自衛隊員の経験はないのですが、自衛隊応援団のつもりですから、「特別会員」と言う資格で参加し、もう10年以上になるかと思います。 この会からのお知らせで「憲法改正の集会」と自衛隊の活動についてまとめた資料を頂きました。 この資料が優れもので、拡散したいと思い、隊友会に使用することの許諾を求めましたら、非常に慎重なお返事で、国論を二つに割るようなデリケートな話題であるから取り扱いには慎重にしてくれとのお答えでした。 まあ、いわば当事者ですから慎重であるのは当然かもしれません。

隊友会というのは、元自衛隊員の集まりですから、も少し堂々と憲法改正を主張されると思いきや、物足りなさを感じるほど冷静なお答えでした。 今まで虐げられてきたせいでしょうか、あまり大騒ぎはしないで欲しいいと言うにような印象でした。 私はと言えば、機会あるごとに台9条第2項の廃止を明言し、会社の公式ブログに個人の主張を載せるべきでないとのご批判もありますが、上場もしてもいない弊社のような零細企業は、社長のキャラまで含めての会社であり、個人の主張を含めても何の問題もないと思イ、憲法改正の必要性については堂々と主張しています。

憲法学者藻多くが、自衛隊の違憲を主張していますが、違憲だからといって、悪いのは自衛隊ではなく、憲法なのです。 憲法が自衛隊に違反しているのであって、法律が常に正しい訳ではなく、法律と言う物差しが狂ったまま、それで世の中を測れば、間違った結果しか得られません。 憲法学者の言う「違憲」というのは正しいいと思いますが、その判断の中に国際情勢は含まれていません。 ミクロで見れば正しいのですが、マクロで見れば誤りです。 軍備を備えるのは世界の中で当然のことですが、当然のことを違憲にしてしまう憲法が間違っているのです。

法律は守らねばなりませんが、法律自体は、時代に合わせて変更すべきで、憲法を改憲から「護れ」と言う「マモル」は、法律を守る「マモル」とは意味が違います。 守る必要はあっても護る必要はないのです。 これを「憲法を護れ!」と叫んでいる人達からすると、改憲派は憲法「マモラナイ」、極悪人のように見えるのでしょうか?


弊社製品への中傷の続き

平成30年 3月 5日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

ある学会誌で、弊社の製品についてご理解が不十分のまま誤った記述がされたことについて、先日ブログに書きましたが、私の指摘に対して、謝罪も訂正もする意思がないとの返事を受けました。 それは著者の方のご判断でご自由ですが、弊社としては、謝った記述をそのまま放置することは、今までに購入してくださったお客様の立場もあり、看過できませんので、この学会に対して学会としての見解と私の反論を学会誌に掲載していただけるようにお願いしました。

社内の中には、相手はJIS規格の制定委員であり、反論すればそれに対する反作用の方が大きい事を懸念して今回は静かにしていた方が良い、長いものには巻かれよ、との意見もありますが、私、昔から「ドン・キホーテ」でありまして、相手が強そうなほど燃え上がってしまいます。 この委員の方は、従来型の避雷針を販売する会社に勤めておられ、いわば、古典派の既得権益をを護るために新しいいものを排除したいということで、このような業界の利益代表が、公正であるべき工業規格の制定に関わり、学会の機関誌と言う公器で特定製品の中傷をすること自体、底の浅い反対活動であり、そもそも業界の目的は落雷被害を低減することが目的なのであり、特定業界の保護を目的とするものではないハズですが、いつの間にか、目的がズレてきているようです。

落雷被害の低減を富士の山頂に置いたとすれば、そこに至る道は昔ながらの富士吉田から登る道も、御殿場方面から登る道も、静岡から登る道も、何処から登ろうと自由なのです。 それが、危険な方法であるなら規制は必要かもしれませんが、設置した結果、被害が少なくなったと喜んでおられるお客様が多いものをその実態も調査せずに、昔ながらの富士吉田口から登るもの以外は許さないというのは、「xx原理主義」と同じような考え方です。 私が言うのもおこがましいのですが、科学の歴史でも中世の頃は、天体や人体は神の領域であり、それらを研究する科学者は神の領域を冒涜するものとして教会から迫害されました。 新しいものは常に異端の苦しみを味わってきましたが、その伝統は今も脈々として続いています。

今回の結末については、随時、このブログを通じてお知らせしますが、規格と言う権力を振り回す側が、軽率な言動をすると規格自体の信用も損なうことをこの委員の方はご自覚がないようなのが残念です。 元はと言えば、雷害による被害を少なくしようとする同士のハズなのですが。。

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