株式会社落雷抑制システムズ

雷ブログ

知ってはいけない  現代史の正体  馬渕睦夫

令和元年 5月14日
こんにちは。  落雷抑制の松本です。

駐ウクライナ大使であった馬渕さんによる「ブッチャケ」話です。「歴史は小説より奇なり」と言われるように、色々な事件の裏には教科書で解説されていたり、マスコミが報道したりする以外の「マサカ」の話が沢山あるようです。

トランプ大統領の「アメリカ・ファースト」についても、その深い意味は、アメリカの政治をアメリカに取り戻すことを意味しているそうで、それではアメリカの政治は誰のための政治であったかと言えば、必ずしもアメリカ人のためではない例として、ベトナム戦争の裏話が解説されています。米軍が手を焼いたベトコン。 当時、世界最強と言われた米軍を総動員しても弱小の北ベトナムに勝てず、ついにはベトナムから追い出されました。 当然、北ベトナムは中国、ソ連から援助を受けていたのですが、そのソ連も台所事情は厳しく北ベトナムを援助する余裕はありませんでした。 ソ連に対しその資金を出していたのは実は米国で、アメリカの青年を戦場に送りつつ、その交戦相手にもソ連を介して資金援助していたとは、ベトナムで戦死したり、負傷した米国兵は全く気の毒です。

予算の支出項目は膨大な数で、その名目も「ソ連の北ベトナム支援予算」などとは単純で分かりやすい名目などにはせず、何に使用されるのかは容易には理解できないような名目になっていますから、それを目論む一派から上手く利用されていたのです。 本当は、米国民のために使用されるべき予算が敵国の応援のために使われていたのです。 そういうことをする一派から、政治を取り戻そうとする掛け声が「アメリカ・ファースト」でもあるとのことです。

政治が必ずしも国民のためではないといえば、日本でも国民の借金が一人当たり800万円もあるというのもウソの話ですから、国民は簡単にダマされるのです。 その借金返済のための増税なども、つじつま合わせのデッチ上げ話で、こういう話が蔓延するところを見ると、米国のソ連支援の話も「マサカ!」とは思えないのです。 米国だけでなく、日本においても政治の全てが国民のためという事ではなく、「国民のため」と言いながら実はトンデモナイ政策にも予算は孔子されるのです。 国という大きなくくりの中にも、利益が相反する団体はいくつもあり、その中で政治を上手く利用する特定団体に利益が誘導される仕組みについては、世界中が同じなのです。。

その利益誘導を大きなスケールでしているのがが国際政治で、その裏側は恐ろしいい話で一杯です。 素人の判断をはるかに超えたことが平気で行われる世界ですから、国際情勢についてはマスコミだけを信じて軽々には判断できません。 「フェークニュース:(偽ニュース)というのは、トランプさんの気に入らないニュースだけの事ではありません。 現に日本においても、朝日新聞により慰安婦のニュースなど日本のマスコミも意図的な捏造記事を出しています。 そして、一人当たり800万円を超える借金があるというのもフェークニュースなのですから、我々の身の周りはフェークで溢れているのです。

どっちが良いのか、悪いのか?

令和元年 5月13日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

先日の新天皇の一般参賀に集まった14万人もの人が、押し合って喧嘩をしたりすることなく、静かに粛々とれを列を進める様子を見て、それだけで感激したという外人さんは少なからずいたハズです。 大勢の人がオシャベリすることなく集団をキープできるのは外国では軍隊しかできない事で、日本人であれば当然の事なのですが、この風景、素晴らしいとみるか不気味とみるか、とにかく外国で見ることの無い景色なのです。

長年、NYに暮らしている人が東京に一時帰国して電車に乗ると、これまたビックリなのが、乗客の日本人が静かでお行儀が良いことだそうです。 そういえば、何処の国であったか忘れましたが、電車の中で大道芸人が小さな芸をしながら、小銭を集めている光景を見たことがあります。 また、他人の目など気にすることなく、大声で自分を主張すると、日本人の眼からは「周囲に対しての配慮の足りない」のは、外国にいけば、反対に日本人の自己主張が足りないだけのようにも見えます。

電車の中では周囲への配慮で大声を出さないやや気取った日本人。 日本人からはガサツに見える自己主張の塊のような外国人。 在来種のメダカのような日本人とブラックバスのような生命力の強い外来種の外国人。同じ器の中に居れば、メダカが喰われてしまっても仕方ありません。どっちが良いのか、悪いのか?  

周囲についての配慮をする、大げさな自己主張をしないというのを「短所」ではなく「長所」としながら、アクの強さにも負けないタフな日本人。多様性が高まる中で、日本の良さを生かしながら、ブラックバスに負けない耐力を養う。 日本人がチャレンジしなければならない事は沢山あります。

理想と現実のギャップ

令和元年 5月10日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

理想や夢を語る政治家は、優しく愛にあふれた善人にみえます。 米国民主党の「貧困や迫害を逃れてやってきた人々は差別なく、すべて受け入れる。これが移民国家アメリカの原点であり、また、あるべき姿だ」。治安に自ら携わっていない方々は、このようなユートピアを理想の姿とします。 欧州での移民/難民の受け入れを主張する人も同じように寛容な方々です。 政治家にとって、夢や理想は必須のもので遠い目的地への道しるべとしては大事な要素です。

しかしながら、もう一つの大事なポイントは、現実を直視することです。 現実を見ずにユートピア論を振りかざせば混乱をきたします。 海で溺れている人が10人いて、ボートには3人しか乗れなければ、10人の中から3人しか助けられないのは仕方のない事で、それを10人全員を助けようとするからボートが転覆してしまうのです。 優先度からすれば、現実論を優先し、理想論は2番目のハズなのですが、いつまで経ってもその優先度を付けられない子どものような大人が理想論ばかり語るのは困ったものです。

誰でも、社会インフラの整った安全/安心な地域で暮らしたいことでしょう。 しかし、国を捨てて他国に移るのではなく、自分の生まれた国をそういう理想の国へと作り上げるのが国民の使命/義務であるのに、国が内戦状態であるからと、これを放棄して他国に逃げ出す人を「気の毒、可愛そう」ということで受け入れていれば、その国の発展を妨害しているだけです。 日本にも、米国にも、欧州にも過去に内戦状態はありました。 それを乗り切って今があるのです。 政府軍でも反政府軍でも、どちらでも構わないので国に残って戦いにケリを付けるべきなのです。 物理的な時間は世界中で同じですが、文化的な時間の経過は国により異なり、内戦状態の国々は、日本の500年前の戦国時代を今、経験しているだけの事です。

その難民を先進国は、安い労働力として使うための詭弁として「人道」と上から目線で援助するのは偽善の塊のようなものです。 その偽善により難民の数が増加しが国内でトラブルの元になっているのですから、「臭い臭いは元から断つ」で、人の移動の自由など認めてはいけないのです。 貨幣を共通化するとか、人の移動を自由にするとか、ユートピアを目指すEUは遠からず失敗することでしょう。 労働力の不足は、高度な機械化、無人化により解消すべきで、安い他国の労働力に頼るべきではないのです。

理想と現実のギャップは、現実を優先させるべきで、日本の周囲にも日本に敵視する国ばかりなのですから、「軍隊や戦争の無い」ユートピアを目指すよりは、憲法を変えて他国に攻め込まれない十分な軍備を備えることは絶対に必要なことです。 これは政治家ばかりでなく、一般国民も偽善的なユートピア論と決別し、現実に即した政策を支持しなければなりません。 いずれ、災いが降るかかるのですから。。。

非認知的能力

令和元年 5月9日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

先日、[小学一年生]の見本誌を頂いたのですが、その付録として保護者向けの小冊子「はぐくむ」(小1ママ&パパのための情報マガジン)が付いていて、そこに「非認知能力」とありまして、「非認知能力って何だ?」と思って調べてみるとどうやら「非認知的能力」のことで、数が分る、字を書ける、図形の組合せなどが分る、といったような測れる力を「認知的能力」と呼ぶ一方で、IQなどでは測れない、例えば、目標に向かって頑張る力、他人との関わりをうまくできる力、感情をコントロールする力などを「非認知的能力」と呼び、最近の幼児教育では、この能力を発達させることが重要であると認識されているとのことです。

幼児教育など門外漢の私の感想は、何を今さら当たり前の事に偉そうな名前を付けて「認知的能力」「非認知的能力」など言葉遊びをしているのだろうと思いましたが、全ての学問というのはそういうものです。当たり前に思っていることにも、名前を付けて「分類」する。分類は全ての基礎なのですが、幼児教育の専門家からそのような講釈を聴く前から、人間の能力は学力などでは測りきれないことは誰でも知っていることです。 人は測定した値を信じ込みますが、測定というのは測定器の性能以上の事は測定しきれないのです。学力試験も試験問題の範囲内での話であり、学校の成績が悪くても、社会で大成する人は珍しくもなく、反対に、学校で優秀であった方が社会で素晴らしいい活躍をするとも限らない。。 そんなことは誰でも知っていることです。その測れる学力を離れて、それ以外の能力の重要性に気付くのは遅ればせながら大切なことです。

企業においても、評価される側の人間は一方的に上司からなされる評価について不満であっても受け入れざるを得ない場合が多いのですが、営業の売り上げなど数字で示されるもの以外は、多分に評価する側が有利なのですが、評価も両方向性で、どう評価するか? という事が評価する側への評価でもあるのです。 サラリーマンたるもの、納得のいかない評価など気にする必要もないのです(ただし、数字で示される客観的なものについては、潔く認めねなりませんが)。 相手はその器の範囲内で自分を評価しているに過ぎないのです。 大きく言えば、小さな器で大きな器の容量は測定できませんし、細かなところで言えば、相手が持つ「分解能」以下の細かな精度も測定できないのです。 全ての人が持つ「物差し」は、みな同じではないのです。

評価については、アホな上司には自分の事など分からないと思って気に留める必要はないのです。先ほどの専門用語で言えば、上司の評定は彼の「認知的能力」の範囲内で、評価される自分の「非認知的能力」など上司に理解できるハズもないと思って自己研鑽に励めばよいのです。 私は、そのように思っていますし、我が子の能力については共に生活して分かっていますから、学校の成績にもほとんど注意したことはありません。 学校での成績など取るに足りないもので、そのようなことに一喜一憂するだけ時間の無駄なのです。 などと言っているので、愚息は大学入学後、好きなことばかりして留年しましたが、それはそれでいいのです。 好きなことに専念する情熱こそが大事なのです。 私自身も「人様による自分の評価」など気にしません。 自分の評価については、長年付き合ってきた自分を客観視する「もう一人の自分」に尋ねるのが一番です。 私の場合、「すべき時に必要な努力をしていない」という事で5段階の2.5というところですね。

HPのキーワード

令和元年 5月8日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

質問を受けましたので、前回のHPのキーワードについての補足です。

ネットで検索すると検索したキーワードにより最初に広告、次に広告ではない弊社のようなHPがリストされます。 広告は広告料を支払ってリストの上位に表示されるようにしているのですが、その時のキーワード、これはHPには表示されませんが、全てのHPにはキーワードが含まれ、それが検索の対象になります。

ですから、例えばの話ですが、日産のHPの中に「トヨタ」というキーワードを埋め込んでおけば、「トヨタ」のHPを見たいと思ってネットで「トヨタ」と検索すると、「トヨタ」のHPよりも上位に「日産」の広告がリストされ、多くの人はリストの最初にあるものを選びますから、「トヨタ」にたどり着く前に「日産」に寄り道してしまい、あわよくば自分のお客に。。。 という算段です。  もちろん、「日産」も「トヨタ」もそのような海賊行為は自社のプライドにかけてもしません。

ところが、弊社のように新しいものを作り出し、これがうまくいっているのを見て後から参入する会社が増えた業界では、プライドなどより自社のHPに誘導することを第一に、登録商標である弊社の社名を使って自社のHPに誘導するためのキーワードとして使う破廉恥な行為をする会社があるのです。 もちろん、弊社の販売代理店であれば問題ありませんが、多くは類似製品を販売しようとする会社です。まさに「人のフンドシで相撲を取る」と言う表現がぴったりの行為です。

そのような「矜持」、「プライド」を持たないで、ただ売れば良いというような姿勢の会社の製品がマトモである訳がありません。 多くは、何も知らないままに製品を販売しているのですが、内容を知らずによく販売するものだと思います。 自社がリストの上位にでることで「してやったり!」と思っておられるのでしょうが、これは自社がワザワザ広告という費用をかけて「海賊行為」をする三流会社であると表明しているようなもので実は「ミットモナイ」事をしている会社であることを自ら表明しているのです。 これはマトモな商行為でしょうか? 私は商標権の侵害、犯罪行為であると思います。


これは、経営者の判断ではなく、アホな担当者がしていることでしょうが、単にITスキルの問題ではなく人間性の問題ですから、そういう社員の意識を向上させるのは難しいものがあります。 昔は経済的には貧しくとも、ラジオから流れる浪曲などで「槍は錆びてもこの名は錆びぬ」、「ボロを着てても心の錦」など、人の心の持ち方について自然と教育されたものですが、目先の利益のためなら手段を択ばない「心の貧しさ」。 会社の問題というより、業務担当者の個人の資質の問題です。 よほどのブラック企業以外は、会社としてそのようなセコイ事を方針とはしないでしょう。 「良い事」なのか「恥ずべき事」なのかの判断がつかないのは、年齢に関係なくジジイにも結構いるのは残念な事です。

令和元年 皇紀2679年  皇紀も用いるべき

令和元年 5月7日
こんにちは。  落雷抑制の松本です。

新天皇の即位を大勢の方が祝福したのは嬉しいことです。 天皇制については、大東亜戦争の件で不満をお持ちの方もごく少数おられますが、そんな70年前の話よりもはるかに長い歴史があるのです。 その歴史の長さだけ見ても、日本の文化として大切にすべきなのです。「令和」については異議ありませんが、「皇紀」を復活させる機会を逃したのは残念なことです。

戦後、戦前のものは、占領軍の政策でことごとく「悪」とされ、敗戦で意気消沈、落胆した国民が、皇紀から西暦への切り替えも素直に従ったのは理解できますが、70年以上が経過したのに、未だにその洗脳から目覚めない方々いるのは残念なことです。 日本には神武天皇から数えた立派な暦(皇紀)があり、戦前はに日常生活の中で使用されていたのです。

世界を支配しているのはキリスト教ですから、キリスト生誕から数えた西暦が世界で広く使われていますが、世界の暦にはいろいろあり、イスラム教の「イスラム暦」があり、ムハンマドに関連し、今年は1441年です。  仏教にもお釈迦様が入滅された年から数えるのがタイ、カンボジア、ラオス、入滅後の一年後から数えるミャンマー、スリランカなど、世界中でその国の文化として独自のものが使われています。現在は、それぞれ、2563年、2654年です。 我が皇紀はそれより古い2679年です。

そのどれを使うかなどと言えば争いになりますから、相手に会わせて何を使用しても構いませんが、日本国内では堂々と皇紀を使えばよいのです。 神武天皇以来の「平成」までの元号の積み重ねですから「平成」「令和」を認めるなら、各年号の累積値として紀元として「皇紀」を使って何が悪いのでしょう? 平成6年に定められた「公文書の念表記に関する規則」では、原則として元号を用い、西暦による表記が適当である場合には西暦を併記する」となっているのと、新しい元号についての法律は制定されましたが、西暦に関する新しい法律はなく、長期的な記年法としては 「皇紀」こそが日本で法律で制定されている年表記だそうです。

ただ、戦勝国による占領政策により、西暦が多用されていますが、そのような戦争後遺症から脱却して紀元を使うべきです。 もちろん、海外との取引で相手に合わせた西暦が多い事でしょう。 全てを皇紀に代えろと言うような無茶なことを言っているのではありません。 各国は独自の年号を用い、それらの国との取引においては、相手に合わせるという非常に寛容な話をしているだけです。

日本の人口構成比からしても、仏暦でなく、少数派のキリスト教の暦が暦が使用されていることに何故、違和感を持たないのでしょう? 日米地位協定という不平等条約があるのと同じ理由で、西暦が蔓延しているのです。 まあ、これは敗戦国として仕方のない事なのですが、沖縄の知事さんも,そのうちの一部である普天間/辺野古で文句を言う前に、西暦についても文句を言うべきです。 敗戦が不条理の原因となっていることは多々あります。 そのうちの部分についてのみ文句を言うのではなく、全てについて改訂すべきなのです。 ただ、これには時間がかかる。。。戦争に負けるとはそういう事なのです。

「零戦」は、あまりに有名ですが、何故、「ぜロ」という名称がついたか? これは、皇紀2600年に開発されたので、2600年の下2桁で「ゼロ戦」となりました。 これが、現在では西暦の下2桁が用いられ、1974年に開発された「74式戦車」、同じく1990年の「90式戦車」、2010年の「10式戦車」と命名法だけは生き残っています。 来年、2020年は皇紀2680年の節目です。 皇紀2700年には、日本人が目を覚まし立派なお祝いをしたいものです。

小学1年生 6月号にPDCEが紹介されまし

令和元年 5月3日
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

祝祭日はお休みなのですが、10連休の間もこのブログを読んでくれる方の数が減らないので、本日は掲載することにしました。

前回、小学6年生に向けた「サピア」(SAPIX発行)でPDCEが紹介されました。 なんで6年生に? と思われた方もおられるでしょうが、最新の技術についての紹介なのです。 この低年齢化がさらに進み、今度は「小学一年生」の6月号でPDCEが紹介されました。 ドラえもんのタイムマシンで現在と将来を比べたとき、この令和の時代にも既に落雷事故のためにPDCEがあるという説明です。 お客様を訪問した時に、PDCEを始めて知ったという方が多いのですが、既に6年生から1年生向けの雑誌にまで紹介されているのです。

この「小学一年生」のような学習雑誌、歴史が長いですね。 私もこどものころから、「楽しい幼稚園」(?)、「小学Ⅹ年生」「中X時代」などのお世話になりましたが、それらは今や全滅のようです。 今回、見本誌をお送りいただいて感心したのは子供用の本誌の付録として、ご両親用の小冊子が付いているのです。 その内容は、子供の発達をサポートするために脳科学の分野からのアドバイスが掲載されていました。 私の親の世代でしたら、「脳科学」などという言葉すらなかった時代ですから、専門の学者のみならず一般人に至るまで、この50年間の科学へのリテラシーは格段に向上したように見えます。 

しかしながら、知識レベルは上がっとしても子供への虐待なども増加し、知識レベルの向上は、人間性の向上とは反比例のようで知識が人間を幸せにするとは限らないのです。

ともあれ、PDCEが小学一年生にも紹介されたというのは、如何に認知度が向上したかの証です。 これに伴い、登録商標であり弊社の社名でもある「落雷抑制」という私の造語を、何の断りもなく自社のHPへ誘導するためにキーワードとして使う類似製品の販売業者も増えています。 そういう他社の社名を自社のHPへ誘導するためのキーワードとして使用する破廉恥な類似製品は、会社の品位や製品に付いてのプライドもなく、他社を利用して類似製品を売りつける3流会社であることを自ら表明しているようなものです。 最近のマスコミの皆様が弊社のPDCEと類似製品との分別をキチンと付けているはお見事です。

この内容については、弊社のHPの「お知らせ」を参照してください。


PAGE TOP