株式会社落雷抑制システムズ

雷ブログ

3秒決断思考  金川顕教   集英社

平成30年10月31日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

 昨日、よく考える先生に感銘した次の日にはほぼ何も考えずに行動することを勧める本を紹介するなど支離滅裂のようにも見えますが、それもこれも真実。 人生の奥の深さ、生きることの難しさと思ってお許しください。 本書、実に小気味よい内容で、「その通り!」と思える内容がばかりで、スイスイと10分もかからずに読み終わります。 人生、如何に割り切りが大事かという観点では、あまりに多くの事に心配し過ぎて悩む方が多い中、悩んでも仕方のない事は初めから考えないこの割り切りが大事であるとは共感できます。 自分なりの行動ルールを明確に決めておいて、それを発言できるのは大事な事です。 本書の中から、幾つかを紹介します。

 「普通だったらやらないよね」という選択をしよう
皆がやるような事を後追いしない。皆がやってできる事が出来ても「当たり前」、できなければ皆ができていることを自分は出来なかったと落ち込むだけ。誰もチャレンジしないことに挑戦すれば、そこにライバルはいない。 自分の勝負する場所を見つけるのは、大事な事です。


 「やりたくないことをを決める」
やりたくないことを我慢して続けるよりは、どうしたらやりたくないことを回避できるかに時間を費やす。 しなければならない「TO DO リスト」は、余りにポピュラーですので、「NOT TO DO リスト」を作って、やらないことを明確に決めておくのです。 そういえば、TVドラマの「 Doctor X」 も、派遣先での最初の紹介に「私、XXしません」「しません」「しません」ばかりの強気の自己紹介ですが、あの強気にあやかって「しない事」を決め、決めた以上は心をぶれないように頑張るのです。

そのほか、落ち込みそうな場合にも心を強く保つための単純な言葉が多数披露されています。 私位の年齢になれば割り切りも含めて当然なのですが、著者の金川さん、若くしてこれだけの境地に達する事ができたのは大したものです。

ある先生のお言葉

平成30年10月30日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

 現在、二つの大学と共同でプロジェクトを進めていまして、進捗状況について定期的に打合せをしています。 いつも仕事の上では、ビジネス界の人との話が多い中で、仕事から離れた学術の世界での先生方の考え方、話し方などに触れるのは大いに勉強になります。 大学生の頃、先生との触れ合いが、こういう貴重なものと理解していたなら私の現在も今と違っていたかもしれませんが、理論的な探求を第一に発言されるのに触れ、いつもの世界と異なる話は、物の味方を補整されるような清々しさを感じます。

その一つで、雑談の際に、この先生が仰られたのは、理由がはっきりしない、いくつもの問題について常に自問自答し、考えておられるとのことでした。電波、電磁気の分野では高名な先生であるにも関わらず、例えば直流と交流の違いについて、簡単に答えるには等という事もその一つだそうで、私など、表面的な理解で直流と交流について理解していると思い込んでいますが、深い理解などしていませんでしたから、その違いを問われてもグダグダと説明するだけで、その違いを一言で説明できる先生とは理解の深さが全く異なるのです。 そういう事を日常的に鍛錬されているというのは、さすがに自分との違いを認識し、大いに勉強になりました。

 「人間は考える葦である」という言葉、深い意味まで考えずにこの歳になってしまいましたが、毎日、考え続けることの大切さを再認識しました。 言い訳がましいのですが、私の身の周り、イチイチ考えていたら何も進まないという事があるのも事実でして、考えるべきことと考えなくても良い事のメリハリを付けることが大事です。

横浜マラソン

平成30年10月29日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

28日の日曜日、横浜マラソンが開催されました。 私の友人と甥もランナーとして参加しまして横浜では市民に定着したイベントです。 私は、横着にもオフィスの窓から望遠レンズで見ただけですが、その数の多さにただただビックリなのです。2万8千人もの方が参加したそうです。スタート地点に集まった参加者全員のスタートが完了するのにも1時間以上かかりそうな人波が延々と続いてきます。

 数日前に、この参加登録の手続きに行った友人の話ですと、受付事務をする人たちはボランティアなのでしょう。 明るくフレンドリィでとても良い印象だったそうで、このボランティアの方々がとても楽しそうにサポート業務をこなしているのに感心し、次の大きなボランティアと言えば[2020東京オリンピック・パラリンピック」ですから、横浜マラソンへの参加登録をするや東京オリンピックのボランティア登録の要綱までもらってきたそうです。

その友人が私も、一緒にボランティアをしないかと誘われましたが、私はあまり乗り気にはなれないのが、偏屈ジジイの欠点の一つで社会性が欠如しているのです。 この友人、マラソンに参加したり、ボランティアに感化されて自分もやりたい思ったり、そういう社会への積極的な参加意識は人生を楽しく生きるために大事ですね。 今後、少しずつ見習わねばならないと思っています。

怪しいい言葉 「Sustainable ( 持続可能)」

平成30年10月26日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

 最近よく聞く言葉で怪しげなのは、「持続可能」 Sustainable です。 平和でないからこそ「平和」「平和」と騒ぐように、世界は「持続可能」でないからこそ、「持続可能」「持続可能」と騒ぐのです。まあ、天文学的なスケールで言えば、どの惑星も永遠の寿命がある訳ではなく、いずれ太陽系も消滅します。 ただ、それは遠い遠い未来のことで、とりあえず、そこに至るまで地球が「持続可能」ああることを祈っての事なのでしょうが、客観的に見れば、地球が蝕まれていることは事実であり、それ故の「持続可能」なのでしょうが、その時間軸をどこまで見るか問題です。 齢60を超えましたので、自分の事で百年先の事を心配しても仕方がないのですが、孫子、ひ孫の時代まではと考えれば、100年先の事を心配するのは当然です。 最悪でも、後、100年は地球が「持続」して欲しいいものですが、「持続可能」と言うのは、何年先まで見据えての「持続可能」の事なのでしょうか?

 少なくとも自分の生きている間は、将来を明るく展望し、そのために力いっぱい生きねばなりませんが、同時に500年、1000年先の事も客観的に、私情を挟まずに客観的に見てみると、そこまで先の事は分かりませんが、特別な改善のない限り、現在の状況を単純に将来に延長すれば、地球の状況はかなり悪くなっているのではないかと思われます。 宗教的な終末論には全く関心はありませんが、宇宙船「地球号」の中で起きている事態は「ヤバイ」事だらけです。 それを見越した上での「持続可能」なのです。 個人でできる事は限られますし、まあ、先々の長い若い方にはご苦労様としか言いようがありません。

これは、現在も100年先も同じことですが、将来の長さが若い方々よりは短いと思われる高齢者にとって、地球の持続可能が不可能となる前に自然寿命が尽きるというのは、高齢者にとって数少ないメリットと言えるかもしれません。

偏ったマスコミ報道に騙されないで

平成30年10月25日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

サウジアラビアによるトルコ国内での事件ですが、民主主義だ、人権だと大騒ぎしていますが、何より大事なのは国体の安定です。 反逆的な発言を行い、それに乗じて反対派が現政権を打倒しようとすれば国内で紛争が生じ、数万単位の死傷者や難民が出るのです。 あの国では、犯罪者への処罰は手首を切り落としたり、公開処刑をしたり、世界の国よりは過激な点もありますが、それもその国の文化なのです。 一人が殺されたことを大騒ぎしていますが、「一人を殺すと殺人であるが、一万人を殺しても戦争であれば英雄になる」という言葉を思い出します。 独裁に弾圧はつきものでで、お隣の大国で「不正の追求」という名目で行われている政争では、万単位での粛清が行われていますし、チベットやウィグルでも大量の粛清が行われています。 また、北朝鮮での独裁とこれによる反対派人民への処罰など、カショギさんお一人に比べ物にならない数の粛清は世界では普通に行われていることです。 殺人、処刑、と呼ばずに「粛清」と報道されるとあまりインパクトがないのです。 粛清であれば、国を維持するために必要な補整手段のような印象で、サウジアラビアからすれば、今回は必要な粛清であったのでしょう。

 職業がジャーナリストということで、ジャーナリストを弾圧するとは「けしからん」という構図のようですが、ジャーナリストであっても富豪の一族の派閥争いのようなもので一般市民のジャーナリストではありません。独裁国家の中での人権無視について他国がそれに文句を言うのは大きなお世話なのです。西欧諸国の国々が「人権」に問題があるとして介入し、独裁政権を倒してから発生する混乱を見れば、自分の価値観を押し付けずに独裁国家の中で、国民が変化するのを待つしかありません。 国を維持するために独裁が必要であれば仕方ありません。 民主主義が一番良いと信じ切っている事がおかしいのです。

情報と知識

平成30年10月 24日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

私の友人がセミナーである大学の教授から聞いたのは、「ネットが普及し、豊富な情報を誰でも入手できるようになった今、大学の使命が終わった」とのことなのですが、今までの教育モデルは「先生が情報の切り売りをしてきた」が主流かと思いますが、自分だけが持っていると思っている情報が巷に溢れているとなったら、切り売りするものも無くなり、そういう事をしてきただけの先生にはネットの発達は確かに脅威かも知れません。 しかし、情報だけが豊富であってもそれだけでは解決にならないのです。 貧困地域で物が不足しているからと言って、そこにスーパーやデパートを建設しても何の役にも立たないのと同じで、そこにあるものを入手し、それを活用して再生産につながるようにならねばモノや情報がいくらあっても意味はありません。 情報の量だけで言うなら、本屋の店主や図書館の職員であれば身近にいくらでも情報はありますが、その情報を基に新ビジネスが生まれた話など聞いたことがありません。

情報を自分の知識へと変換し、その知識を基に「知力」を涵養することが大事であり、知識で止まっていては何も新しいものは生まれず、過去の知識を蓄えているだけでなく、情報を知識へと変換し、更に知力へと高めるための訓練、勉強、努力、応用が必要であり、それを行うのが教育者の責任であるのに、情報が豊富になったので大学の使命が終わったなどと短絡的なことを言われるのは、「情報の切り売り」しかしてこなかった先生がようやく目覚めたともいえるでしょう。 大学の使命というよりご自分の使命が終わったと理解される方が宜しいいかと思います。

ネットにいくら情報があっても、全てが正しくもなく、私の交友関係の中で見ていると、ネットや情報機器を使いこなしている方は、いかにも時代を先取りした方のようにみえますが、ネットからは無縁の世界でガラ携だけで生き延びている方の中には生活に密着した部分で力のある方が多いのです。 情報がそこにあるからいつでも利用できると慢心せず、そこにある情報を如何に自分の知識に変換し、それを応用するかという緊張感が必要です。情報過多でネットやマスコミの情報を受け身の姿勢で受け取っているだけでは情報に踊らされるだけです。 時には情報の取得は自制し、自分で考えねばなりませんが、情報が多すぎる世の中で、情報があることで自分が賢くなったような錯覚にはまってしまう。 情報が豊かであると生活まで豊かになるかのように錯覚する。 情報時代の恐ろしさです。

犯人逮捕にかかわるコストは犯人の自己負担にすべき

平成30年10月 23日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

先日、「警察24時間」のようなタイトルの、如何に警察が大変な活動をしているかの番組を拝見し、ご苦労様と思いながらも、この費用を全て我々善良な市民が負担するのかと気が重くなりました。 朝早くから深夜まで張り込みを行い、これは残業手当だけでも大変な出費となるとコスト面で不安になりました。 この費用は、全部でなくても、半額程度は犯人に負担させるべきではなきでしょうか? 犯人に支払い能力が無い場合には刑務所で払い終えるまで働いていただくのです。 刑務所での賃金は大した額ではありませんから、実刑が1年でも、逮捕までの経費負担に10年かかることもあるかもしれませんが、罪への刑罰とは別に捜査費用負担も行っていただくのです。 この分は、支払いが可能であれば親族、友人が負担しても構いませんが、とにかく、全額を納税者に負担させるべきではないのではと思いました。 自分で起こした犯罪なのですから、それにまつわる費用を自己負担するのは当然ではないでしょうか?

逃亡を繰り返せば、捜査費用も増加し、1年逃げれば1千万円。 刑務所での日当が1000円とすれば、これだけで一万日、約30年の労働となれば、警察にヤッカイをかけずに速やかに自首しないと刑務所での生活も長くなるという犯罪の抑止効果にもつながります。

以前、府中刑務所を見学したことがあり、そこで受けた説明では、刑務所の中も世の中と同じで、高齢化と外国人の増加が近年の傾向だそうです。 この外国人についても、我々の税金でサポートするのではなく、国外退去として本国に送還すべきです。 今まで、犯罪に対してはコストなどという概念は無しにやってきたかと思いますが、健康保険なども高齢者の自己負担が増える時代ですから、犯罪者には犯罪捜査費用の自己負担をしていただくべきではないでしょうか?

大型客船と横浜ベイブリッジ、東京湾アクアライン

平成30年10月 22日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

この大型客船は、手前の横浜ベイブリッジの下を通れないため、大黒ふ頭に停泊しています。 大型客船は、MSCスプレンディダ( 137,936トン)高さ66.8mなので海面からの高さが55mのベイブリッジはくぐれないのです。

写真の上の方に見えるのは東京湾アクアラインで、「海ほたる」も見えます。 撮影は昨日10月21日 (日曜日)で、本日はマラソン大会が開催され、この道路は通行止めだそうです。 東京に向かうのが「上り」東京から出るのは「下り」というのは分かり易いのですが、川崎と千葉を結ぶこの道路、川崎に向かうのが「上り」千葉に向かうのが「下り」だそうですが、これは川崎市と木更津市の「格」の問題ではなく、どちらが東京に近いからという距離の問題でしょうね。

本日は、天気も良く、海上の橋の上ををマラソンするのは気持ちが良い事でしょう。海ホタルで折り返しで、海底トンネルの中はさすがに走らないようです。 道路を通行止めにしてまでのイベント、経済第一主義でなくていいですね。 来週は横浜マラソンもあり、マラソンの季節のようです。

「さぴあ」 進学教室「サピックス」の情報誌

平成30年10月 19日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

首都圏を中心に展開している、進学教室サピックス小学部から発行している、「さぴあ」という月刊情報誌があります。 その「さぴあ」記事中に、「エコテクノ」という小学生の子どもたちに世界の環境技術を紹介する記事に、今月号は「新しい避雷針」と言うテーマでPDCE避雷針が紹介されました。

この小学生が大人になって避雷設備に関わるかどうかは分かりませんし、未だ10年以上先のことですが、こういう若い世代に新しい技術を紹介していただけるのはありがたいことです。 私の子供時代には一般的であった「ウサギトビ」が実は好ましいい運動ではなく、最近はしないそうです。 また筋肉の疲れの原因が乳酸であると教えられましたが、最近では乳酸は持久力を高めるために必要であり、必ずしも悪者ではないとの理論が主流だそうです。 今日現在の常識が数年後には間違いであったと見直されるはままあることです。 

270年前に発明された避雷針ですが、エジソンさんが生まれる100年近く前ですから、当然、電気は未だ発明されていないオイルランプの時代です。 そこまで遡らなくても、私の若かった時代と現在を比べれば、電気/電子機器への依存はまるでSF映画の世界なのです。 このような時代に積極的に雷電流を呼び込むというのは「時代錯誤」、雷電流など、なるべく呼び込まない方が良いに決まっています。

この「エコテクノ」という記事ですが、さすが進学教室というのは情報を分かりやすい形に仕上げるのが上手で、簡潔に上手にまとめられています。 弊社のHPの「お知らせ」で読めますので是非、ご覧ください。

消費税を上げるなら公平に

平成30年10月 18日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

買い物をする場合には、必ず消費税を支払っていますが、受取る側の事業者としては、これは預かっているだけで、いただいた消費税は他の税金とは別に納税しています。 ところが、お客から消費税を取りながら、これを納税せずに自分の収入としている事業者さんもいるのです。 いくら税率を上げて消費税を増やしても、その分が国庫に入らず事業者の収入になってしまうケースもあるのをご存知ですか?

それは売上が1000万円以下の小規模事業者さんと起業して最初の2年を超えない事業者さんです。 売上であり、利益ではありませんから、売上1千万以下というのは物販でしたら相当小さなお店かとは思いますが、納税業者と非納税業者をカンバンなどで表示し、区別すれば非納税の小規模事業者は、消費税を懐に入れて儲けようなどと考えずに、お客から消費税を取らずに販売し、「消費税フリー」の低価格を売りに商売すれば売り上げの増大につながります。  売上げが上がり次年度はからは「納税事業者」になってしまうかもしれませが。。。私がお世話になっている個人のマッサージ院ですが、人様の懐を勘繰るのは失礼なのですが、お一人での事業では一千万円越えは無いのではないかと思い、お話しすると消費税は無しにしてくださいました。

それにしても「ポイントで還元」など、イイカゲンなことを言うものです。 世の中には「タダ飯」はあり得ず、買い物をしてポイントを付与されてもそのポイントをだれが負担するのでしょう? ポイントを発行するカード会社に税金で補助する事になれば、左のポケットには税金が増えても、右のポケットから補助金として消えていくという、税収としては面倒なだけで増税した実行効果がどこまであるのでしょうか?

元々、増税は国民の負担になるものなのですから、負担を軽くするなどと「ムチの後のアメ」でごまかさないで、本当に必要な負担であれば、その必要性と使途について十分に説明すべきなのです。 誰の負担にもならないような増税でしたら元々必要ないのです。 安倍さん、悪者になりきる覚悟が見えません。 総理大臣は国民から好かれる、愛されるなど期待せずに、憎まれても、嫌われても、国のために必要と信じることをしていただきたいものです。

尖閣での中国によるブイの設置

平成30年10月 17日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

日本の排他的経済水域に中国が勝手にブイを浮かべたとの事。 政府は抗議したとのことですが、そのような抗議は「カエルの面にxx」で、中国からすれば痛くも痒くもなくただの雑音。 中国には単なる抗議でなく、期限を付けての撤去を要求し、期限内に撤去しなければ回収あるいは撃沈すべきです。 中国は、一歩一歩、日本が何も反応しないのを確認しながらエスカレートしてくるのですから、このような国と仲良くできる訳がありません。 これは、子供でも親の反応を見ながら一歩一歩イタズラをエスカレートするのと同じで、大事になる前にピシャリと叩いてやるべきです。 ところが、日本はそのような議論さえもしない腰抜けになってしまいました。 訪中を前に安倍さんは事を荒立てたくないのでしょうが、ブイを撤去しないなら訪中は取りやめるくらいの強気が欲しいいものです。

韓国の北朝鮮へのすり寄りは韓国の勝手ですが、もはや日米との3国による体制は完全に崩れました。 米中の対立も深まり、世界情勢は緊迫してきているのに、情けないのは日本の国会です。 野党の皆様は、いつまでモリカケ問題に終始しているのでしょう。 そのような小さな国内問題の前に日本の周囲が緊迫していることに気が付かないのでしょうか? まあ、アホな議員を選んだのもアホな国民の責任ですから仕方ないのですが、小さな変化率に気が付かない平和ボケの「ゆでガエル」の中でイライラしても仕方ありませんが、やられても何も反応しない日本の態度、集団自殺を行う一員の中にいるようで気味の悪さを感じます。

恐ロシア航空機列伝  ユーリィ・イズムイコ

平成30年10月 16日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

少年の頃、将来は飛行機の設計をしたいと思っていた時期があり、空想の中で色々な飛行機を作り上げ、飛行機のデザイン画も沢山描きました。 以来、飛行機は関心のある分野の一つなので、割とマニアックなのですが、このロシアの「駄作機」には恐れ入ります。 私が少年時代に、航空工学も流体工学も何も学ばずに空想の中で作り上げても、こんなにヒドイ物は無かった。。という位、全く世の常識にとらわれない奇想天外な事を考え、それを試作までしてしまうのですから、ロシア人のアホともいえるような天衣無縫ぶりには恐れ入ります。しかし、ロシア人の凄い所はそんな小賢しい常識など関係なく骨太に作り上げてしまう行動力です。 ロシアは、経済力から言えば韓国以下の国ですが、その卓越した軍事技術は、この実行力から生まれるのでしょう。

以前勤務していた会社の会議でパリで会ったロシアからの参加者は親日家の博士でした。 大阪万博の時にソ連館の担当で大阪に来た事があり、日本人の私を見ると懐かしそうにその話をしてくれました。ソ連科学アカデミーからの転職でしたが、転職して給料が20倍に跳ね上がったと喜んでいましたが、当時の私の給料の半分程度でした。 航空機の設計をするくらいの人であれば、恐らくソ連科学アカデミーに属する博士と同等程度の給料かと思いますが、その程度の低賃金で、こんな大それた飛行機を設計するのですから、そういう観点からも脱帽の駄作機です。

航空機産業というのは、一国の工業力の集大成でいくら優れた設計であってもそれを実現できるか否かはその国の工業力の底力にかかっています。 本書に紹介された航空機は、日の目を見ないものばかりですが、もし、環境が変わっていたら実現したかもしれません。  本書は、半面教師的な本として、発想だけは自由なのだという勇気を与えてくれます。

DARPA秘史  The Imagineers of War

平成30年10月 15日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

毎日便利に使っているインターネットですが、その前身はARPAネット。 DARPAがARPAと呼ばれたころのARPAによる産物です。 ARPAは、軍隊ではありませんが、戦争に役立ちそうなものは常に先行投資を行い、それが民需にまで発展している例も少なくありません。 インターネットしかり、今、流行の車の自動運転さえ、アフガンでゲリラに襲われる軍用トラックの隊列を護りたいので、大学に自動運転の技術を競わせたのが始まりで、モハビ砂漠で道なき道を走破する競技に資金を提供してきました。 豊富な資金力で世界的なプロジェクトを推進させる戦争の陰の主役でした。

世界初の人工衛星はソ連のスプートニクですが、ソ連に先を越された米国は、NASAよりも前にARPA(高等研究計画局)をつくり、科学技術の振興の旗振りをし、それに国防(Defense)の「D」が付いてDARPAとなった歴史ある政府機関です。 本書は、そのDARPAの活動をARPAが誕生した1958年から現在まで、どのような役割を果たしてきたかを500ページを超える内容で解説しています。 Advance Research という位ですから、常に「ハイテク」で戦場をリードしてきた影の主役なのです。 世界のどこで地震が発生しても、その地震の震源地を発表するのは米国です。 それは地下核実験を観測するネットワークを作り、それを世界の地震観測網にまで発展させたのもDARPAであり、ベトナムで枯葉剤を使うことを提案したのも、インターネットへと発展するARPANETを作ったのも、ミサイル防衛網を発案したのも、戦争でハイテク兵器と呼ばれるものの陰には全てDARPAが関わってきたというトンデモ集団なのですが、研究者は内部よりも外部で、そこに資金を提供して技術を開発させるのです。 資金が潤沢にあれば、ここまで科学者の心も広がるという例を島しています。

日本では左巻きの学者先生は軍事を嫌い、大学が軍事の研究をすることに反対しますが、全くのナンセンスなのは、大きな戦いを起こさないためには常に自国を優位にし於ておくべきで、闘い自体を悪い事のように信じ込む「平和主義者」は人間の本性を理解していないのです。 もちろん建前は平和が第一。 しかし、あくまでも建前であり、その陰では戦争に備えるというのが世界の常識なのですから、軍事研究は大事なことなのです。 日本にもDARPAのような組織が積極的に研究に対し資金を提供すべきなのです。 研究者は単なる夢想家ではなく、実現することを射程内とするとき、それを達成するのに必要な資金という制約があります。 資金が潤沢であれば大きな計画も立案できますが、悲しいかな資金が貧弱では案も貧弱にならざるを得ないのです。 DARPAが活躍してきたのは米国の黄金期で、これから先の時代にはどのように活動するのかが見ものです。

ソマチッド

平成30年10月 12日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

血液の中に含まれる「ソマチッド」をご存知でしょうか? 血液は、水分である「血しょう」と固形成分である「赤血球」と「白血球」から構成されると教わりましたが、実はこの血球成分よりも直径で言えば1/100位微小な「ソマチッド」と呼ばれる成分も含まれ、この微小な「ソマチッド」が健康状態に大きな影響をしているという説があります。 医学界では、どのような理由で存在する「ソマチッド」について何も語らないのでしょう?

「ソマチッド」なるものが存在し、それを顕微鏡で観察できるというので、この目で確認してきました。 確かに顕微鏡をモニターする画面には赤血球がウジャウジャしているなかで、赤血球が5~6mmに拡大されたモニター画面の中で、ほんの微小な点にしか見えないのですが、「ソマチッド」であるという物体が元気よく泳ぎ回っているのを見て、その存在を確認しました。

「ソマチッド」がこれほど微小なものであれば、血管壁や長官などからも体外に出てこれる大きさかも知れませんが、どうして血液の中でしか見られないのは不思議ですし、現在の医学界の分かっていることはどれほどのものなのでしょう? このソマチッドの観察ができるという顕微鏡とモニターに怪しいいものはなく、私が見たものは自分の血液であったと確信しています。 そして、このソマチッドの活動を活発にするという周波数の微弱電流を体に流すこと1時間、「ソマチッド」の動きは電流を印加する前よりも確かに活発な動きに見えました。

だからと言って、体の調子が良くなった実感がある訳ではないのですが、1回きりでなく、継続したら変化を感じることができるかもしれません。  これを体験したショップ、オカルト系かと思われるようなものが多数あるのですが、オカルトであれ、プラシーボであれ、不調な体の調子が改善されればよいのですから、頭から全否定すべきではなく、現代医学も「ソイマチッド」について研究し、これについての知識が高まれば良いと思いました。

志を共にする喜び

平成30年10月 11日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

先日、某大企業の方との話の中で企業の存在意義は「社会課題の解決」との理解で一致しました。 私は今まで「社会問題」と言っていたのですが、さすが大企業、より洗練された「社会課題」とマイルドな表現でしたが、昨今、目先の利益に走ることが多い中で、個人では対処できないような大きな「社会課題」の解決に挑戦することこそ大企業の役割という認識とそれを基礎とした活動というのはお見事ですし、そのような志を共有することは嬉しい限りです。

これは、特定のお客様への営業のような現実的な話しではなく、今すぐの商売に結びつくものではなく、もっと大きな底辺の流れとして確認し合ったものですが、昨今、元気のない方が多い中では珍しくも嬉しいい出会いでした。 tinamini,私の志は、「エンジニアは社会課題のエンジニアリング的な解決に努力すべき。」 具体的には直撃雷の被害を少なくしたいと思っています。 私の相手の方は「企業は社会課題の解決に努力すべき」という点で具体的な目標は異なりますが、考え方は一致していました。

ガンバレ、柴山文部大臣   教育勅語の何が悪い

平成30年10月 10日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

柴山文部大臣の教育勅語の一部をを認める発言に左巻きのアホが騒いでいるようですが、これこそ「アホは相手にするな」を実践すれば良いだけです。

明治の初期に日本は欧米諸国に比べて非常に遅れた状況であったのです。 その中でを国民の在り方について、学校教育の中で道徳への一定の方向性と同じ理解をさせるために教育勅語は必要であったのです。 現在の理解からすると、多少、天皇の比重が大きい所はありますが、この発言で鬼の首を取ったように「言語道断」などと大騒ぎすること自体が自らのアホを証明するようなものです。 このようなことにインネンをつけるとは893以下の行いです。

<<主権在民の世の中で、道徳までイチイチ天皇から支持されるのが気に食わない。>>
明治天皇のお言葉は当時の日本国民に対してであり、現在の我々、日本国民はこれを歴史的事実として理解すればよいだけで、現在の常識で過去を判断する必要はないのです。

<<両親には孝養を尽くし、兄弟姉妹は仲良くし夫婦も心合わせて仲睦まじく、友人とは信じあえる関係となり、自己に対しては慎ましやかな態度と謙虚な心構えを維持し、多くの人々に対し広い愛の心を持とうではありませんか ⇒ 当たり前の事で、余計なお世話を言われたくない。>>
このお言葉、当たり前で言われたくないという方、本当はどれほどいるのでしょう? 当たり前の事と反発することなく、素直に受けとめれば良いのです。

<<一旦緩急あれば義勇公に奉し>>
非常事態になれば、職務を遂行しようとする警察官や自衛隊員、消防署員など、自分を犠牲にしてまで公のためにという方は多くおられ、天皇のためにという事でなく、公のためにと思う責任感の強さは日本人には自然なことです。 民間においても、災害などの非常時に略奪行為などせずに、少ない水や食料を分かち合う、これも「公に奉し」をする日本字の美徳の一つです。 これをワザワザ、天皇と結びつける左巻きがおかしいのです。

戦後、日本を弱体化するために戦前のものはことごとく悪者にされましたが、教育直後もその一つです。 占領軍の中には左巻きが多く、その流れを受け継いだ日本の左巻きが騒いでいるのです。 日本の良さを我々のご先祖様の時代から育んだ教育勅語、時代が変われば評価が変わるのも仕方ありませんが、その内容の一部を肯定したからと言ってそんなに大騒ぎする話しではありません。

会計の世界史  イタリア、イギリス、アメリカ 500年の物語  田中靖浩 日本経済新聞出版社

平成30年10月 9日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

全ての職業人は自分の業界の歴史について精通すべきと思っていますが、著者のの田中さん、公認会計士事務所を経営されているそうで、まさに、業界の歴史について語る、公認会計士の鑑のような方です。 収支を記録するというのが当たり前のことのように思っていますが、その歴史を遡る面白さが、平易で読みやすい文章と非常にたくさんのエピソードで面白く語られ、400ページを超える大作ですが、このように読みやすさと充実した内容の両方を兼ね備えている珍しい、傑作ともいえる良書です。

銀行と簿記は、イタリアで東方貿易で一山当てようとする人が資金を調達し、簿記でその詳細を記録したそうですが、大商人であっても船の建造は費用が掛かるため、国がこれを建造し、貸し出すなど国としての経済政策の一環であったそうですが、昔から大商人というのは国を動かして自分のリスクを少なくすることに長けていたともいえます。 このようにイタリアから始まった簿記ですが、メジチ家の繁栄も簿記の功績であったり、それまでの I ,II,II,IVのようなローマ数字では計算が困難ことやゼロという概念が無かったことから、計算に向いた1,2,3,4 のようなローマ数字に移り、時代背景としてはレオナルド・ダヴィンチからレンブラントまで、歴史が面白く解説されています。

時代の流れは、イタリアからオランダ、そしてイギリス、アメリカと流れる中で、簿記についての考え方がどのように生まれてきたのか、「自分のため」の会計が、「他人のため」の財務会計となり、それが再び「自分のため」の管理会計になるなど、会計の考え方の基本がどのように生まれてきたのか、納得できるお話しで構成されています。 会計の本は今までも何冊か読みましたが、最初から概念ありきで、その意味についてまで背景を知ることがありませんでしたので、背景についてまで解説された本書で会計の考え方が良く理解できるようになりました。  

会計だけでなくヨーロッパの歴史、その他いろいろな雑学まで幅広く、久々に読むのが楽しい本に巡り会いました。 余りの面白さに400ページをほぼ一気に読み切りましたが、少し粗っぽい読み方なので、読み終わってから、もう一度ジックリと読み直しています。

木材・石炭・シェールガス 文明史が語るエネルギーの未来  石井 彰  PHP新書  

平成30年10月 3日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

「「世論」の逆が概ね正しい」とは、尊敬する西部先生のお言葉ですが、昨今の「自然エネルギー」狂想曲に胡散臭さを感じていましたが、本書はその胡散臭さを見事に説明しています。 

18世紀の産業革命以前は、人類は100%再生可能エネルギーのみを使用してきた。しかし、エネルギー密度が低いという再生可能エネルギーの原理的な限界、供給量の限界、効率の限界によって、世界の人口やその生活水準、平均寿命は現在と比べものにならない位低かったのです。木材を燃やすしかなかった時代、森林は伐採で自然環境が破壊され、そこから人類を解放したのがエネルギー密度の高い石炭であり、取扱いの便利な石油であり、次に原子力というのがエネルギーの歴史的な流れで、それにより電気が身近に使え、これは各国の経済状況のみならず平均寿命まで改善してきたのです。

エネルギーの利用と環境破壊は原理的にどうにも両立できず、多少の技術革新ではどうにもならない。自然エネルギーではエネルギー密度が低く、それで膨大な人口を支えることはできなず、化石燃料はいずれ枯渇し、二酸化炭素排出という「業」から逃れられないし、原子力も放射能汚染という原理的宿命を「業」として持つ。100点満点の解決法などないのです。「我が家は太陽光発電で自立し、余剰分は売電までしている」と胸を張ったところで、価格的には他人まで巻き込んだトリックの上で成り立つだけの話で、いずれ廃棄処分にせねばならない太陽光発電パネルの廃棄物処理まで考えれば、決して100%の完全な回答ではありません。

地球環境の破壊という点では、二酸化炭素による温暖化だけでなく、経済活動による森林面積の大幅消失、化学物質・毒物汚染、生物資源の絶滅、砂漠化による水資源の枯渇など、色々ある中で、温暖化ガスだけの問題ではないのですが、ここだけに焦点が集まり、再生可能エネルギーが新しい時代への「革命」や技術の「革新」などでなく、中世以前への回帰、復古運動の一種なのです。

エネルギー密度の高い物をより安全に使用する事こそが、文明の発達であり、潤沢な電気があってこその電気自動車なのです。 その潤沢な電気を如何に安全に、地球への環境負荷を抑えて作るか。。イデオロギー、感情論を抑えて判断すべきで、年間数万人の自殺者が出る社会の経済状況が悪化すればさらにこの数も増えます。 原子力関連の事故で亡くなった人の数は圧倒的に少なく、過去の怠慢による事故の結果を未来に延長するのは馬鹿げているのです。 日本の非常に高い人口密度、人口の多さ、エネルギー需要の高さ、国土の地形、気象状況、位置条件など、世界の主要国で再生可能エネルギーを導入するには最も恵まれない条件にあることを理解しなければなりません。

暴走する能力主義  中村高康   千曲書房

平成30年10月 2日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

この2月に公表された高校の新しい学習指導要領の改定案に対しての不安から教育界でできること事、変貌する社会で要求される「能力」の定義の難しさについて、読み進むと泥沼にはまっていくような、社会という大きな仕組みの健全性を保ていく事の難しさに圧倒されます。  教育の大衆化により、誰でもが「大卒」という資格で働けば、その資格の意味についてボロが出るのは当然で、昔のように学歴が有効な物差しとは言えない時代になる中で、教育界は社会の要求に応える実用的な知識だけを与えれば良いのか? 教育界は、自分の世界だけで「学歴」というレッテルを貼り付ける作業をしてきたが、世の中がそのレッテルを信用できないと気が付き始め、自分の在り方を模索する中で、社会の変革のスピードは教育の内容をどうすべきか議論しているよりももっと早く進みます。 教育界の問題ではあるが、教育界だけではどうにもならない段階に来ています。

能力とは教育界がその成績で決めるものではなく、社会が定義するものと世界を広げると、限られた科目の試験での総合点の意味合いなど全く薄れます。 しかし、学校教育の中で知的作業をどの程度こなしてきたかを見る学業成績の呪縛から逃げることもできず、会社としては自分の切り口から「能力」なるものを見極めねばなりません。

営業職であれば、個人の能力の集大成が営業成績という形で現れるものとして、結果を見るのは簡単なのですが、ではそのためにはどのような能力を訓練しなければならないのか? こんな単純なことさえも背景には多くの問題を抱え簡単には答えは出ません。「能力」という言葉が、支配する立場の側で自分の都合の良いように使用されるのは目に見えていますが、評価される側でも世自分に要求される「能力」とそれをどの程度自分で備えていくか、教育界と社会のギャップまで含めて、単に教育界と実業界だけの問題ではないことに注視しなければならず、より複雑になる世界、住みにくい世の中になります。

IT業界は学校境域の中に如何に自社製品、例えばタブレットなどを持ち込んで教育界のIT化を進めるかに力を入れていますが、これは日本人お得意の「戦術的」な話だけで「戦略的」な匂いは一切せず、表層的なツールだけの話です。

紙ストローなら本当に良いのか?

平成30年10月 1日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

プラスチック製ストローの代替品として紙ストローに注目が集まっていますが、紙であれば環境汚染が発生しないのでしょうか? プラスチックでも紙でも同じ事と思います。 紙の場合のイメージとしては、和紙の「紙すき」のように繊維がドロドロに溶けた状態がさらに希釈されて海に流れ込めば、細い繊維が魚類のエラに引っ掛かり、呼吸障害を発生するのではないでしょうか? プラスチックが微小サイズに粉砕された「マイクロ・プラスチック」と同じことなのではないでしょうか? 

紙が水に溶ければ、一応、目の前からは紙という物体は見えなくなりますが、見えなくなっても消滅する訳ではなく、形を変えただけの事です。 マジックではないのですから、物質が完全に無くなることはあり得ないことで、形を変えただけの事ですから、それで良しとするのはあまりに単純すぎます。

プラスチックが海水で溶けないことが問題なのではなく、プラスチックが海洋に流出することが問題なのです。 材質がプラスチックか、紙なのかは問題ではなく、ゴミの海洋投棄が問題なのです。ストローの材質を変更したところで紙カップの蓋はプラスチックですし、プラスチック製品はストローだけではありませんし、ストローだけをやり玉に挙げるのはアホなことです。 しかし、これで、あのコーヒー屋さんが「環境派」として評判を上げてしまうのですから、世の中もいい加減なものです。

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