株式会社落雷抑制システムズ

雷ブログ

桜木町のロープウェイ

令和2年3月31日
こんにちは。  落雷抑制の松本です。

  桜木町の駅前で工事が始まっていますが、同時進行で大岡川の中に3基のタワーを建てる工事も進んでいます。 3基のタワーの基礎になる作業の場所が確保され、現在はその杭を強化する工事が進んでいます。 私の子供時代には、杭打ちを言えば「ドカーン、ドカーン」とすさまじい音を立てて杭に重しを打ち付けていましたが、最近は、騒音を出さない工法に変わり、杭を回転させながら地盤ににグイグイと押し込む工法に変わったようです。 白い円筒のものがその装置のようです。 建築に比べると土木は地味ですが、素人が驚くような技術をお持ちです。 この工事もどのように進むのか、毎日が楽しみです。

私は絶対に失敗しない

令和2年3月30日
こんにちは。  落雷抑制の松本です。

  「私、失敗しないので」と言えば、TVドラマの外科医 大門美智子を思い出しますが、自分は、絶対に失敗しないと言いきった言葉はいくつかあります。 松下幸之助さんは、「なぜなら、成功するまで続けるからだ」。 と言えるのは、経営が上手くいき資金に余裕が出てからのことで、今のパナソニックでしたらどうでしょう? いくら良いアイデアであっても、それが世の中に浸透する前に資金的に続かなくなる例は多々あります。 成功するまで続けられるという経済的な体力があれば失敗する人はこの世にいません。

  発明王エジソンは、失敗をもポジティブに捉え、失敗を失敗と見なさずに「うまくいかなかった例を発見した」と言い換えています。 白熱電灯を発明するまでに、フィラメントの材料の選択が難しく、3千件も試験しては上手くいかず、ついに適した材料を発見した時には、過去に上手くいかない例の3千件も失敗ではなく、上手くいかない例として発見し、3001番目に上手くいく材料を発見した。 3001件目まで全て上手くいかない事、上手くいった事を「発見」し続けてきた成功事例なのです。 ポジティブ思考の見本のような方です。 

  事業を起こす人にも芸術塚にも、何事も大成する人には凡人を圧倒するパワー、執着心というか、一歩間違えれば偏執病とでも間違えられそうなエネルギーがあります。 自分にはそういうエネルギーが欠けているというのを全力投球しない/できない口実にしていますが、全力で生き切ると言うのは、気力も体力も必要で疲れる事です。 それができるか否かが、結局、凡人とそれ以外の方々との違いなのでしょうか。。。才能の差と言うより、エネルギーの差ではないでしょうか? 人前で「私、失敗したことありません」と堂々と大見えを切ったら気持ちの良い事でしょう。

免疫力を高める?

令和2年3月27日
こんにちは。  落雷抑制の松本です。

  コロナ対策にワクチンがまだ無いとなれば、自分の免疫力を高めるしかありません。 免疫力を高めるにはどうすれば良いのかと言えば、素人考えでは、疲れないように、よく睡眠をとり、体力を付けるためには滋養強壮と言うことで、黒ニンニク、その他を食べています。 これにどれほどの効果があるかは不明ですが、この黒ニンニク、簡単に作れるのです。

  炊飯器のような器具で、内部温度を80℃にキープできる黒ニンニクを作る道具がありまして、これの2段の棚にニンニクを10個ほど入れて、丸4日。 色は真っ黒、しっとりと甘いニンニクに変身します。 臭いも無くなります。 黒くすることで、栄養価が増えているのか、減っているのかは分かりませんが、。。。

  もう一つは、和歌山出身の梅干屋さんの知合いが勧めてくれた梅のエキスで、米粉で固めた丸い粒です。 こういうものは薬品ではないので、効果について語ることは薬事法違犯になるとかで個人の感想しかありませんが、人様が「良い」と言ったものが自分に合うか否かの問題もあり、それらを100%信用する訳ではありませんが、 予防ワクチンも無い病気が流行れば、民間療法であってもその効果に期待してしまいます。 早く終息するのを願うばかりです。

金言童子教

令和2年3月26日
こんにちは。  落雷抑制の松本です。

  息子の大学ですが、卒業式も中止になり、このところは、大学近くのアパートから就職先の社員寮への引っ込し準備に精を出しているようです。 私の留守中にも、狭い社員寮には持ち込めない所持品を実家(私の家)に運び込んでいるのですが、私が帰宅するとテーブルの上に「今まで、ありがとう」と言うメモと共に卒業証書が乗っていました。  昔の話ですが、私の大学の卒業式に参加したいと言った両親に大学生になってまで親についてこられる気恥ずかしさが先に立ち、来ないでくれと、まるで一人で育ったような事を言い放った事を悔いたのは息子の高校の卒業式の事でした。 最後の大学の卒業式は、コロナ騒ぎで取り止めになり、もう、卒業式への参加のチャンスは無くなりました。

  そこで思い出すのが、「子を養いて親の恩を知り、身を立てて人の労を知る」というのは、江戸時代の寺子屋で使われた教科書「金言童子教」です。 子を育てて初めて親の恩を知り、自分で生計を立てて初めてその苦労を知ると言う内容ですが、書物や口伝では何回も読んだり聞いたりしましたが、やはり、実感と言うのは読んだり聞いたりしたものとの印象は大きく違います。

  息子の感謝の気持ちは、素直に受け入れますが、息子が結婚し、子育ても最終段階になり、自分の子供に同じような感謝をされた時、自分がこの卒業証書に添えた1行のメッセージを思い出すことでしょう。

ビジネスに生かす 教養としての仏教  鵜飼秀徳  PHP

令和2年3月25日
こんにちは。  落雷抑制の松本です。

  10年前、父が他界しました。 私共は父の代までは日蓮宗であった事は知ってはいましたが、その葬儀が日蓮宗のお寺の都合で予定日にはできないと言われると、日程優先で予定日に葬儀が可能な宗派なら何でも良いからと、浄土真宗のお坊さんにお願いした。 フレキシブルというか、節操がないというか、実にいい加減な葬儀の喪主を務めた私ですから、仏教について語るなど大それたことは大いに気が引けるのですが、そもそも仏教は、亡くなられた方の遺族を相手にした単なる「葬式業」ではなく、毎日を生きる我々の心の支えになるものであって、父母に対して葬儀の宗派を変更したことなど小さな事であり、もっと大きな枠組みで仏教がどういうものなのかを毎日の生活レベルの中に、仏教の教えを取り込んで解説してくれる元会社員の僧侶による解説は分り易く、心の持ち方を教えてくれます。 仏教の中の宗派の違いなど、コップの中の嵐のようなものです。 まあ、それは仏教だけでなくどの宗教にもあることで、そのこと自体が自我を捨てきることの困難さを物語っています。

  この方、僧侶になられる前は会社員であったというだけの事があって、我々の日常的な会社の中での悩みや葛藤など、こちら側に視点を置いて、それを仏教ではこのように捉えると言う解説の方法なので、今までの仏教関連の本は、仏教とは何かをあちら側の視点で語るものが多かったのですが、視点をどちら側に置くかで分り易さ、読みやすさが格段に向上します。

  この仏教の教えは2500年も前から伝えられてきたのですから、スゴイものです。 人が集まれば、社会になり、社会になれば対人関係で悩みが生じます。 それが、現代社会の中でも2000年も前の仏教界でも同じレベルであると言うのは科学技術は進化しましたが、人間自体はたいして変化していないようです。 その社会を大きなトラブルを引き起こすことなく乗り越えるための心の持ち方が短い言葉の中で実に上手に語られています。

  本書を読んだ後、私の小さな心が宇宙のように大きく広がり、身の回りの小さなトラブルなど包み込んでしまうような感覚です。 問題は、私のような凡人の心は、一時的には広がっても、時間の経過と共にしぼんでしまう事です。 広い心を保つには、もっと真剣な修行が必要です。 仏教では毎日が修行であるとの教えもあるようですが、「三日坊主」という言葉があるように、ここにも「坊主」が出てきてこれは修行の難しさを表しているのではないでしょうか。

ジャック・ウェルチ

令和2年3月24日
こんにちは。  落雷抑制の松本です。

  GEを大聞く発展させた貢献者で、経営の神様のような評価の一方、元気過ぎる手法については批判もありますが、あの時代は、元気が自分自身がエネルギーにあふれ(Energy),その元気で周囲まで巻き込み(Energize)、切れのある( Edge),実行/行動(Execute)の 4Eと言うのが時代に合っていたこともありイケイケドンドンの大将で、当然、それについてこられない人に対しては、冷酷ともいえる処遇もあり、賛否両論なのですが、私は、この方を尊敬しています。 それはたった一つの言葉なのですが、ジャックさんの次のような言葉があります。

 「自信のある人間は異論を歓迎し、素直に耳を傾ける勇気を持つ」

  弊社、10年前にビジネスを始めましたが、従来の積極的に落雷を誘導しようとする避雷針に対抗して、なるべく雷を誘導しないという従来と真逆の方向性に対し、こちらの説明も聞きもしないで頭から否定し、中傷し、営業の妨害をする。。。と言う人たちが多くいました(現在もいます)。 ウェルチさんの言葉を言い直せば、「今まで扱ってきた自分達の製品と異なる思想の製品に対し、自分に自信もなく耳を傾ける勇気もない」と言う事なのです。 この10年間、実績が語る効果もあり、徐々に「親派」も増えています。 私もこの業界に10年、身を置くと最初は分からなかった色々なことが見えてきました。 学術というと実業の世界と異なり、科学的、客観的などと言う言葉が重要視されますが、それが既得権益側の隠れ蓑のような形で表裏一体になっていて、世の中、産業的な利益を守るためには古いものに固執し、新しいものを排除すると言う構造はどこにでもあるのですが、そこに堂々と正論をぶつけているジャックさんはやはり、小物ではありません。

  米国は「マーベリック」(大多数に従わない変わり者)を区別はしますが、差別はしない。だからこそ、新しいものが次々生まれるのです。 保守的どころか新しいものへの排他主義。 これは身の回りで無意識のうちにいくらでも当然のことのように思い込んでいる分野はいくらでもあります。 例えば、身の回りの法律ですが、社会を律する法律は社会の変化と共に改定せねばなりません。 50年も前の規則に縛られること自体現代にそぐわない、そんなことはいくらでもあります。 法律にも賞味期限を決めるべきで、中でも憲法です。 70年も前の状況と現在の状況は大きく異なります。 法律に歴史的価値など不要です。 時代に合ったもに②変えていかなければ、過去に縛られて将来への発展はあり得ません。

コロナ・ウィルス  世界中が騒ぎすぎ

令和2年3月23日
こんにちは。  落雷抑制の松本です。

  こういう話題は、不謹慎に思われそうでリスキーなのですが、あえて言えば、コロナ・ウィルス、世界中が騒ぎ過ぎではないでしょうか? 治療をするからには患者を死なせてはならないという医学の思い上がりがあるようですが、人間と言うのはいずれ死ぬのです。 誰にでも現実にある「死」を認めないから過剰に「死」を恐れるのです。 「死」を認めても、「生」をないがしろにすることではなく、「死」があるからこそ、この現在の「生」が貴重でありがたいのです。

  交通事故でも日本国内だけで毎年1万人近くが亡くなります。 国際紛争、内戦などでも日本から遠い所で起きている「他人事」のようなもので、あまり注意すら払われませんが、10万人を超える規模で亡くなり、栄養失調や不衛生な環境のために無くなる方も10万人を超える規模で亡くなっています。 それが先進国の疫病では100人単位の死者が出れば大騒ぎです。 命の重さのアンバランスと偶然、先進国に生れた幸せを感じます。

  コロナ・ウィルスによる致死率は、年齢や病気の有無で異なり、このウィルスにより肺炎を発症しても100%亡くなる訳でもありません。 そういう意味では、通常のインフルエンザと大きな違いはありませんし、人との接触を禁じて発症数が少なくなっても、ウィルス自体が無くなる訳でもなく、ウィルスの拡大再生産にならないから、いずれは収束すると言っても、地球上からウィルスを消滅させることはできなく、今年、収束してもまた来年、流行の波はいずれ再発します。 再発するたびに経済活動まで縮小していたら経済はダメになる一方で、経済がダメになると言う事は我々の日常生活も危機に曝されるということになります。 そのうち、経済活動の縮小で生活が行き詰まり自殺する人の数がウィルス原因でなくなる人の数より増加することでしょう。 それでは本末転倒なのです。 人類は、ウィルスと共存しなければならなく、ある程度の死亡者が出る事は仕方ない事であり、これを抑え込むことばかりに夢中になって経済を破壊させてはなりません。 対ウィルスの戦争で戦死者がいくら出ても、予防ワクチンができるまで、ひたすらガマンしながら通常の生活をキープすべきです。

  ただ、困るのは医療崩壊。 沢山の入院患者が出た場合に病院での収容能力が足りなくなります。 今から言っても遅いのですが、日本は病院船を備えるべきなのです。 「ダイアモンド・プリンセス」程度の大きさの船であれば、3千床くらいの病院船になります。 これを2隻備えて大災害のあった場合に独立して動ける体制を整えておくのです。 普段は空っぽのままでも、日本の大都市は殆ど海に面していますから、大型ヘリが着艦できる病院船であれば、大地震の時は避難所になり、疫病の場合には海上に隔離された病院になります。 今回、経済対策で国民一人当たり2万円、10万円を配るとの案が出ているようですが、病院船はそれ以下の費用で作ることができます。 日本は、何か発生した場合の場当たり的な解決ばかりで、予め用意しておくと言う事が下手な国民です。

そのような天邪鬼を言っている私が、コロナ・ウィルスで亡くなりましたら、それはまさにジョーク好きの私のジョークのような死に方で、それはそれで仕方のない事と思います。

歴史的建築物を保護する環境保護色のモデルとご神木の保護

令和2年3月19日
こんにちは。  落雷抑制の松本です。

  歴史的建築物の保護のためにPDCEを用いたいが、歴史ある建物の脇に金属光沢のものを取付ける事に違和感を感じる場合があります。 このため、PDCEの金属部分には表面処理を行って光沢を消し、Magnum の場合には中央部の雨カバーの色も白よりは目立たたない色に変更した環境対応色モデルとしてMagnum EV と Junior EV モデルの発売を開始しました。

  電柱自体も環境保護色で、黒や茶色とし、そこに取り付ける金属支持管も同様の色とし、この上に金属光沢を抑えたPDCEを載せる事で歴史的建築物とも色彩的に違和感のないものとなります。  これらのモデル Magnum EV と Junior EV ですが、お客様のご要望に合わせて製品の色や、取付プレートのサイズ、落下防止対策などもご自由に選択できるのは、茨城県の専用工場での国産ならではです。 この2機種を加えて、PDCEは全10モデルとなり、幅広い用途でのお役に立てます。

これと同時に進めているのが、ご神木の保護でして、元々Baby と言う小さなモデルは針葉樹の先端に付けられるように重さも2.5kgとし、これを15~6mの支持管の上に取付け、木の先端よりも1m ほど高くして落雷を落ち難くし、木の先端から14~5m下になれば、ソコソコ太いでしょうから、そこで支持管を支えると言うアイデアですが、その支持管をCFRP(炭素繊維強化プラスチック)で作ることを目指していましたが、一度、頓挫し、最近、別の協力会社さんとこのプロジェクトを再開しました。 ご神木の保護は、あまり目堕りませんが、ソコソコの需要はあるようです。 

  環境対応色もご神木の保護も、弊社側が売りたいというのではなく、お困りのお客様から「どうにかならないか」との声に応えて開発しているもので、落雷にお困りの方の幅の広さを感じます。

「思う」と「考える」

令和2年3月18日
こんにちは。  落雷抑制の松本です。

  少し古い中央公論( 昨年 11月辺り ?)に言語学者の方が、小泉新次郎議員の発言を分析した面白い記事が掲載されていました。 政治家として自分の考えを表明する場合が多いのですが、この時の言葉使いです。「xxと思う」のか「xxと考える」の、どちらが多いかを分析した結果です。

  「思う」と言うのは情緒的な表現で、頭(論理)ではなく非論理(心)からの発言を表す言葉であり、これは、他人との関わりの中で参考になるのは、「思う」を多用する人はかなり情緒的な人なのです。 本人は考えたつもりなのでしょうが、論理として考えたものより、情緒が主体の主観的な言葉です。 この「思う」は情緒的な物ですから、同じ情緒で対応すると同意し易く、耳障りは良いのですが、論理でこれを覆すのは難しいのです。 

  「考える」とは、心の情緒よりは、論理的な帰結であり、客観的で理性的です。 「考える」に対抗するには自分も論理的な構成を「考えた」上で、論理には論理を対向させ、情緒で対抗することはできません。 

  「なくて七癖」というように、自分では意識しない考え方のクセはあるもので、自分の発言はどちらが多いか、また、周囲の人にはどちらの傾向が強いかを分析しておくことは大事です。 会社の中での特に上司への報告などは「思う」は禁句です。 気の短い上司でしたら、「君の思いなどどうでも良い。 〇か✖か、その理由を説明しろ!」という事になりかねません。 報告を受ける側は報告者の主観ではなく、客観的な事実を知りたいのですが、「思う」と「考える」をキチンと区別することなく話を進める方は多いのです。

  私の知合いの一人は、自分の考えを話す前に「これは私の考えですが」と言う前置きを必ずする方がいます。 それも一度ならず、二度繰りかえすのですが、この方、普段はTVで見聞きした話の受け売りが専門で、たまにご自分の意見を述べる時になるとこの断り書きがあり、自分自身の考えを述べる機会は少ないものであると感じました。 この方の場合、話の9割以上はTV番組からの受け売りで、残りの数%がご自分の意見でした。 サラリーマンの処世術としては、TV番組の話をしているのが無難で、自分の考えなど下手に伝えるのは危険と言うことで、自分の意見を述べる場合には慎重になられたのでしょう。 大組織の一員は、自分を「押し出す」所と、周囲との調和のさじ加減、難しいいですね。 一匹狼の私は、そういう慎重さに欠けるのでブログを毎日続けられるのです。

 最初の小泉進次郎議員、圧倒的に「思う」が多く、 「思う」だけの政治家から脱却できるか? とのサブタイトルが付いていました。

外から見える「ダメになる兆候」

令和2年3月17日
こんにちは。  落雷抑制の松本です。

  弊社と取引のある地元の地方銀行ですが、合理化のつもりなのでしょうが、支店に電話しても電話案内で番号を選択しなければ、その支店につながらないのです。 予め、お客の要件により振り分けたいのでしょうが、何番の番号を入れればよいのか、お客を待たせてダラダラと音声案内を聞かせられるのは、「もう、電話してくるな」と言われているように感じます。  この銀行からは、以前、苦しい時に借り入れしたことがあり、ありがたい存在でした。 それを返済し終えると、向こうから借りてくれとの依頼があり、お世話になったので仕方なく借入しました。 借りてくれと頼む割には、間に信用保証協会を入れろと、自分の身の安全が第一なのです。 この銀行、担当の方の変わり方もはげしく、弊社の担当の方も200社以上の客を担当されているとの事で、弊社に顔お見せることもなく、決算が終了したので決算表位みたいのでは? と思い、こちらから連絡して差し上げようと電話したところ、この音声案内でした。 一年以上の御無沙汰でしたので、担当の方の名前も忘れ、会社名だけ伝言しておきました。 

  すると先方から電話を頂いたのですが、私の名前を忘れているようで「担当の方へ」との伝言が残っていました。 私は留守が多いので弊社への電話は秘書サービスが受けて私宛にメールで連絡してきます。 直接、用のある方は携帯に電話してきて、会社に電話してくるのは、私の携帯番号を知らない方だけです。 この銀行の担当の方は、私の携帯の番号を紛失しているという事か、まさか、携帯へのコールはしてはいけないなどと言うルールでもあるのでしょうか? まあ、弊社など、地方銀行から見れば、カスのような存在でしょうから仕方ありませんが、この銀行への心理的な距離、遠いものがあります。 行員、一人一人の資質としては日本の平均点以上なのでしょうが、組織としてはダメですね。 これは行員の責任と言うよりは組織の責任です。

  それに比べると地元の信用金庫さんは、担当が支店長まで連れて挨拶に来ます。 この信用金庫さんは信用保証協会を間に入れろなどと言わずに融資してくださいました。 二つの金融機関と取引すれば、必然的に2つの間での仕事への熱意の差が感じ取れてしまいます。 地方銀行とはいえ、信用金庫よりは大きな組織ですが地名を冠にしたこの地方銀行は、地元での大企業であり、そのせいか「大企業病」と呼ばれるような諸症状が出ています。 規模は幾分小さくても、一生懸命に働いている態度の見える信用金庫さん、そののうち、どちらかを選べとなれば、答えは見えています。  大組織がダメになっていくとき、その兆候は見えるものです。 まあ、地元のためには、地名を冠した地方銀行さんにも発展していただきたいのですが、外から見ると発展どころか、逆方向へ歩まれているのではないかと危惧します。

ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。 今日から再開します。 「スマホ・アーミッシュ」

令和2年3月16日
こんにちは。  落雷抑制の松本です。

  出張が続いたことがキッカケとなり、ブログの更新を中断していました。 すると、健康状態を心配して沢山の方から問合せを受けまして、申し訳ありませんでした。 健康状態は絶好調ですし、ビジネスも同じく絶好調で、今月はまだ半ばでありながら先月の2倍以上の御注文を頂きまして、今月だけで100台に迫る勢いで出荷しています。 それだけに私も多少は忙しい身となっています。 また今日からブログを再開したいと思います。

  アーミッシュと呼ばれる宗教団体なのでしょうか、米国のアチコチの地方にまとまって生活をしていますが、現代文明の便利さを嫌って、交通手段は馬車、衣服も黒ずくめの地味な装いで、昔ながらの生活様式に拘っているのは、便利さの裏に潜む邪悪なものを敏感に感じておられるのでしょう。 私はそこまでストイックな生活はできませんが、なるべく、便利だからと言って跳びつかない様にしているのがスマホのアプリです。  iPhone を購入するなり、アプリを購入するための APP Store は消去し、何のアプリも追加できないようにしまして、これを知った友人からは、 IPhone の便利さを分からない偏屈オヤジと言われましたが、それはまさに「偏屈オヤジ」であるためにしたことで、携帯は文字通りの電話「音声通信」と「メール」さえできれば、後は必要なしと言うことでLINEさえ使用しないために、家族からも阻害されていますが、それでも使用しない事にしています。

  便利であることは「良い事」なのですが、あまりに便利な事は何か胡散臭い気がして使う気になれないのは、完璧な「デジタル・デバイド」であることを自覚しつつも、指を咥えてやせ我慢「武士は食わねど高楊枝」。 あえて使用しないのです。 これで「得」な事は何もなく「損」ばかりなのです。 先日も、共同使用のオフィス・ラウンジを使えるメンバー券をいただけると言うので喜びましたら、そのメンバーシップはスマホに登録するとの事で、辞退いたしました。  何故、世間の流れに乗らないのか?  世間様とは一歩、間をおいて暮らしたいのです。 そのためには、便利だからと流行ものの後を追いかけてはいけないのです。 自分の今があるのは、この偏屈のお陰であり、チャラチャラと流行ばかりを追いかけていたり、世の大勢に従っていたら、今の自分はなかったことでしょう。 私にとっては、「変人」であることこそが原動力なのです。
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