株式会社落雷抑制システムズ

雷ブログ

今年最後のブログです。

平成30年12月 27日

こんにちは。 落雷抑制の松本です。

今年も色々なことがありました。 今までの累積の設置数は2000台が目の前に見えてきました。 それに比例して、既得権益を持つ従来型避雷針の一派からの中傷や営業妨害も増加しました。また、マガイ物も出始めました。これらは普及する過程では必ずあることですから、あってもビクともしません。 高層ビルの屋上が落雷で破壊されコンクリートの塊が地上に落下するる問題では、幸いなことに人的な被害がありませんが、これを防ぐ手段として現行機種をさらに発展させた新型(水平型、球形)もフランスでの試験で非常に良好な成績を残し、PDCEの究極形を完成させました。

また、ただPDCEを販売しているだけではなく、二つの大学との協同研究、共同実証試験もそれなりの形を見せてきまして方向性は固まりましたので、後は継続して進めるのみです。  理論的な解析、実証、そして次機種の開発、現行機種の営業も新規の販売方法が始まりつつあり、それぞれに成果があった一年でした。 この方向性を堅持し、来年はそれなりの成果も上がることでしょうから、楽しみな一年になります。

ブログで言えば、訪問者の数が、一年前の2~3倍増になり、遡って昔のブログを読む総閲覧数も毎日600近くになりました。 数を増やすことは目的ではありませんが、増えれば嬉しいものです。 今年一年、偏屈オヤジの勝手なブログにお付き合いいただき、ありがとうございました。 来年も、よろしくお願い申し上げます。

お金は愛  小山 昇   ダイアモンド社

平成30年12月 26日

こんにちは。 落雷抑制の松本です。

前回の「数字は人格」に続いての過激なタイトルに、「ああ、またか」と思いましたが、社員さんやお客様の名前までも登場する「実録」ですから、これだけ割り切ってお金についてあからさまに語ると嫌味など少しも無く、お金の威力についてよく分かります。 お金は子供の頃のお年玉、お小遣い、社会に出てからは給料と付き合いは長いのですが、そのお金とどう向き合うかについては、ただ増やすだけの方法論ばかりで、対人関係のための道具としてのお金の扱い方については勉強したことなく、小山様の日常生活の中での具体的なお金の扱い方はとても参考になります。 本心ではお金が欲しいのに、それをあからさまに言うのははばかり、それ故、お金に対しては何か屈折した思いがありますが、そういう遠慮が吹き飛ぶ内容です。

 巻頭に8千万円の札束の写真があり、これはボーナスを現金で支給するためで、銀行振り込みよりも社員に直接手渡ししながら感謝の気持ちを伝えたい、銀行振り込みでは社員への感謝が伝わらない、社員への愛情はお金で示したいそうです。 お金は大事ですが、ただ貯め込むばかりでなく、その使い方が大事であると説いていますが、ご自身の経営される会社はもちろん、経営コンサルタントとして実績を残されている方の言葉には重みがあります。 お金との付き合い方、お金への執着心をどの程度にしておくべきか、その辺りで悩める方には非常に良いヒントで溢れています。

100年先の夢  避雷球

平成30年12月 25日

こんにちは。 落雷抑制の松本です。

エジソンが誕生する約100年前にベンジャミン・フランクリンにより発明された「避雷針」。 英語では、単に「Franklin Rod」、「Lightning Rod」、「Air Termination System 」と呼ばれているだけですが、漢字で表すと、たったの3文字で「避雷」という目的と「針」という形状まで表現してしまうのですから、漢字の表現力は強力です。 ただ、「避雷」というのはマクロに見た場合のことで、本当の機能としては「雷を被る」という意味で「被雷」と呼ぶべきで、これは、雷を避けるのではなく雷を「飛び込む」ために付けているのです。 ところが、自然現象は気まぐれで必ずしも「避雷針」に誘導できず、そこに誘導したとしても、そこに流れる強力な雷電流による被害が発生するのですから、なるべく呼び込まない、「触らぬ神にタタリなし」が良いのです。 エジソンが30歳の時に「エジソン電気照明会社」を起業して電気が実用になり、それから140年が経過して今や電気の時代になりました。 何故、オイルランプ時代と同じように雷電流を呼び込もうとするのか? 140年前といえば、日本でもチョンマゲを止めていた時代ですが、「避雷針」というチョンマゲを未だに担いでいるのです。

ベンジャミン・フランクリンは、政治家でありながら電気の研究者としては、まだ植民地であった米国ではトップクラスで、電気におけるプラスとマイナスの概念もフランクリンの功績ですが、エジソン誕生の100年も前ですから電気は実用になっていなく、オイルランプの時代でしたから雷電流などいくら流れても何の影響もない時代でした。 それから270年が経過し、今やオフィスビルは勿論、一般家庭にまで電気製品であふれています。 避雷針(正しくは「避雷システム」)は、建物自体の保護のために設置するもので、電線を流れる雷伝流から電気製品を保護するには「保安器」が必要です。  弊社のPDCEは直撃雷対策のためのもので、電線を流れてくる誘導雷には保安器が必要です。 直撃雷は呼び込まないようにし、誘導雷は保安器で護るという多重防御が必要なのです。

 避雷針が何故、「針」なのかと言えば、針の尖った先端から上空に向けて「お迎え放電」を出して、そこに落雷を誘導するためです。 落雷を積極的に呼び込まないためには、「お迎え放電」を発生させないように先端の形状を「針」でなく、「球」にしたほうが、落雷を受け難くなります。 そこで「避雷針」ではなく「避雷球」と言う言葉を登録商標としました。今は、「避雷針」が市民権を得た言葉になっていますが、法的には「避雷システム」の中の受雷部となり、「突針」との名称は残っていますが、「避雷針」は既に死語になっています。「避雷球」なる言葉も市民権どころか規格にも出てこない言葉ですが、より正確に実態を表しているのは、雷を受けやすい「被雷針」と受け難い「避雷球」です。 私ごときが、ベンジャミン・フランクリンのような偉人に対抗するつもりは全くありませんが、時代背景が変化し、「積極的に落とす時代」から「なるべく落とさない方が良い時代」へと変化しているのです。

 今から100年後、このブログを呼んだ方は皆いなくなりますが、100年後に「避雷球」なる言葉が一般化しているか否か、知る由もありませんが、避雷針に変わり「避雷球」が普及するか否か、大きな夢なのです。

経済同友会代表幹事のご意見への違和感

平成30年12月 21日

こんにちは。 落雷抑制の松本です。

日本企業の世界における衰退ぶりについて、経済同友会の代表幹事様が嘆いておられました。 日本の閉塞感、国民の危機感の欠如については、まったくその通りですが、零細企業の私から見れば、経団連はもちろん、経済同友会であってもその会員は、大企業やその経営者であり「体制側」にいて、日本を硬直化させてきた一派にいることに気が付いておられないようです。 その代表幹事が日本の硬直化に危機感を唱えるのは違和感を感じます。 日本が世界から取り残された原因を作った犯人はあなた方でしょうと言いたい。 大企業の社員から「志」を失わせたのは経営者の責任です。

古い体制の規制による既得権益を利用し、新しいものを拒み続けてきたのは、政府の古い規制もありますが、それを利用してきたのも大企業なのです。 270年の古い歴史を持つ「避雷針」が積極的に落雷を招こうとするのに対抗して、雷電流などなるべく落とさない方が良いという当たり前のことに挑戦する弊社の活動を妨害をするのは、小さな業界の中でお山の大将を演じている大企業とその取り巻きのヨイショ組の中小企業です。 社会課題の解決というエンジニアリング企業の使命を忘れ、自ら創造することなく、外国で決められた規格の翻訳を振り回すだけの「出羽守」ですから新しいものなど生まれず、新しいことに挑戦する零細起業へのイジメを自分の仕事と勘違いしておられるのです。「志」など微塵もありません。

日本では起業をしても9割は3年以内に破綻するそうですが、その原因は多々あるでしょうが、新しい技術を欲しがる一方で、古い既得権益を守るために新しいものを排除する先頭に立っているのは大企業なのです。 経団連や経済同友会の会員である大企業の各社様が零細イジメを止めてベンチャーの新しい流れを取り入れるように自分自身を改革されれば日本も少しは良くなるのではないでしょうか?

ネットでの意見がAIに取って代わられる日

平成30年12月 19日

こんにちは。 落雷抑制の松本です。

私のブログは私自身が書いていますが、この程度の文章であれば、いずれAIがその日の話題をランダムに選択して書いたり、あるいは政治的なメッセージであれば最初から決められた論調で文章をまとめることはAIとも呼べないような低レベルのAIでも比較的簡単に作れます。 そういったブログであったり、ツィッターは、アカウントを登録しておくだけだけですから、何千、何万という単位で用意しておき、例えば何か事があった場合、政権に反対する意見を大量にネットに掲載すれば、それは仕組まれたPCやスマホが発信しているだけですが、あたかも国民の意見、世論、のように見えてしまいます。

これを利用して、選挙戦では、自国に好ましくない相手国の指導者に対し中傷行為をするような「発言ロボット」を相手の国内に潜ませておけば自国に有利な世論を相手の国内で簡単に形成することができます。 自由にものを言えるネット空間の弱点は、本当に投票権を持った国民の意見なのか、機械が投稿しているだけの物なのか判断が付かず、そこでの多数に世の中が動いているように操作ができる点です。 アイドル・グループのセンター・ポジションを決める「総選挙」でも、熱狂的なファンの方が投票券のために何百箱も箱単位でCDを買い込むそうですが、民主主義の弱さは、数を制する者がその手段に関係なく主流派になれるという事です。

世論を形成する役割はマスコミがになってきましたが、今後は発信元の実名もない、あったとしても、偽の名前のAIロボットによる多数派工作が発生します。 イージスアショアやF-35Bなどの正面装備も必要ですが、仮想敵国の内部を混乱させるのが一効率の良いやり方です。 こうしたものは表には出てきませんが、国内での偽世論の蔓延を防ぐ手段と相手国内の国民の不満を煽りたてるような手段こそが、実は必要な防衛手段なのではないでしょうか? 兵器を使わずに相手を攻撃する。それがディジタル時代の現代の兵法なのです。

日本人とドイツ人 比べてみればどっちもどっち  雨宮紫苑  新潮新書

平成30年12月 18日

こんにちは。 落雷抑制の松本です。

日本とドイツの比較論と言えば、川口マーンさんが有名で、川口さんの長いドイツ暮らしに比べると、雨宮さんは日本の大学卒業後、すぐにドイツに渡り、ドイツ生活に慣れない日本人による比較文化論で日本のダメなところを十分に体験した上でのドイツとの比較は、良さ/悪さにどちらか片方のバイアスが加わることも無く正直、率直で心地よく読めます。

日本では恵まれた環境で育ちながら、ドイツ生活を旅行者や留学生でなく、移住という「労働者」でドイツ社会に飛び込むと就活しても仕事探しは大変で、職業教育を受けても最初はインターン制度という「ためし働き」でいやになり、レストランでは帰宅ができなくなる深夜までサービス残業が続き、ビザのために大学に入り直しても日本の大学のような遊園地とは異なり、本気で勉強をする学生についていけず、ドイツ文化と日本文化とのギャップの大きさを背伸びせずに書いているところが非常に好感がもてます。

分化の違いというのは、単なる「違い」であり、「良し/悪し」ではないと言いたいところですが、それでも二つの局面を相対的に比べれば、「良し/悪し」の面があり、ドイツを引き合いにしながら日本について書いているのです。著者の雨宮さん、某有名私立大学(本書では大学名をキチンと書いてあります)の文学部卒業なのですが、文学部は「アソブンガクブ」と呼ばれ、就活までの自由な時間を謳歌するのに忙しく、勉強をする人は皆無。3年間で受けた試験は5つもなかった、という日本の一部の大学の実情は、ドイツの事よりもの驚きでした。

ドイツに住みながらフリー・ジャーナリストで生計を立てているという雨宮さんの今後の「ドイツ見聞録」を楽しみにしています。

大学入試の不正について  入学試験結果を公開すべき

平成30年12月 17日

こんにちは。  落雷抑制の松本です。

以前、ある国家資格の試験委員として試験問題の作成をしていました。 毎回、同じような問題ばかりでは具合が悪いので、張り切って凝った出題をすると正答率が低く、毎回、同じレベルの正答率になる問題を作るというのは、出題する側も大変なのです。 しかし、助っ人ソフトウェアがありまして、最初に想定した配点を正答率に照らして修正/調整すると、合格者の点数分布がきれいに仕上がるのです。 国家試験も入学試験も、できた人とできなかった人があまりにかけ離れることの無いように上手く配点を調整してくれるソフトのお陰で、毎回難易度が異なっても得点分布が同じようになるように調整できるのです。 大学入試でも恐らくこのようなソフトで調整していることでしょう。 ここまでは全員に対して調整するのですから不正ではないのです。 問題はその後です。

入学試験の結果も、模擬試験のように採点と順位を公開すべきです。 受験料を払っての試験なのですから、受験生も単なる合否だけではなく採点された結果を知る権利があるのではないでしょうか? 受験生の弱い立場ですと、それを要求できませんが、採点後の結果から全体で何位であったから合格した、あるいは不合格になった、そこまで受験生に公開すれば、その後の不透明な中での特定受験生に対してゲタをはかせる事はできなくなります。 すると、特定受験生の親からの寄付金も集まら無くなりますから、大学としては公開したくないでしょうが、どこか一校でも開かれた透明な入学試験を行えば、全体も徐々にその方向に進まざるを得なくなります。

権威と神秘性は一体であり、公開された透明な制度では権威を保つことが難しくなりますが、まあ、その程度の権威など見せかけの権威で偉そうにしているだけで保つ必要などない権威です。 時代は、あらゆる面で透明性、公開を求めるように動いていますから、いずれ密室の中の入学試験も終わりの時代を迎えることでしょう。

大局が見えなくなった日本人

平成30年12月 14日

こんにちは。  落雷抑制の松本です。

東名高速での「あおり運転」での裁判ですが、「死因は大型トレーラの衝突で、自分はその時は車を運転していなかった」「自分も追い越し車線にいて殺意は無かった」このような言い訳は、「木を見て森を見ず」で、小さな局面だけの話では、その通りであっても大きな流れの中では、高速道路の追い越し車線に相手の車を無理やり停止させてのですから、この事故の原因を作ったのは明らかであるのに、このような小さな局面での弁解がまかり通る抜け道の解釈ができる法律は、即、改正すべきです。 弁護士さんは、正義の味方ではなく、依頼されればどのような屁理屈でも作り上げるのがお仕事ですが、このような弁護、本当は恥ずかしいのではないでしょうか?

何故、日本人はここまでアホになってしまったのか不思議です。ルールは、事細かく決めるより、途中のプロセスなどどうでもよく、大局と結果について判断すべきです。 裁判の基礎ですが、「命の等価交換」とすべきです。 裁判所が偉そうに加害者側の事情を察し「情状酌量」などすることなく、結果として一人を死なせれば命の等価交換(即死刑)とすべきです。 二人を死なせれば、自分の他にもう一名、同乗者か親族も死刑。 犯人の生い立ちにまで遡って調査したりしますが、時間と費用のムダです。 加害者の事情を考慮するなら、被害者の事情も同様に考慮すべきです。

法律を大事にして、その文面から解釈の違いでできる穴を無理やりくぐり抜けようとする一方、自衛隊という立派な軍隊を堂々と否定する憲法もあります。 これを「平和憲法」などと呼び代えて現状との乖離を修正しようともしない。 法律と現状とどちらが大事なのか大局が見えないようです。 法律など、諸全、人間というアホの作ったキマリ事ですから間違いがあっても仕方ありませんし、時代に合わなくなることもあります。 それを後生大事に護るのではなくて、時代にふさわしいものへと修正しなければならないのです。。 現状を大局的に判断しないという点では、屁理屈の弁護をすることも憲法の改正を拒むのも同じ事ではないでしょうか?

久々の生オケ

平成30年12月 13日

こんにちは。 落雷抑制の松本です。

車のディラーさんの主宰するコンサートで久々に生のオーケストラの音に身をさらしました。 耳で聞く可聴域の音だけでなく体に響く音を感じ、曲目も大好きで車の中でもよく聴くドボルザークの「新世界」、オーケストラの生の迫力を堪能しました。

日本にも雅楽や祭囃子など、複数の楽器を用いた合奏は古来よりありましたが、この西洋のオーケストラによる幅の広さと奥の深さ、残念ながら構想力の大きさではかないません。 大作曲家の名前を並べても誰が一番という訳でもなく皆それぞれにスケールの大きな発想で、その名曲が今に受け継がれていますが、音楽の世界での彼我の差は明らかに西洋の勝ちで、生活レベルも現代から比べれば苦難の多かった時代に、どうしてあのようにスケールの大きな発想ができるのか感心するしかできません。

身の周りの小さな悩み事も吹き飛ばすスケールの大きさ。次回は3月に自衛隊の新入隊員歓迎の音楽会があり、これはまた大好きなマーチが主体です。 心がくじけそうになった時、このマーチの大音響の中に身をさらすと、小さな悩みなどぶっ飛びます。 普段は音楽には無縁の生活で、どのような曲が流行っているのかも全く知りませんが、それだけにたまに聴く生のオーケストラや軍楽隊の音は私には薬のような効能を発揮します。



確固たるポリシーがあり、ブレない  が立派とは限らない

平成30年12月 12日

こんにちは。 落雷抑制の松本です。

物事のとらえ方、感じ方は、生い立ちや周囲の環境がそれぞれ異なる中で形成され、個人のパターンが出来上がりますが、一つの考え方だけで判断していると、心の寝ぐせのようなものが形成され、トラブルに会った時には解決法を見出すのが困難になり苦悩することがあるかもしれません。 人間のハードウェアとしての脳の機能は記憶力の点では人により多少の差があっても、何十倍もの差で異なる訳はありません。 しかし社会的な功績には大きく差が出ます。 複雑なのは社会的な成功が必ずしも個人的な幸福感とは一体にはならないことです。  社会的なことは自分だけでなく、周囲の環境という大きな差がありますので、それとは別に個人的な幸福感であれば、自分自身の内面の要素が大きいので、そこにターゲットを絞っても、小さな事でクヨクヨする人、ズボラで周囲には何の配慮もせずに幸せそうな人、様々です。

物の感じ方、考え方は、ブレが無く、いつも確固たるポリシーがある方が良いのでしょうか? うまくいっている時にはそれで問題なさそうに見えても、突然の横波を受ければ転覆しそうになることもあるかもしれません。 外部環境は自分単独でどうにもならないことがありますが、考え方は全く自分だけの世界、世界で唯一誰でもが自分の支配下に置くことのできる世界です。 しかし、ほとんどの人はその自由に気付かず、自分自身の心にとらわれた不自由な生活をしています。 自分自身の自縄自縛で毎日が不幸な人は沢山います。

考え方の手本として32人の哲学者(と、それに近い人)の物の捉え方は、時代背景も異なりますから様々で、自分の考え方を遥かに超えた手本を知ると凝り固まった考えで悩むのが馬鹿馬鹿しいいことに気が付きます。 体のための軽い運動、柔軟体操が必要なように、考え方、捉え方のための「柔軟体操」、あるいは考え方を勉強するために「古典」を学び「思考パターン」の種類を揃えるのも大事なことです。

参考 「自分を変える思考の道具箱」  富益章成  青春出版

米軍における作戦司令部での意思決定  堂下哲郎  並木書房

平成30年12月 11日

こんにちは。 落雷抑制の松本です。

民間企業よりも長期間に渡って国家の安全保障のために状況を分析し、抑止策を立案し、もし、軍事行動となれば民間企業では考えられない短い時間で作戦を実行に移す意思決定は民間以上に厳しいものがあります。 作戦の計画と実行に必要なノウハウを一握りの軍事的な天才が行うのではなく、訓練を受けた一般の幕僚が標準化したプロセスによって行えるように米軍が長年をかけて作り上げた「意思決定プロセス」について解説しています。 

これは「JOPP」Joint Operation Planning Process と呼ばれ、戦争とビジネスという異なる状況ではありますが、戦う現場では、目的が非常に明確なのと、戦いを始めた結果の被害の状況とどこまでやるかなど、命をかけた戦いですから、非常に綿密に計画を立てることにビックリです。

イラン戦争、フォークランド紛争、太平洋戦争でのある局面の作戦的な解説まで事例として紹介され非常に濃い内容です。 軍隊というのは言うまでもなく階級社会ですから、作戦計画を立てる司令部と実戦部隊では異なりますが、この米軍の作戦司令部だけに限って言えば、この意思決定プロセスはさすがに全世界をカバーする米軍の事だけはあり、普通の民間会社では真似のできない幅の広さと奥の深さがあります。 ベトナム戦争などの負け戦を反映してのことですが、これだけ頭デッカチの作戦計画も実際の現場ではゲリラに振り回されるところが戦争の実態で、プランばかりが立派でも実践で勝てる訳でもないのですが、計画する事の奥の深さはお見事としか言いようがありません。 

中国が、このような計画を立てる相手とは戦いたくないと思うことを期待しますが、中国の事ですから、この意思決定プロセスを真似して、更に改良を加えるかもしれない??  それは無理でしょう。 この作戦の意思決定プロセス、最前線の戦う部隊がミッションを理解する事に重点を置き、共産党のような上から目線の上意下達ではないのです。 真似をするには共産党を解体しなければできないでしょう。

「マザーテレサ効果」  親切は体に良い

平成30年12月 10日

こんにちは。 落雷抑制の松本です。

人に親切な対応をした時の清々しさ、それは自分自身でしたものでなく他人の行動であっても感銘を受けると高揚感を感じ、それが自分の免疫系にまで影響するそうです。 マザー・テレサの親切な行動を50分間のビデオで鑑賞した132人の学生の唾液に含まれる「分泌型免疫グロブリン」の量は、ビデオ鑑賞の後では、前よりも大幅に増え、それが1時間後も継続していたそうです。 これは人が食物から取り込んでしまう病原体に対抗する免疫による防御機能が強化されたことで、外の世界の生き方を見て感じる高揚は、体内の免疫系も活性化させるそうです。 親切や気遣い、愛情、高揚、ぬくもりなどの気持ちも同様に免疫を活性化させるそうで、これを「マザーテレサ」効果と呼ぶそうです。

「人に親切にしても何の得にもならない」事はないようです。 親切で免疫が向上し、病気になり難くなるというのは、神様の善人への贈り物のようなメカニズムです。 人に対する親切は、お金もかからず、対人関係も改善し、良いことづくめなのですが、反対に他人への「イジメ」や「意地悪」で自分のストレスを発散しすると、自分の身体には何の得にもならないというのは自然の摂理というのは何とうまくできているのでしょうか。

私、偏屈オヤジですから、どちらかと言えば、ネガティブなことを喜びにすることが多かったのですが、この「マザーテレサ効果」を知ってからは、少しでも親切を心掛けたいと思っています(心掛けが行動に反映するかどうかは分かりませんが)。  駅で路線図とニラメッコしている外人には声をかけるようにしています。 これで気が付いたのは、インバウンドの中には英語が分からない人も大勢いるという事です。 まあ、駅の案内だけですから大した言葉は必要なく、問題はありません。

出展: 「親切は脳に効く」  ディビッド・ハミルトン  サンマーク出版

タクシーの配車アプリ

平成30年12月 7日

こんにちは。 落雷抑制の松本です。

スマホの利用では遅れをとっていると自覚しています。 スマホで利用するのは、電話/メール/メッセージ/カメラのみで、LINE やFBなどのSNS、支払いやチケットなどには一切使用していません。 スマホは便利過ぎて薄気味悪いのです。

そんな私が、タクシーに乗ると気になるのが「配車アプリ」の広告で、いつも運転手さんに一日に何回くらい配車アプリで呼ばれるかを尋ねます。 本日、聞いた話では、一日で10回程度、それも「配車アプリ」で頼んでいながら、空いたタクシーが通りかかるとそれに乗って行ってしまい、指定された場所に行ってもお客はいなく、キャンセルの連絡すらしない客ばかりなので、配車アプリは受けないようにしているとのことでした。 その低調さを聞くと、何故かホットします。 配車アプリの使用頻度が高くなったら、世の中に遅れないように、私も配車アプリを使わざるを得なくなります。

積極的に使用しないから、いつまでたっても負のスパイラルであることは理解していますが、便利過ぎることには胡散臭さを感じてしまうのです。



劣化するオッサン社会への処方箋   山口 周  光文社文庫

平成30年12月 5日

こんにちは。 落雷抑制の松本です。

例えば世の中の犯罪の多くは、若い世代の未熟な判断による事が多く、円熟した中高年には少ないなどというのはもはや妄信で、外見は立派な中高年による子供のような犯罪も増えていますが、ここで言う「オッサン」とは必ずしも生活年齢での話ではなく、生活年齢に関わわらず

① 古い価値観に凝り固まり、新しい価値観を拒否する
② 過去の成功体験に固執し、既得権益を放さない
③ 階層序列の意識が強く、目上の者に媚び、目下の者を軽く見る
④ よそ者や異質なものに不寛容で、排他的

を「オッサン」と定義し、必ずしも中高年男性ではないとしていますが、やはり特定年齢層のことでは? と思える部分もあります。 人は、年長者ほど能力も経験も見識も高い、それゆえ地位も報酬も高い、という前提でした。 年長者は若者の知らない、過去の事実や昔からのしきたりなどを知るデータベースであったのですが、その位置が近年、次の理由で不安な立場になって来ました。

① 長寿命化:昔は希少価値であった高齢者が多くなった
② 社会変化のスピード:新しい事が次々に発生し、高齢者の備える知識が急速に陳腐化してしまった
③ 情報の普遍化:年配の人に尋ねなくても、分からない事、知らない事も簡単に検索できる

しかし、これは今始まったことばかりでなく、旧約聖書ヨブ記 32章9節には、「年老いたものが正しいとは限らず、年長者が正しい事を悟るとはかぎらない」 とあるそうです。 全編で「オッサン」には厳しいのですが、中高年に嬉しい記述も多々あります。

その一:知能と年齢の関係で、知能とは「流動性知能」と「結晶性知能」に分類され、そのうちの結晶性知能は知識や知恵、経験と共に蓄積されるされる知能で、そのピークは60歳前後とのこと。

 
その二:人生が100年になる時代にあって中年から壮年にかけての時期が素晴らしいものでなかったら、私達の人生はとても暗いものになってしまう。社会的な意義として中高年が輝いていないといけないのです。 

そんな輝ける人生のラストステージは「学び直し」によるパラダイムシフトであり、何かを始めるのに遅すぎることはなく、幾つになってもシッカリと学ぶことが大事としています。 果物であれば、時間を経れば熟成します。 しかし、人は、目標を持って生きなければ歳をとっても熟さないのです。 そのためにはいくつになっても勉強なのです。 中高年に厳しいながらも暖かな言葉であふれ、「オッサン」に心当たりのある方には必読です。



詭弁を弄する弁護士は不要

平成30年12月 4日

こんにちは。 落雷抑制の松本です。


昨日、信じられないニュースを聞いたのは、「煽り運転」で高速道路の追い越し車線に自分の車と後続車を停車させたのに車から出ていて「運転していなかった」ので危険運転に該当しないとのアホな弁護が行われた事です。 この一休さんのトンチを悪用したような弁護、恥ずかしくないのでしょうか? このようなことが認められれば、追い越し車線に車を乗り捨てても「運転していない」のだから許される。そんな馬鹿なことはありません。
 先日、ロンドンで旅客機のパイロットが飲酒で「搭乗前」に逮捕されて、禁固刑となりましたがたとえ搭乗前であっても一連の流れの中で「飲酒操縦」になるというのは現実的な判断です。 高速道路の追い越し車線で車を停車させ、危険な状況に至らしめたのですから下手な言訳は無用です。 運転席からを離れたこと自体、その時点で車の運転を放棄したのですから高速道路の上では危険な行為です。

弁護士が社会的に尊敬を受ける職業であるためには、このようなアホナ詭弁を弄することなく、悪い事は悪いと認めるべきです。 実体はクライアントのため(利益のため)であれば、白を黒、黒を白と「法律的な」御託を並べるアホもいるのです。 弁護士会の中から自浄作用が生まれることはないのでしょうか? これは自らの社会的立場を貶める行為です。

[本当の大人」になるための心理学 諸富祥彦  集英社新書

平成30年12月 3日

こんにちは。 落雷抑制の松本です。

子供の頃、お風呂屋さんで遊びふざける子供たちを一喝する怖いお爺さんがいました。この方、公共の場での振る舞いについて地域の悪ガキの躾までされていました。 今、大した自覚のないまま、自分がそれ位の歳になってしまいました。 昨今のジジイは、昔のジジイよりは「若々しく、元気で活動する」ことに注意を払い、昔は童謡で「今年60のお爺さん」と歌われていましたが、人生100年、定年も75歳という背景の中で、60歳ではまだ若造なのですが、外見だけは若くても、「内面的な成熟」の度合いから言えば、平均寿命の短かった昔、私の子供時代の大人の方が今の自分よりも大人だったのではないかと思います。

人は年齢を重ねて「人生の午後」になり、社会的な役割の減少と共に社会的な野望も消え、時間的な余裕の中で意識が内面に向かうことで自分の人生における使命や役割を問い始め、人格が熟成するそうです。 ところが、定年延長などでいつまでも社会的な役割が継続するといつまでも忙しく、「見かけ」など外的な価値に重点を置き続け、内面的な成長に価値観を置かなくなります。 40歳、50歳を過ぎても「自己啓発社会」の中で自己実現を求めるのは未熟の証で、中高年が問うべきは、「残された時間で何を為すべきか」が重要と説いています。

生きている意味、自分の人生の使命や役割を問い、「これが自分の人生に与えられた使命だ」と言える、自分だけでなく、社会のためになるものを見つける事が大事であるそうですが、人生は私に何を求めているのかを問うべきとは、重い質問です。 社会的な活動をしていても/いなくても、「外面」ばかりでなく「内面」を見つめた本当の「大人」になるためのヒントもあります。  上手に生きることは、難しい事です。

PAGE TOP