株式会社落雷抑制システムズ

雷ブログ

京大変人講座  三笠書房

令和元年 5月30日
こんにちは。  落雷抑制の松本です。

 「変人」とは、大多数の方の社会的な物差しでは「多数派」に属さない人の事でしょうが、これは相対的な事でして、本書に書いてある事はごく当たり前の当然の事と思う私も「変人」の類なでしょう。 並行して走る二つの列車の乗客は、お互いに止まって見えるのと同じ事です。

 子供の頃には誰でも持っていた探求心で「なぜ?」ということを子供の頃には連発しても、成長するにつれ、社会的な事象については、「世の中はそんなものだ」と不条理に対しても、それを受け止めることが「大人の態度」のように理解し、自分を納得させ、角が取れて丸くなることを世間では「成長」と見なすのでしょうが、変人にも色々なタイプがいますが、概して、子供の頃の疑問の心を失わない、ある意味「発達障害」のような心の持ち主なのです。 自分の周囲がこのような人たちばかりであったなら、さぞ、生きやすかったであろうと思います。 横浜育ちで、関東圏の中にしか生活圏を求めなかったのですが、京都大学、魅力的な大学です。

 地球岩石額/サービス経営学/法哲学/システム工学/進化生物学/地球物理学 の先生方が、地球・経営/法哲学/社会デザイン/生物/予測についての語る奥の深いウンチクは、世の中、誰に遠慮することなく定説に惑わされることなく、自分の思うことを突き詰める。これらの先生方は、学問についての評価は分かりませんが、面白おかしく、遊ぶ心も忘れていない点で生き方の名人であることは確かなようです。 ご自分の専門性を幅広い角度で話をする豊かな知識、専門性を支える雑学とも呼べる幅の広さと深さ、この専門性の周囲まで深めるところが「変人」の遊び心の要にも思えます。

ラジオライフ 三才ブックス

令和元年 5月29日
こんにちは。  落雷抑制の松本です。

 書名のとおりラジオ(無線)に関する話題がメインですが、かなりキワドイ内容も含まれ、それだけにとても面白い内容で、よく毎月提供できるものだと感心します。 この7月号では、「紙幣の研究」という特集で、お札に仕込まれた偽札対策が写真入りで事細かく解説されています。 紙幣は日本の現状のものから新しく予定されている新札、外国紙幣にも及んでいます。

また、セキュリティという観点から紙幣だけでなく、運転免許から健康保険証、マイナンバーカードのような公的証明書の脆弱性とその複製、ギフトカード、オコメ券、ビール券のような金券での偽造の見破り方、クレジット・カードの安全対策、バーコードから生体認証の弱点、3Dプリンターによる鍵の複製まで、どちらかといえば、護る側よりは破る側からの観点による解説は非常に参考になります。 自分の机の前に置いて時計のように見えるが実は監視カメラで留守中に自分の机を覗く人の姿を録画したり、USBメモリーに鍵をかけたり、思いもよらないセキュリティ対策品も紹介されています。

この三才ブックスは、月刊誌のラジオライフのほかにも、非常にユニークな本を出版しています。 最初は、書店の店頭での立ち読みでも、一度は覗いてみる価値あります。

富士山噴火と南海トラフ  鎌田浩毅  ブルーバックス 講談社

令和元年 5月28日
こんにちは。  落雷抑制の松本です。

 半分冗談、半分本気で若い人たちに言うのが、高齢者の数少ないメリットは、老い先が長くないという事です。 私の少年時代からの過去50年と今後の50年とでは、あらゆる分野で変化率が大きくなる事でしょう。 私の過去50年は、いくつかの大地震があったものの社会は安定し、戦争もなく、伸び盛りの社会の中で好きな仕事をして今日に至りました。 しかしながら、今後の50年は、自分たちが伸ばし続けてきた技術により人の仕事が制限され、人類が壊し続けてきた自然環境から「しっぺ返し」を受ける時代になります。 そんな激動の時代を今後50年以上生きる、若い人たちに比べれば、そこまで頑張らなくても良い高齢者は恵まれているという事です。

 自然の前に人間のできることは少なく、本書の題名のような「富士山噴火」や「南海トラフ」の動きには何もできません。できることがあるとすれば、大都市への一極集中は止めて都市機能を全国に分散させておくことくらいしかできません。 ところがオリンピックもあり、東京への一極集中はすさまじい勢いで進み、超高層ビルを林立させて、この光景を素晴らしいい発展であると賞賛する人ばかりなのです。 ビルの寿命は、軽く50年以上は機能しますから、人と共に今後50年の変化に曝されます。

 関東は南海トラフからは、距離があるから大丈夫と能天気に考えていると、南海トラフでの刺激が富士山噴火につながる可能性もあるそうで、富士山の噴火による影響は東京の経済をマヒさせる影響が予測されています。 通信機能の向上により、人が物理的に移動し、顔を合わせなくても仕事ができる状況になってきている中での東京への一極集中とはおかしな話です。

まあ、いつ起きるか分からないことを心配していたら一歩も前に進めないのも事実ですが、確率的に起こり得る状況に近付いてきているのも事実なのですから、それに対処しておくのが自然災害大国のすべきことなのですが、概して、この国民は「能天気」。事態が発生しないと動かないのです。 ま、それくらい呑気でないとやっていけないのでしょうか? 長期的な対策というのは、政治主導でなければ動きません。 今日明日のことばかりでなく、今後50年以内に起こり得る確率の高いものについても、長期計画で都市機能の分散を図るべきではないでしょうか? まあ、目先の利益だけで動く人には無理なことですが。。

マス席に椅子を置くことの違和感

令和元年 5月27日
こんにちは。  落雷抑制の松本です。

 来日したトランプ大統領。 日曜日の夕方には国技館で相撲の予定だそうですが、ナント、マス席に椅子をしつらえるとのことですが、それを見てみたいものです。 まあ、72歳が高齢かと言えば、特例を設けるほどの高齢でもなく、それよりも、マス席にいすを用意するのに違和感を覚えます。 車椅子用の場所を特別に用意するなら分かりますが、ゴルフを回るくらい健康で歩行にも問題がないならマス席には座っていただきたいものです。 マス席は4人様なのですが、確かに大人4人には少し狭く、昔の体格でしたら4人用かもしれませんが、肥満気味が多い現在、4人様にはチト狭いのが正直なところで、トランプさんの体格であれば、お二人様用でしょう。 そこに正座は無理でアグラも無理、しかし、俺様は世界に影響力のある米国大統領であるから椅子席を用意しろとは果たして大統領側からの要求なのでしょうか? 見に来ていただきたいばかりに日本側の提供した特例なのでしょう。

 相撲界は伝統を重んじ、土俵の上には女人禁制などを護っていて、これはこれで、文化なのですから、ここに男女平等を持ち込もうとする方がムリ筋とは思いますが、同様に観戦する側も自分勝手なことはしないで欲しいいものです。 金と権力があれば何でも許されるのではなく、マス席で見たいならせめて座布団を重ねるくらいにして椅子など持ち込まないで欲しかった。 椅子席はあるのですから、マス席に座り込むのが嫌なら、椅子席に行けば良いのです。 まあ、「伝統」などというのは時代の要請でいくらでも変化しますから、ムキになるほどの事もありませんが、相撲の「伝統」というのもその程度の事です。

このような特権を与えることが、今の日米関係を象徴しています。 戦後は終わっていなく、米国支配が続いていることの象徴のような相撲観戦です。 これが世界の現実として、まあ、めったに見る事のできない光景ですから「ありがたく」拝見することにします。

まんが 医学の歴史  茨木 保   医学書院

令和元年 5月24日
こんにちは。  落雷抑制の松本です。

 一年前のブログの再掲載です。 人間、生きている以上、ケガや病気はつきものですから、それらのトラブルにどう対処してきたかを4大文明のそれぞれに遡った時代から、現代のクローンに至るまでの医学の発達についての解説なのですが、医学博士でありながら漫画の腕もプロ並みで350ページの大作なのですが、内容に惹かれ2回で読み切りました。 全ての職業人は自分の業界の歴史について知るべきと思っている私には、まさに業界人(医師)の鑑のように見え、かかりつけ医師になっていただきたい思いましたら、オット、レディースクリニックの先生でした。

 今でこそ、人体がどのように構成されているかについての大よそは子どもでも知っているようになりましたが、動物の解剖から始まって人体の解剖が堂々とできるようになったのは、まだ、人類の歴史から言えば最近の事で、死刑になった罪人や、一般の人のお墓を盗掘してまで解剖する死体を求めた熱意にはビックリします。 死体を解剖し、人体の構造を知ることは医学の基礎とはいえ、当時は反道徳的なことであり、真理に到達するには社会の掟をも破る先人の熱意、当時は「狂気」と取られても仕方のない時代でした。

 本書の中で紹介される私の知っている科学者は、「フックの法則」のロバート・フックですが、「ボイルの法則」のボイルの助手をしながら精密な顕微鏡を作り、顕微鏡でしか見えない世界を紹介し、ミクロの世界を切り開いた功績で英国の王立協会の会員になって科学者の地位を固めたそうですが、ニュートンとは気が合わずニュートンは、パワハラのヒドイ仕打ちをしたそうです。これが「ハレー彗星」で有名なハレーとの親交等も紹介され、知っている人の昔話は300年前の事ですが最近のTVで聞いたような話で、歴史は繰り返す、科学は進歩しても人間は進歩しないものです。

 当時も今も、人命を救ってくれる医学には、今から見ればトンデモない方法であっても、常に社会では権威ある世界で、そこに新しいアイデアを持ち込むことは非常な困難を伴ったのです。 これはおこがましい話ではありますが、弊社のPDCE避雷針に対して昔ながらの避雷針を進めている方々の妨害工作など今でも綿々として行われていますので、これまた、「歴史は繰り返す」なのです。 まあ、昔の方の苦労に比べれば大したものではありませんが。。。 そういう意味でも先駆者の苦労は日ごろから感じることなので、医学の進歩の裏側であった旧勢力と新勢力の争いなども身近なできごとですから、とても他人事とは思えませんでした。

 医学書院さんは、名前のように医学が専門でしょうが、こんなに柔らかいものまで出版されていたとは見上げたものです。 避雷針屋にとっては、知らなくても良い事ばかりですが、仕事に関係の無い事でも知ることの楽しさを満たしてくれ、非常に面白い内容です。

向上した英語力  JR東海 あと一歩!

令和元年 5月23日
こんにちは。  落雷抑制の松本です。

新幹線の車内で、次の停車駅を伝えるアナウンス、英語については今までは録音した女性の声でしたが、最近は、車掌さんがご自身で日本語の次に英語でアナウンスするようになりました。まあ、中学生程度のアナウンスですから、遅すぎた位くですが、実践することが大事ですから、これは大きな進歩です。 発音など別に「日本流」であって良いのです。「L]だ「R]だ、単数か複数か? 「a」か「the」かなどを気にしすぎ、発言できなくなってしまうより、「細かな間違いなどどうでもいい」と開き直ることが先決です。  それができるようになった後、細かな所に気を使えば良いのです。まずは、発言するという事で車掌さんの英語でのアナウンス、よくやりました! 飛行機のCAさんもしていることですから、新幹線の車掌さんにデキナイハズがありません。

ただ、次の停車駅とドアが右か左かだけであれば、簡単なのですが、時に、突発的な事態が発生します。 これも、起こり得る事として、練習しておくべきです。 日本に来る外国人の方々は、「Japan Rail Pass]と称する格安切符を事前に購入できますが、これは新幹線「のぞみ」には使えないのです。 先日、「のぞみ」に乗車していましたら、発車寸前に車掌さん「Japan Rail Pass CAN NOT this train!」と慌てふためいて叫んでいました。 日本に慣れない外国人であれば、 Can not の後ろに動詞が無ければ「Can not What?](何ができないのよ?)と思います。 日本人である私には、「そうか、あの切符では「のぞみ」には乗れないんだ」と即、理解できますが、車掌さん、外国人が普通切符で乗り込んでくるのか、この「Japan Rail Pass ]で乗ってくるのか? 乗車時によく判別がつくものであると感心しながらも、あと一歩、色々な経験をしながら、恐らく年内にはこの車掌さんの英語力も改善するであろうと思いました。

では、この場合、何と言えば良いのか? 私が車掌さんであったなら、何と言うべきか? 発車寸前の事ですから、なるべく短く表現するなら、Japan Rail Pass is NOT available for this train "Nozoomi". かな? 列車がまだ始発駅で発車までに時間があれば、主語はやはり「乗客」でしょうね。。Passenger with Japan Rail Pass is not allowed to get on supper Expertness Nozomi かな? などと、久々に英作文の暇つぶしの時間となりました。


いやでも「物理」が面白くなる  志村史夫 講談社 ブルーバックス

令和元年 5月22日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

志村先生、同じ時期に、「いやでも「物理」がも面白くなる」と「いやでも「数学」が面白くなる」の2冊を書かれていて、どちらも大げさな数式を使用せずに物理も数学も身の周りの身近な話題として優しく解説しているのですが、用語の定義については、キチンと筋を通され、たとえば、「速さ」と「速度」の違い。 これなど同義語として理解していても日常生活には大きな問題になりませんが、物理学的に言えば、「速さ」は「スカラー」で、「速度」は「ベクトル」。 

車の「速度計」という呼び方は、物理学的には間違いで「速さ計」というべきなのは、車は進行方向がアチコチで、たとえ同じ「速さで」運転していても向かう先が異なれば、「大きさ」と「方向」を表す「速度」という用語を用いるのは正しくなく、「速さ計」と言うべき。 こういう偏屈ジジイのようなご意見、大好きです。 ちなみに、英語で「speed]と言えば「速さ」、「velocity]と言えば物理学上の「速度」で、二つを区別しています。 まあ、日本語では、「スピード」も「速さ」も「速度」も違いを意識して使用している人はあまり多くはおられないでしょうが。。。

博識の志村先生は、熱力学の話も面白くされていて、「熱」と「金(カネ)」は似ている。熱は移動して温度変化を生じた時に熱としての仕事をしているが、お金も持っているだけではなく、それを移動させた時、即ちお金を使った時にそのありがたみが分かる訳で、両者は共に似ているが、熱は高い方から低い方にしか流れないが、お金はその所有が少ない「貧乏人」から「お金持ち」へと流れるところが自然界の大法則である、高い所から低い所に不可逆的に流れるのとは異なる不条理をみせている。 そこが、自然界は美しく、人間界は美しくないという思いをを強くする。。。これが如何にも物理学の先生の感想です。

学校時代に物理が好きであった方であれば、本書で解説されている程度の事は全てご存知かと思いますが、これは氷山のようなものです。 本書に述べられたことは水面に浮かんでいる部分。 これを表現するための知識は、水面下で全体の重さを支えている部分よりもさらに大きくなければ、このような易しく、面白く解説することはできません。 この易しく解説しようとするサービス精神に先生のお人柄も表れています。 ブルーバックスは、良い本を出版してくれていまして、私は、30年以上、毎月の新刊は楽しみにしています。 このシリーズ、大げさかもしれませんが、日本の宝の一つと思っています。

膝痛 と 足の指

令和元年 5月21日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

日曜、朝の健康番組で「足の指」の大切さについて実験を含めた内容を見て、早速、実践しました。 番組では、足の指の体操でしたが、効果が出るまでに時間がかかるとのことで、私は、歩く時に足の指に力を入れ、大地を踏みしめる意識で歩いてみました。 いつもは5分歩くと痛んだ膝がほぼ一日中歩いていましたが、ほぼ痛みはゼロでした。 これにはビックリです。 私の膝のトラブルは、もう、10年以上ででこれを治したいと、各種のサプリ、医薬品、ヒアルロン酸注射、針にマッサージと色々試みましたが、その時は少しは良くなっても完治することはなく、半ば諦めていましたが、健康番組での紹介も馬鹿には出来ません。

手の指は、このブログを書くにもキーボードでお世話になり、目の前にありますから、毎日の活躍状況は理解していますが、足の指は爪が伸びてきた時に面倒だと思いながら爪を切るくらいでほとんど意識したことはありませんでした(足の指さんゴメンナサイ)。 人間の体に無駄なものなど一つもなく、普段役に立っているかどうか分からないものまで、本当は役に立っていて、その使い方に間違いがあると体のどこかに不調が現れる微妙なものであることも再認識しました。

同じ膝痛とは言っても原因は色々でしょうから、効果のほどは保証できませんが、足の指を意思をして歩く位は、誰でもタダでできますので、膝の痛みのある方には一度試みる事お勧めです。

国宝「曜変天目」を見てきました。

令和元年 5月20日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

友人に誘われて「曜変天目」を見に行きました。 「漆黒の肌に、満天の星月夜を思わせる星紋」とのコピーの如く、美しいものでした。 ただ、これはあくまでも自然の産物であり、人が作った茶碗であっても釉薬ごどのような文様になるかは神のみぞ知るで、それだけに貴重なのでしょう。 

私は、この茶碗もさることながら、数メートル離れた休憩用の椅子から、これを見に来た人を観察していて、その真剣な眼差しに驚きました。 「曜変天目」は、透明ケースの中に入れられ、四方から観賞できるので、ケースに顔を近づけたり、単眼鏡でのぞき込んだり、常にケースの周りには人が入れ代わり立ち代わりが絶えないのですが、ケースに顔を近づけた人の息でケースに曇りができると、係の方がタオルでそれを直ぐにふき取る細やかなケアがされていました。 もちろん、皆様、無言のまま押し合う事もなく整然と入れ替わるのです。 「曜変天目」に魅せられる人々がこんなにいるとは、日本の文化程度の高さを示しています。

これを展示していた静嘉堂文庫美術館は、初めて行きましたが、ここにもビックリでした。岩作彌太郎の弟の弟である岩﨑彌之助(1851~1908、三菱第二代社長)と岩﨑小彌太(1879~1945 三菱第四代社長)の父子二代によって設立され、国宝7点、重要文化財84点を含む、およそ20万冊の古典籍(漢籍12万冊・和書8万冊)と6,500点の東洋古美術品を収蔵しているそうです。 二子玉川から車で数分の山全体がこの美術館で、庭園にはうっそうとした木立があり、東京にこんな自然が残るとは稀有な場所で、「曜変天目」と言い、この「静嘉堂文庫美術館」と言い、知らずにいた私に、誘ってくれた友人に感謝の一日でした。 

横浜開港祭 アメリカ合衆国海兵隊音楽隊

令和元年 5月17日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

横浜開港祭のイベントの一つとして、ホワイトハウスの大統領付きである海兵隊音楽隊と陸上自衛隊中央音楽隊による演奏を聴いてきました。

1854年の日米和親条約締結のためにペリー提督は、アメリカ海兵隊音楽隊をを引き連れてきたのが、日本での吹奏楽の始まりだそうで、ここ横浜はブラスバンドの盛んな街なのです。 かのスーザも、この海兵隊バンドの隊長をしていたこともあるというので、スーザのマーチを沢山聴けるのではないかとの期待は残念ながら叶わず「星条旗よ永遠なれ」「と「海を越える握手」の2曲だけでした。

日米両国の最高峰のブラスバンドなのですが、軍楽隊の両隊長は、さすが、音楽大学の出身者であり、軍人というより音楽家ですから、血沸き肉躍る行進曲というより、より芸術性の高い曲を好まれるのでしょうか、単純武骨、古典的なマーチでなく、普通のオーケストラに対抗するような選曲でした。 最初の「君が代」の演奏の時は司会者の言葉で全員起立しましたが、アメリカ国家の時も、誰に言われることなく全員キチンと起立して聴いたのも日本人の民度の高さの現れの一つでした。

最後は、この二つのバンドが一緒に見事な演奏でした。スーザ・マーチが少なかったのは残念でしたが、非常にレベルの高い演奏で、やはり日米両国の最高峰であったと感心しました。 ペリー艦隊の随行音楽隊が横浜に初めて上陸してから165年ぶりということであれば、当時の軍楽隊は、もっと簡素な編成であった事でしょが、それを再現して見せて、かつ、聴かせていただきたかったのは残念でした。 音楽家であるから、芸術性の高い曲を目指すのは当然でしょうが、そういうことはプロのオーケストラに任せればよい事で、「軍楽隊」という観点からは、芸術性などどうでもよく、勇壮なマーチを本分とすべきと言いたいところですが、両軍楽隊とも「戦い」とは無縁な「音楽隊」ですから、この上品さは仕方ない所かもしれませんが、「軍楽隊」としては、何かイビツなところを感じさせる両「最高峰」の「音楽隊」でした。 また、両音楽隊には「歌姫」がおられて、美声を披露していましたが、音楽活動の領域をそこまで拡げると、これまた「軍楽隊」ではなく「音楽隊」。 北朝鮮の「喜び組」を連想させます。 民間の商業活動であれば、活動範囲をどう広げようと自由ですが、本来は軍隊の一部隊である「軍楽隊」なのですからレパートリーの広げ過ぎではないでしょうか?

再掲載  「遺言 私が見た原子力と放射能の真実』服部禎男  かざひの文庫

令和元年 5月16日
一年前のものですが、もう一度読んでいただければ幸いです。  この一年、日本のエネルギー政策について、原子力について、どうするのか真剣な議論の無いままです。 その間、隣国では新規原発の開発が進んでいます。 人気取りにはならない話題ですが、日本の将来には大事なことで、避けて通れば、失った時間を取り戻すことはできません。

こんにちは。  落雷抑制の松本です。

せっかくの内容であるのに題名が「遺書」では、原子力関連の分野で仕事をし、服部先生のお名前を知っている人以外には題名からの訴求力が限定されてしまいます。 まあ、遺書と言う題名は、服部先生のせっかくの研究に陽が当たらずに、世の中も一部の左巻き学者、アホな政治家とマスコミに扇動されたアホな国民の原子力に対する理解が深まらない事への残念な思い、これだけは言っておきたいというお気持ちは充分に理解できるところではありますが。。。

電気と言うのは有難いエネルギーでして、電気があれば、公衆衛生も向上し、世界中で生活レベルを向上できるのです。 福島の事故以来、日本人の心は委縮し原発問題を単なる国内問題ととらえていますが、日本のような技術を持った国は世界のエネルギー問題に積極的に解決策を提供すべきなのです。 原発事故があっても停電にならないから、原発は不要であるような単純な理解の陰で、火力発電が支えているのですが、全世界的に見ると化石燃料による発電で大気汚染で年間700万人が亡くなっているという報告もあります。 単に、日本の国内問題としてでなく、世界に安全でクリーンな方法で電気を届けるのは先進国の使命なのです。

原子炉と言うのは、現在使用されている大型の軽水炉だけでなく、色々なタイプがあるのです。この軽水炉は、原爆の材料のプルトニウムを作る目的に開発されたものですから、副産物としてのプルトニウムを管理する問題が出てきてしまいますが、原発の全てがプルトニウムを作り出すわけでもなく、日本の現在の状況は、大型トラックが事故を起こしたから、乗用車からバスまで、全ての自動車は危険であるから使うなと言うのに等しいのです。 日本だけが、原子力を忌避している間に、中国やロシアは原子力技術をすすめ、我々の生きている間には現れないかも知れませんが、50年もしないうちに、エネルギー源の不足で日本は太刀打ちできなくなるかもしれません。 エネルギー問題は、自分たちの世代だけの問題ではなく、将来世代、発展途上国迄含めた大きなことなのですが、心が委縮した現在の日本は、自ら将来に対する可能性の扉を閉めてしまっているのです。

服部先生は、日本の原子力のスタートの時代から特に安全性の面で関わってこられたそうで、1基あたり100万キロワットも発電する大規模なものでなく、20万キロワット程度の安全な原子炉は暴走することも無く、燃料棒の入れ替えも必要が無い、それは米国では既に実証済みですし、最近の米海軍の原子力潜水艦や空母も、燃料の詰め替えは必要のないものに変わってきています。

放射線についても、日本ではむやみに怖がる方が多いのですが、世界中には自然放射線の多い地域、日本でも秋田県の玉川温泉や鳥取県の三朝温泉、あるいは街の健康ランドにあるラジウム温泉のように自然放射線を特長にした温泉で病気が回復するように放射線を全てダメというのは全く馬鹿げた話なのです。 福島で除染して集めた土ですが、あれも日本全国で薄くバラまけば、日本中が「健康ランド」になるのです。 もし、販売していただけるものなら購入し、私も家の庭に撒きたいくらいです。 あれはゴミではなく、貴重な資源なのです。

政治家は国民の顔を見ながら主張をかえますから、国民自身がマスコミに踊らされるのではなく、科学技術に関心を持ち、感情的に判断しない事が肝要です。 国民のレベルが国の将来を左右するのです。 我々の子孫が100年、20年先にも世界で不利な状況にならないように、それは現在の方向性が大事なのです。 不安定な自然エネルギーよりも安定しているのは原子力なのです。 今のままでは、我々の子孫は辛い目に合う事になるでしょう。 原子力を過剰に怖がってしまったアホなご先祖のお陰で。。。

あるお役所からのアンケート依頼

令和元年 5月15日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

あるお役所から、自分達の活動について外部からどのように見えるのか、アンケートに協力してくれないとの要請がありましたが、お断りしました。 自分の活動がどのように受け取れらているか、そんなことが心配であるなら、そんなに自信のない事はやめてしまえばよいのです。 「国民の皆様の声を真摯に受け止め。。。」などと言われるのですが、国民の各人の受け止め方は人それぞれ。その中庸な答えを得るために、統計的には両極端の数字を切り捨て、平均的なところが国民の声となるのでしょうが、そのような茶番に付き合わされる方が迷惑です。

アンケートは、用紙の数は2,3ページの簡単なものでお時間を取らせませんので。。と言うのも偏屈オヤジからすれば、本当に調査する気があるなら、そんなに簡単な浅いアンケートでなく、面談でシッカリと声を聴く調査をすれば良いのです。 そこで、「簡単なアンケート」と言われると軽くあしらわれている感じで、「簡単」であることは少しもプラスの要素はないのです。 そんな簡単なアンケートで何が分るの? 何が知りたいの? と仕事に対する取り組みの姿勢を疑ってしまいます。 相手に負担をかけないように「簡単」と言っているのでしょうが、本当に必要なものであればトコトンやり、簡単に済む程度のものであれば行う必要性も薄く、「簡単」なアンケート調査など手抜き仕事のように思えます。

ある調査機関の方から聞いた話ですが、アンケート調査のようなものは依頼する会社自体がするよりも、外部の調査機関の行ったものの方が、たとえ同じ結果であっても評価されるそうです。 社内で身内の者が行った調査より、外部の方が信用できるそうで、その費用もなるべく高い方が良いそうです。 ブランド物の高い方を好むというのは、まるで高級化粧品の世界です。 金額で信用するという事は、内容にはあまり興味が無いという事なのでしょう。 となると、これも無駄な仕事なのかもしれません。  仕事というのはすればよいのではなく、する意味があるのかを考えてしていただきたいものです。

知ってはいけない  現代史の正体  馬渕睦夫

令和元年 5月14日
こんにちは。  落雷抑制の松本です。

駐ウクライナ大使であった馬渕さんによる「ブッチャケ」話です。「歴史は小説より奇なり」と言われるように、色々な事件の裏には教科書で解説されていたり、マスコミが報道したりする以外の「マサカ」の話が沢山あるようです。

トランプ大統領の「アメリカ・ファースト」についても、その深い意味は、アメリカの政治をアメリカに取り戻すことを意味しているそうで、それではアメリカの政治は誰のための政治であったかと言えば、必ずしもアメリカ人のためではない例として、ベトナム戦争の裏話が解説されています。米軍が手を焼いたベトコン。 当時、世界最強と言われた米軍を総動員しても弱小の北ベトナムに勝てず、ついにはベトナムから追い出されました。 当然、北ベトナムは中国、ソ連から援助を受けていたのですが、そのソ連も台所事情は厳しく北ベトナムを援助する余裕はありませんでした。 ソ連に対しその資金を出していたのは実は米国で、アメリカの青年を戦場に送りつつ、その交戦相手にもソ連を介して資金援助していたとは、ベトナムで戦死したり、負傷した米国兵は全く気の毒です。

予算の支出項目は膨大な数で、その名目も「ソ連の北ベトナム支援予算」などとは単純で分かりやすい名目などにはせず、何に使用されるのかは容易には理解できないような名目になっていますから、それを目論む一派から上手く利用されていたのです。 本当は、米国民のために使用されるべき予算が敵国の応援のために使われていたのです。 そういうことをする一派から、政治を取り戻そうとする掛け声が「アメリカ・ファースト」でもあるとのことです。

政治が必ずしも国民のためではないといえば、日本でも国民の借金が一人当たり800万円もあるというのもウソの話ですから、国民は簡単にダマされるのです。 その借金返済のための増税なども、つじつま合わせのデッチ上げ話で、こういう話が蔓延するところを見ると、米国のソ連支援の話も「マサカ!」とは思えないのです。 米国だけでなく、日本においても政治の全てが国民のためという事ではなく、「国民のため」と言いながら実はトンデモナイ政策にも予算は孔子されるのです。 国という大きなくくりの中にも、利益が相反する団体はいくつもあり、その中で政治を上手く利用する特定団体に利益が誘導される仕組みについては、世界中が同じなのです。。

その利益誘導を大きなスケールでしているのがが国際政治で、その裏側は恐ろしいい話で一杯です。 素人の判断をはるかに超えたことが平気で行われる世界ですから、国際情勢についてはマスコミだけを信じて軽々には判断できません。 「フェークニュース:(偽ニュース)というのは、トランプさんの気に入らないニュースだけの事ではありません。 現に日本においても、朝日新聞により慰安婦のニュースなど日本のマスコミも意図的な捏造記事を出しています。 そして、一人当たり800万円を超える借金があるというのもフェークニュースなのですから、我々の身の周りはフェークで溢れているのです。

どっちが良いのか、悪いのか?

令和元年 5月13日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

先日の新天皇の一般参賀に集まった14万人もの人が、押し合って喧嘩をしたりすることなく、静かに粛々とれを列を進める様子を見て、それだけで感激したという外人さんは少なからずいたハズです。 大勢の人がオシャベリすることなく集団をキープできるのは外国では軍隊しかできない事で、日本人であれば当然の事なのですが、この風景、素晴らしいとみるか不気味とみるか、とにかく外国で見ることの無い景色なのです。

長年、NYに暮らしている人が東京に一時帰国して電車に乗ると、これまたビックリなのが、乗客の日本人が静かでお行儀が良いことだそうです。 そういえば、何処の国であったか忘れましたが、電車の中で大道芸人が小さな芸をしながら、小銭を集めている光景を見たことがあります。 また、他人の目など気にすることなく、大声で自分を主張すると、日本人の眼からは「周囲に対しての配慮の足りない」のは、外国にいけば、反対に日本人の自己主張が足りないだけのようにも見えます。

電車の中では周囲への配慮で大声を出さないやや気取った日本人。 日本人からはガサツに見える自己主張の塊のような外国人。 在来種のメダカのような日本人とブラックバスのような生命力の強い外来種の外国人。同じ器の中に居れば、メダカが喰われてしまっても仕方ありません。どっちが良いのか、悪いのか?  

周囲についての配慮をする、大げさな自己主張をしないというのを「短所」ではなく「長所」としながら、アクの強さにも負けないタフな日本人。多様性が高まる中で、日本の良さを生かしながら、ブラックバスに負けない耐力を養う。 日本人がチャレンジしなければならない事は沢山あります。

理想と現実のギャップ

令和元年 5月10日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

理想や夢を語る政治家は、優しく愛にあふれた善人にみえます。 米国民主党の「貧困や迫害を逃れてやってきた人々は差別なく、すべて受け入れる。これが移民国家アメリカの原点であり、また、あるべき姿だ」。治安に自ら携わっていない方々は、このようなユートピアを理想の姿とします。 欧州での移民/難民の受け入れを主張する人も同じように寛容な方々です。 政治家にとって、夢や理想は必須のもので遠い目的地への道しるべとしては大事な要素です。

しかしながら、もう一つの大事なポイントは、現実を直視することです。 現実を見ずにユートピア論を振りかざせば混乱をきたします。 海で溺れている人が10人いて、ボートには3人しか乗れなければ、10人の中から3人しか助けられないのは仕方のない事で、それを10人全員を助けようとするからボートが転覆してしまうのです。 優先度からすれば、現実論を優先し、理想論は2番目のハズなのですが、いつまで経ってもその優先度を付けられない子どものような大人が理想論ばかり語るのは困ったものです。

誰でも、社会インフラの整った安全/安心な地域で暮らしたいことでしょう。 しかし、国を捨てて他国に移るのではなく、自分の生まれた国をそういう理想の国へと作り上げるのが国民の使命/義務であるのに、国が内戦状態であるからと、これを放棄して他国に逃げ出す人を「気の毒、可愛そう」ということで受け入れていれば、その国の発展を妨害しているだけです。 日本にも、米国にも、欧州にも過去に内戦状態はありました。 それを乗り切って今があるのです。 政府軍でも反政府軍でも、どちらでも構わないので国に残って戦いにケリを付けるべきなのです。 物理的な時間は世界中で同じですが、文化的な時間の経過は国により異なり、内戦状態の国々は、日本の500年前の戦国時代を今、経験しているだけの事です。

その難民を先進国は、安い労働力として使うための詭弁として「人道」と上から目線で援助するのは偽善の塊のようなものです。 その偽善により難民の数が増加しが国内でトラブルの元になっているのですから、「臭い臭いは元から断つ」で、人の移動の自由など認めてはいけないのです。 貨幣を共通化するとか、人の移動を自由にするとか、ユートピアを目指すEUは遠からず失敗することでしょう。 労働力の不足は、高度な機械化、無人化により解消すべきで、安い他国の労働力に頼るべきではないのです。

理想と現実のギャップは、現実を優先させるべきで、日本の周囲にも日本に敵視する国ばかりなのですから、「軍隊や戦争の無い」ユートピアを目指すよりは、憲法を変えて他国に攻め込まれない十分な軍備を備えることは絶対に必要なことです。 これは政治家ばかりでなく、一般国民も偽善的なユートピア論と決別し、現実に即した政策を支持しなければなりません。 いずれ、災いが降るかかるのですから。。。

非認知的能力

令和元年 5月9日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

先日、[小学一年生]の見本誌を頂いたのですが、その付録として保護者向けの小冊子「はぐくむ」(小1ママ&パパのための情報マガジン)が付いていて、そこに「非認知能力」とありまして、「非認知能力って何だ?」と思って調べてみるとどうやら「非認知的能力」のことで、数が分る、字を書ける、図形の組合せなどが分る、といったような測れる力を「認知的能力」と呼ぶ一方で、IQなどでは測れない、例えば、目標に向かって頑張る力、他人との関わりをうまくできる力、感情をコントロールする力などを「非認知的能力」と呼び、最近の幼児教育では、この能力を発達させることが重要であると認識されているとのことです。

幼児教育など門外漢の私の感想は、何を今さら当たり前の事に偉そうな名前を付けて「認知的能力」「非認知的能力」など言葉遊びをしているのだろうと思いましたが、全ての学問というのはそういうものです。当たり前に思っていることにも、名前を付けて「分類」する。分類は全ての基礎なのですが、幼児教育の専門家からそのような講釈を聴く前から、人間の能力は学力などでは測りきれないことは誰でも知っていることです。 人は測定した値を信じ込みますが、測定というのは測定器の性能以上の事は測定しきれないのです。学力試験も試験問題の範囲内での話であり、学校の成績が悪くても、社会で大成する人は珍しくもなく、反対に、学校で優秀であった方が社会で素晴らしいい活躍をするとも限らない。。 そんなことは誰でも知っていることです。その測れる学力を離れて、それ以外の能力の重要性に気付くのは遅ればせながら大切なことです。

企業においても、評価される側の人間は一方的に上司からなされる評価について不満であっても受け入れざるを得ない場合が多いのですが、営業の売り上げなど数字で示されるもの以外は、多分に評価する側が有利なのですが、評価も両方向性で、どう評価するか? という事が評価する側への評価でもあるのです。 サラリーマンたるもの、納得のいかない評価など気にする必要もないのです(ただし、数字で示される客観的なものについては、潔く認めねなりませんが)。 相手はその器の範囲内で自分を評価しているに過ぎないのです。 大きく言えば、小さな器で大きな器の容量は測定できませんし、細かなところで言えば、相手が持つ「分解能」以下の細かな精度も測定できないのです。 全ての人が持つ「物差し」は、みな同じではないのです。

評価については、アホな上司には自分の事など分からないと思って気に留める必要はないのです。先ほどの専門用語で言えば、上司の評定は彼の「認知的能力」の範囲内で、評価される自分の「非認知的能力」など上司に理解できるハズもないと思って自己研鑽に励めばよいのです。 私は、そのように思っていますし、我が子の能力については共に生活して分かっていますから、学校の成績にもほとんど注意したことはありません。 学校での成績など取るに足りないもので、そのようなことに一喜一憂するだけ時間の無駄なのです。 などと言っているので、愚息は大学入学後、好きなことばかりして留年しましたが、それはそれでいいのです。 好きなことに専念する情熱こそが大事なのです。 私自身も「人様による自分の評価」など気にしません。 自分の評価については、長年付き合ってきた自分を客観視する「もう一人の自分」に尋ねるのが一番です。 私の場合、「すべき時に必要な努力をしていない」という事で5段階の2.5というところですね。

HPのキーワード

令和元年 5月8日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

質問を受けましたので、前回のHPのキーワードについての補足です。

ネットで検索すると検索したキーワードにより最初に広告、次に広告ではない弊社のようなHPがリストされます。 広告は広告料を支払ってリストの上位に表示されるようにしているのですが、その時のキーワード、これはHPには表示されませんが、全てのHPにはキーワードが含まれ、それが検索の対象になります。

ですから、例えばの話ですが、日産のHPの中に「トヨタ」というキーワードを埋め込んでおけば、「トヨタ」のHPを見たいと思ってネットで「トヨタ」と検索すると、「トヨタ」のHPよりも上位に「日産」の広告がリストされ、多くの人はリストの最初にあるものを選びますから、「トヨタ」にたどり着く前に「日産」に寄り道してしまい、あわよくば自分のお客に。。。 という算段です。  もちろん、「日産」も「トヨタ」もそのような海賊行為は自社のプライドにかけてもしません。

ところが、弊社のように新しいものを作り出し、これがうまくいっているのを見て後から参入する会社が増えた業界では、プライドなどより自社のHPに誘導することを第一に、登録商標である弊社の社名を使って自社のHPに誘導するためのキーワードとして使う破廉恥な行為をする会社があるのです。 もちろん、弊社の販売代理店であれば問題ありませんが、多くは類似製品を販売しようとする会社です。まさに「人のフンドシで相撲を取る」と言う表現がぴったりの行為です。

そのような「矜持」、「プライド」を持たないで、ただ売れば良いというような姿勢の会社の製品がマトモである訳がありません。 多くは、何も知らないままに製品を販売しているのですが、内容を知らずによく販売するものだと思います。 自社がリストの上位にでることで「してやったり!」と思っておられるのでしょうが、これは自社がワザワザ広告という費用をかけて「海賊行為」をする三流会社であると表明しているようなもので実は「ミットモナイ」事をしている会社であることを自ら表明しているのです。 これはマトモな商行為でしょうか? 私は商標権の侵害、犯罪行為であると思います。


これは、経営者の判断ではなく、アホな担当者がしていることでしょうが、単にITスキルの問題ではなく人間性の問題ですから、そういう社員の意識を向上させるのは難しいものがあります。 昔は経済的には貧しくとも、ラジオから流れる浪曲などで「槍は錆びてもこの名は錆びぬ」、「ボロを着てても心の錦」など、人の心の持ち方について自然と教育されたものですが、目先の利益のためなら手段を択ばない「心の貧しさ」。 会社の問題というより、業務担当者の個人の資質の問題です。 よほどのブラック企業以外は、会社としてそのようなセコイ事を方針とはしないでしょう。 「良い事」なのか「恥ずべき事」なのかの判断がつかないのは、年齢に関係なくジジイにも結構いるのは残念な事です。

令和元年 皇紀2679年  皇紀も用いるべき

令和元年 5月7日
こんにちは。  落雷抑制の松本です。

新天皇の即位を大勢の方が祝福したのは嬉しいことです。 天皇制については、大東亜戦争の件で不満をお持ちの方もごく少数おられますが、そんな70年前の話よりもはるかに長い歴史があるのです。 その歴史の長さだけ見ても、日本の文化として大切にすべきなのです。「令和」については異議ありませんが、「皇紀」を復活させる機会を逃したのは残念なことです。

戦後、戦前のものは、占領軍の政策でことごとく「悪」とされ、敗戦で意気消沈、落胆した国民が、皇紀から西暦への切り替えも素直に従ったのは理解できますが、70年以上が経過したのに、未だにその洗脳から目覚めない方々いるのは残念なことです。 日本には神武天皇から数えた立派な暦(皇紀)があり、戦前はに日常生活の中で使用されていたのです。

世界を支配しているのはキリスト教ですから、キリスト生誕から数えた西暦が世界で広く使われていますが、世界の暦にはいろいろあり、イスラム教の「イスラム暦」があり、ムハンマドに関連し、今年は1441年です。  仏教にもお釈迦様が入滅された年から数えるのがタイ、カンボジア、ラオス、入滅後の一年後から数えるミャンマー、スリランカなど、世界中でその国の文化として独自のものが使われています。現在は、それぞれ、2563年、2654年です。 我が皇紀はそれより古い2679年です。

そのどれを使うかなどと言えば争いになりますから、相手に会わせて何を使用しても構いませんが、日本国内では堂々と皇紀を使えばよいのです。 神武天皇以来の「平成」までの元号の積み重ねですから「平成」「令和」を認めるなら、各年号の累積値として紀元として「皇紀」を使って何が悪いのでしょう? 平成6年に定められた「公文書の念表記に関する規則」では、原則として元号を用い、西暦による表記が適当である場合には西暦を併記する」となっているのと、新しい元号についての法律は制定されましたが、西暦に関する新しい法律はなく、長期的な記年法としては 「皇紀」こそが日本で法律で制定されている年表記だそうです。

ただ、戦勝国による占領政策により、西暦が多用されていますが、そのような戦争後遺症から脱却して紀元を使うべきです。 もちろん、海外との取引で相手に合わせた西暦が多い事でしょう。 全てを皇紀に代えろと言うような無茶なことを言っているのではありません。 各国は独自の年号を用い、それらの国との取引においては、相手に合わせるという非常に寛容な話をしているだけです。

日本の人口構成比からしても、仏暦でなく、少数派のキリスト教の暦が暦が使用されていることに何故、違和感を持たないのでしょう? 日米地位協定という不平等条約があるのと同じ理由で、西暦が蔓延しているのです。 まあ、これは敗戦国として仕方のない事なのですが、沖縄の知事さんも,そのうちの一部である普天間/辺野古で文句を言う前に、西暦についても文句を言うべきです。 敗戦が不条理の原因となっていることは多々あります。 そのうちの部分についてのみ文句を言うのではなく、全てについて改訂すべきなのです。 ただ、これには時間がかかる。。。戦争に負けるとはそういう事なのです。

「零戦」は、あまりに有名ですが、何故、「ぜロ」という名称がついたか? これは、皇紀2600年に開発されたので、2600年の下2桁で「ゼロ戦」となりました。 これが、現在では西暦の下2桁が用いられ、1974年に開発された「74式戦車」、同じく1990年の「90式戦車」、2010年の「10式戦車」と命名法だけは生き残っています。 来年、2020年は皇紀2680年の節目です。 皇紀2700年には、日本人が目を覚まし立派なお祝いをしたいものです。

小学1年生 6月号にPDCEが紹介されまし

令和元年 5月3日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

祝祭日はお休みなのですが、10連休の間もこのブログを読んでくれる方の数が減らないので、本日は掲載することにしました。

前回、小学6年生に向けた「サピア」(SAPIX発行)でPDCEが紹介されました。 なんで6年生に? と思われた方もおられるでしょうが、最新の技術についての紹介なのです。 この低年齢化がさらに進み、今度は「小学一年生」の6月号でPDCEが紹介されました。 ドラえもんのタイムマシンで現在と将来を比べたとき、この令和の時代にも既に落雷事故のためにPDCEがあるという説明です。 お客様を訪問した時に、PDCEを始めて知ったという方が多いのですが、既に6年生から1年生向けの雑誌にまで紹介されているのです。

この「小学一年生」のような学習雑誌、歴史が長いですね。 私もこどものころから、「楽しい幼稚園」(?)、「小学Ⅹ年生」「中X時代」などのお世話になりましたが、それらは今や全滅のようです。 今回、見本誌をお送りいただいて感心したのは子供用の本誌の付録として、ご両親用の小冊子が付いているのです。 その内容は、子供の発達をサポートするために脳科学の分野からのアドバイスが掲載されていました。 私の親の世代でしたら、「脳科学」などという言葉すらなかった時代ですから、専門の学者のみならず一般人に至るまで、この50年間の科学へのリテラシーは格段に向上したように見えます。 

しかしながら、知識レベルは上がっとしても子供への虐待なども増加し、知識レベルの向上は、人間性の向上とは反比例のようで知識が人間を幸せにするとは限らないのです。

ともあれ、PDCEが小学一年生にも紹介されたというのは、如何に認知度が向上したかの証です。 これに伴い、登録商標であり弊社の社名でもある「落雷抑制」という私の造語を、何の断りもなく自社のHPへ誘導するためにキーワードとして使う類似製品の販売業者も増えています。 そういう他社の社名を自社のHPへ誘導するためのキーワードとして使用する破廉恥な類似製品は、会社の品位や製品に付いてのプライドもなく、他社を利用して類似製品を売りつける3流会社であることを自ら表明しているようなものです。 最近のマスコミの皆様が弊社のPDCEと類似製品との分別をキチンと付けているはお見事です。

この内容については、弊社のHPの「お知らせ」を参照してください。


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