株式会社落雷抑制システムズ

雷ブログ

一刀両断  櫻井よし子 新潮社

2017年06月23日
こんにちは、落雷抑制の松本です。

さすがに切れ味の良い「刀」です。 私、櫻井さんのファンでして、まあ、内容的にはいつも同じようですが、そのブレナイところが良いのです。 応援のつもりで、櫻井さんの新刊は全て購入することにしています。 櫻井さん、評論家にしておくのはもったいないお方で、この高い見識を持たれた方に日本の政治に関わっていただき、外務大臣をしていただきたいものです。 著書だけでなく、対談もののTV番組でも筋の通った説明で、反日日本人、中国人、韓国人を本書のタイトルのようにバッタバッタと切り倒すのは実に痛快です。

「国際政治が目の前で激動を続けている。日本人は、勇気を奮って、100年に一度のこの大変化の中で、戦後日本の在り方を検証し、国と国民を守り通す確かな道を確保する時だ」で始まる本書ですが、日本男児は何時から大和撫子に発破をかけられなければ、動かなくなってしまったのでしょう。 いや、発破をかけられても動かない日本男児ばかりにになってしまいました。 日中の関係を非常に冷静に分析されていて、これを「日本人の常識」として、全国民が理解すれば、日中関係はもっと改善することでしょう。

本書は、韓国についてはあまり触れていませんが、韓国の大統領、また、日本に謝罪しろとはバカなことを繰り返すものです。 前回、「不可逆的に」合意した事の、舌の根も乾かぬうちに、また同じことを繰り返す、このアホには、国交断絶しかないでしょう。 いつまでも親の懐をあてにするようなバカ息子は、親子の縁を断ってでも、一度、独り立ちさせねば分からないように、韓国に甘い顔をしていても一向に彼らは独り立ちできません。 一度、関係を断つべきです。

モリカケ問題など、小さな話で、それよりも国際関係の中の日本についてどうあるべきかを議論すべきなのですが、報道する必要性のない低俗な事件でも、低俗であればあるほど視聴者が面白がり、その番組を作る、ポピュリズムの先頭ランナーがマスコミなのですから、マスコミを信用せず、自分の判断をシッカリする。 日本を強くするには、議員任せでもマスコミ任せでもない、自分で学んで自分で考えることが必要ですが、本書は、その時に必要な一冊です。

軍事オンチが戦争を招く   クラスター爆弾

2017年06月22日
こんにちは、落雷抑制の松本です。

日本人の中には、自分だけ良い子ぶる偽善的平和主義者が多く、そのおかげで、「クラスター爆弾禁止条約」に日本も加入してしまいました。 クラスター爆弾は、広範囲に子爆弾を散布できるもので、敵国が日本に上陸を試みた場合などに広い範囲に重さで2Kg 弱の爆弾を200発も散布可能で、防御用の兵器としては非常に効果の高い爆弾です。  ところが、この散布された爆弾のうち不発弾による事故が多いということで、この爆弾を禁止しようとする動きにヤスヤスと乗ってしまったのが日本でして、米国、ロシア、中国、韓国は、このような馬鹿げた条約には加盟せず、日本だけがこの条約により、所有していたクラスター爆弾を廃棄することになってしまいました。 中国の軍部は、日本を侵略する際に、日本にはクラスター爆弾が無いので安心して歩兵部隊を尖閣に上陸させられる、ということで、日本の「平和主義」者というのは敵国に利する事ばかりを訴えている反日日本人と言うべき人たちなのです。

核兵器であるとか、クラスター爆弾であるとか、武器の種類を制限しようとするのはナンセンスです。 特定の武器を禁止するということは、それ以外の武器であれば認めるということ同じです。 刺殺はいけないが絞殺ならば良いというのと同じようなものです。 個人のレベルでは、刺殺も絞殺も許されませんが、国家のレベルでは、戦争行為は最後の手段として許されているのですから、そこで使用する武器の種類を制限しても仕方ありません。 効果的な武器を使用するのは当然のことで、それも日本は国内での防衛用に使用するのですから、外国での事故の多さなど関係の無いことです。

使うことが無くても、強力な装備を整え、日本に侵略すれば痛い目に合うことを日常的にデモンストレーションする。 これが、平和を維持する唯一の方法です。 平和主義の方々は、個人的には善良な方々なのでしょうが、軍事技術に疎く、貪欲な近隣食国のなかで、自分だけ偽善的に平和を唱えても相手を喜ばせるだけなのです。 

「みんな仲良し」というのは幼稚園までとし、小学校からは、男女とも全員、武道を習わせて精神的にも体力的にも自分は自分で守ることを終えるべきです。集団の中で弱そうな個体がイジメにあうのは、動物の世界でも人間の世界でも同じことで、学校だけでなく、社会に出ても程度の差はあってもイジメはあり得ます。 そのようなことにイチイチ自殺などしない精神的な強さ、暴力を跳ね返す力は必要なのです。平和主義というのが、戦いを否定した「お花畑」のような美しい世界の中で実現できると思っているから身近なイジメにも対応できないのです。 「平和憲法」などという理想論を信じているうちは、イジメ問題も解決できないことでしょう。 

こういうことを言うと、怖いオジサンと思われるでしょうが、私は現実を直視した、超現実的な事を述べているだけで、昨今の中国の軍備の異常な増え方に気が付かない、能天気な日本人の行く末を心配します。 国防については「性悪説」、日本の周囲はドロボーばかり、日本に来る観光客には不法滞在を許さない「性格説」とおもてなしの「性善説」をバランス良く使い分けることが必要です。


日本人よ自信を持て

2017年06月21日
こんにちは、落雷抑制の松本です。

ケント・ギルーバートさんの「米国人弁護士だから見抜けた日本国憲法の正体」 角川新書の「終章」にケントさんが日本を称えて次ように書かれています。

「世界標準を圧倒する日本人の精神レベル

初めて日本を訪れてから、45年余りの月日が経ちました。その後の人生の大半を、この日本で過ごしています。祖国であるアメリカ以外の国をこれほど好きになろうとは、当時は思いもしませんでした。 気候や風土、食べ物や住みやすさ、清潔な環境など、日本の好きなところを挙げれば、キリがありません。、ただ、最近になって気づいたのですが、私が一番好きなのは、「日本人」そのものだったようです。真面目で努力家、優しさや思いやりにあふれ、義理人情にもあつい、協調性に優れ、誠実であり、礼節を重んじる、など数えあげれば本当にキリが無いくらいです。それら日本人のすばらしい国民性こそが、私を魅了してやまないのです。

たとえば、東日本大震災後の日本人の行動には、世界中の人々が驚嘆しました。発災直後に公共交通機関が麻痺し、首都圏では500万人を超える人々が帰宅困難者になりました。大勢で徒歩で家路につこうとする時も、そこに混乱や怒号はありませんでした。幹線道路沿いの飲食店やコンビニなどは無償で休憩所やトイレを提供しました。全て自発的な行為でした。 地震や津波で家族や自宅を失って避難所生活を余儀なくされた人立も、暴動や略奪にはほぼ無縁でした。避難所では水や食べ物を分け合い、時には順番を譲り合いました。 私はこれこそ日本人であり、日本だと感じました。」

この後も、サッカーのワールドカップで日本代表が初戦に敗れた直後、日本人のサポータが応援席に残されたゴミをみんなで拾い出した話なども紹介されていましてす。 こういう話を日本人が書いて、「どうだ日本は偉いだろ!」というのではなく、ケントさんの目で見た日本人観なのです。 自分たちは世界の中でも「上」の部にあることを自覚していないのが日本人の特徴の一つで、それは良い点でもありますが、同時にダメな点でもあります。

また、世界で一番古い、歴史のある国も日本なのです。 中国4千年の歴史などと言いますが、殺しあい/奪いあいの血塗られた歴史で、その都度国体は変わり、中華人民共和国など4千年どころか戦後にできただけの国です。 戦後、日本の安全を支えてきたのは米国ですが、その米国も、国内事情はメタメタになっています。 そういう状況が変化した中で、70年前の古い法律をそのまま残そうとするのがおかしいのです。 

この日本国が世界の手本となるように、自分の国の憲法は自分たちで作る。 自分たちを信じ、日本が世界の中で堂々と手本になるべきことを示す時代が来ているようです。 自分の国を自分で守るというのは基本中の基本です。 憲法第9条の第2項は削除し、堂々と軍備を所有せねばなりません。 日本は、もっと自信をもって物事に当たらねばなりません。 防衛面で米国に寄生するのは止め、世界を見渡し、身の周りの問題に優先権を付けて対処すべきです。 とりあえず、防衛予算をGDPの3%、現在の3倍に引き上げることから始めるべきです。 

モリやカケの話は蕎麦屋でのウワサ話だ十分で、国会で議論するほどの問題ではありません。野党の皆様の視点の低さに引きずられてはなりません。 安倍内閣の支持率が低下したとのことですが、マスコミに踊らされてはなりません。 野党もマスコミも視点が低いのです。 激動の世界の中で、どのように生き残っていくか? 目は海外に向けなければならないのです。 大阪市や今治市の事は週刊誌に任せておけば良いのです。日本地図でなく世界地図を眺めて仕事をしていただきたいものです。

平均思考は捨てなさい  トッド・ローズ  早川書房

2017年06月20日
こんにちは、落雷抑制の松本です。

読み終わっての印象は、「やっと、気が付いてくれましたね」でした。 はっきりと言葉でい表したことはありませんが、というより、できませんでしたが、心の中ではくすぶり続けていたものをヤット、きちんと説明してくださいました。 著者のローズさんは、ハーバード教育大学院で「個性学」プログラムを推進しているそうですが、その中で、「平均」という概念、それを支える序列化されたデータの中で、どの程度、意味のあるものなのかについて語っていますが、例えば、現在の米国を支えてきたのはT型フォードから始まる大量生産で、工業製品の大量生産においては、製品のバラツキを抑えるための管理は重用ですから、その中での平均値は、意味のあるものでした。

その大量生産を支える従業員の訓練でも、訓練の効果があったかどうかは、やはり、試験、その成績と序列、平均値も意味のあったことです。 一般的な教育の世界でも学習効果の測定としての試験、その結果の序列や平均点で世界は動いてきました。社会が個人を評価する方法としては、数字という客観的な結果ですから、評価の方法はともかく、結果の数字だけが重要視されてきました。 これが企業になるとイヤラシイのが、数字という客観を装いながら、上司の主観や恣意的な要素まで含むこともあります。

単なる学習成果の評価であった試験の点が、その人の全体を評価することにまで使用されてしまいます。しかし、人の評価が難しいのは、知性にもバラツキがあるのです。 同じ知能指数であっても特性はバラバラですし、社会の中で活動するのに必要な技能などは、単に語学が得意であれば外国との折衝がうまくできるというような単純な事ではありません。 いくつかの成功している会社では、例えば大学を卒業して3年以上経過している場合には、大学での成績など検討の対象にもならない、しかし、それでも社員の選抜はうまく機能している例などが挙げられています。 人間の特性は多様で、学校での成績など実社会ではほとんど関係の無いものなのです。 現実には「学閥」など、人生の成功要因に学歴、卒業校の占める割合は無視できませんが、学歴、卒業大学は能力とは別の要素なのです。 そのことを人は知っているようであっても、学歴や卒業校で人を判断してしまいがちです。

採用において何を重視するかは、会社の将来の命運を決める要素の一つになりますから、その関係に携わる方には大変参考になります。 弊社にも、入社希望とのメールをいただくことがたまにあります。 私に直接、メールしてくるその行動力は、最初の入り口では「合格」と言えます。 知り合いを通じて尋ねてくるなどとウジウジした行動よりはよほどマシなのですが、その次の選択基準は、難しいですね。 学校の成績など私は全く信頼していませんから、成績証明などあてにはなりません。 人物を見極めるというのは、恋愛であれば「一目惚れ」もあるかもしれませんが、仕事関連では難しい。 その難しさが何であったのかにも本書は参考になります。 これからは以前に増して、「個性」が大事になる中、平均など気にせず、「出る杭」となってアピールすることが大事です。 親が学校の成績について、あまり重視しない行き過ぎた(?)寛容により、我が息子の学校での成績は芳しくありませんが、それでも目標はシッカリしていて、それに邁進していますから、好きなようにやらせています。 本書を読んで、そんな育て方でもいいのだと自信を持ちました。


米海軍イージス艦の衝突事故

2017年06月19日
こんにちは、落雷抑制の松本です。

海上での衝突を予防するための規則として、2隻の位置関係で、相手の船を右側に見る船の優先権が高いことになっています。 イージス艦の右舷が壊れているところを見ると、相手を右舷に見る側にいたのはイージス艦です。優先権があったのはイージス艦です。 また、軍艦には接近してはいけないというルールもあるようです。 過失の割合は、コンテナ船の方が不利と言えるでしょう。

ヨットレースでは、衝突寸戦までこの優先権をトコトン主張して走りますが、それはレースの駆け引きで、同じ位の大きさのヨットでレースをする場合だからこそで、実際の世界では大きな船を相手にいくら優先権を主張したところで、事故になっては元も子もない。「無事、これ名馬」というが如く、優先権よりは事故の発生を防ぐことが最優先なのです。 3万トン近い貨物船を相手に8千トンの船が衝突して無事な訳はありませんから、これは、双方が寝ていたとしか思えません。

昼間と異なり夜間では大きな船といえども視認し難いことは、私も体験したことがあります。 初島/大島を回って葉山に戻ってくるヨットレースに出たことがありますが、1昼夜かかりますので真っ暗な外洋を走ります。外洋に出ると夜間も大型船が走り、小さなヨットなど大型船からは波の間に隠れ見えないでしょうし、船体を黒く塗った大型船は夜間では分かりにくいのは事実です。 ほぼ海面の高さの小さなヨットから見るとまるで「山」が動いてくるような大型船に気付いた時は恐怖以外の何ものでもありません。

しかし、軍艦にとって重要なのは、攻撃の際、相手との距離を測ることですから、近隣の船との距離や位置関係は詳細に把握しているハズです。 接近する相手など何キロも先から「目を覚ましていれば」、分からない訳がありませんから、当直全員が寝ていたのでしょうね。 米海軍もたるんでいるものです。 民間の船舶であればそういうこともあるかもしれませんが、軍艦なのですから、「常在戦場」、常に戦場にあるという意識であって欲しいものですが、目的地を指定すればば自動で操船されますから、その気楽さで見張りまで全員で寝ていたのでしょうね。

どんなにハードウェアが優れていても、それを使う人間が寝ていたのでは意味がありません。 寝ていなかったとして、機器の故障であれば、一番基本的な肉眼による監視もしていなかったということでです。 自分の傍に相手を近づけてはいけないというのは軍艦の基本です。 過去には、イージス艦「コール」が停泊中に自爆テロのボートに当たられて大破したことがあります。 これなら、小型漁船に爆薬を積んで自爆体当たりも簡単にできる事を示したようなもので、米海軍としては恥ずかしいい事故です。  このような緊張感に欠けたイージス艦に北朝鮮のミサイルが本当に撃ち落とせるのかも疑問です。 米軍は頼りにならない熟度の低さを露呈したように思えます。

 *********   上記の記述は間違いでした。 ************  6月19日 午後3時   訂正とお詫びです。

言い訳ですが、海を離れて20年、いつしか右と左を間違えてしまいました。 昔は体で覚えていたことが、歳のせいか、右と左が逆転してしまいました。 相手を右舷に見る方が、衝突回避の義務があるのでした。 右舷に傷を負った米艦に回避義務があり、コンテナ船が有利な状況です。  寝ているハズがないという意見もあり、寝ていないとしたら、眠気覚ましに「横断ゲーム」でして、無事に横切れるかどうかのカケでもしていたのかもしれません。 回避義務がありながらの衝突であれば、米海軍がたるんでいることには間違いがありません。


柳生家の家訓

2017年06月16日
こんにちは、落雷抑制の松本です。

柳生家の家訓に次のようなものがあるそうです、

小才は、縁に会って縁に気づかず。
中才は、縁に気づいて縁を生かさず。
大才は、袖振り合う縁をも生かす。ここでいう「縁」とは、「男女の縁」のような小さなことでなく、もっと広い「出会い」「機会」のことでしょう。 

凡人は良き出会いに気付かず、凡人より少しはマシでも機会を生かせないが、才能ある人は、少しの機会をも見逃さない。 という、簡潔な表現で真理を突いています。 現代は情報にあふれ、柳生家の活躍した時代からくらべれば、身の回りで得られる情報だけで何万倍にもなっていますが、情報と教育で人間が少しはマシになるかと言えば、そうはならない。 いくら教育制度を充実させても、PC、スマホ、タブレットがいくら安くなっても、世の多くは、小才、中才であるという事実は少しも変わっていません。

と偉そうに、この格言を紹介する私もここでいう「小才」で、この家訓を知って反省することばかりです。 時代がいくら変化しても、偉い人というのは何時の時代にもいるものです。 教育や情報の非力を感じます。

ロンドンの高層マンション火事  外断熱の悲劇

2017年06月15日
こんにちは、落雷抑制の松本です。

以前、自宅を新築するときに建物の断熱について色々と調べました。 欧州では日本より高緯度で冬は寒いですから、断熱については日本よりも進んでいました。 その欧州で行われている「外断熱」。 この方法は建物の外側をすっぽりと断熱材で覆うのです。 日本で多いのは、外壁と内壁の間に断熱材を入れる「内断熱」で、断熱の効果だけでいえば、外断熱の方が優れているのです。 

ところが、考慮すべきは断熱の性能だけではありません。 断熱材というのは内部の空気で熱を伝導し難くしているので、発泡系のものが多いのですが、これらは火災に弱く家の外側を覆うのには問題がありました。 鉱物系の繊維で燃えないものもありますが外壁には使用できません。 火災が家の中から生じるのは自分の過失ですから仕方ありませんが、近所からのもらい火で自分の家が燃えるのは悔しいことです。それで断熱性能よりは火災に強いことが重要。

外壁というのは雨風、直射日光など大きなストレスのかかるもので、外壁としての性能と断熱の両方を備える材料は中々難しいのです。 壁の内部であれば、雨と直射日光の問題は無く、断熱に専念出来ますが、やはり建物の材料ですから、難燃・不燃であることも必要です。 私は、外からの火に強く、そこそこの断熱性能の両方を満たす壁材として、ALC(軽量気泡コンクリート)を選びました。

ロンドンの高層ビルの火災を見ると、完成した後から外断熱の工事をしたようですが、燃えやすい断熱材で建物を覆うということは、リスクを伴います。 素人の私でさえ考慮したのに、建築の専門家としては不注意でした。 

火災報知器が機能しなかったとの報道もありましたが、当然です。火災報知器は、建物の外部ではなく内部にあり、建物の外側の断熱材が可燃物であれば、垂直方向に延焼する速度は速いですから、水平方向に部屋の中にまで延焼し、火災報知器が作動する時には、もう建物は全体に火が回ってしまいます。 私が新築したのは遥か昔です。 そのころから少しも進歩せずに、可燃性の断熱材でを建物の周囲を覆うとは何の進歩もなかったようです。 世の中には危険感覚に疎い人がいるものです。 私は臆病ですから、危険なことには割と敏感です。 今回の火災、これは人災でしょうね。

程度の悪い文部科学省/野党/マスコミ

2017年06月14日
こんにちは、落雷抑制の松本です。

マスコミも野党も、嘆かわしいほどに程度が低すぎるのではないでしょうか? その理由は、

1) 「行政がゆがめられた」というその行政は、50年もの間、新規参入を認めない既得権者との癒着であるのに、それを改革しようとするのが気に食わないとは、誰のための行政なのか? 
2) 業務上知り得たことを、ウソでも真実でも公表するのは「国家公務員法違反」。あの元次官は逮捕すべき。逮捕されないでヌクヌクさせていては日本全体で「機密保持」を反故にしても良いことになる。
3) 「機密保持」を犯して入手した違法な証拠は証拠にならない。 であるから、菅さんが出所の明らかでない文書は相手にしないとの判断は当然で、そのような「怪文書」を相手にしていてはキリがない
4)野党は、違法に入手した証拠に値しない証拠を振りかざしているのはアホの極み
5)取材されたら、身元を明かさずにコソコソとマスコミにリークする。 文部科学省にはこのような卑怯者が多いのでしょうか? 
6) たとえ、その文書が文科省内に存在していても、「存在する事」とその中身が「真実であること」は、別の事。
7)問題の本質は、文章が存在するか否かではなく、そこに書かれていることが真実かどうかなのですが、一歩手前の「あるか」「ないか」に終始している。
8)たとえ、指示があったとしても、何が悪い? トップが部下に指示をすることは職務上の義務である。
9)このような低俗な話題だけ、朝から晩まで面白おかしく報道するマスコミ。 騒ぎが大きくなれば面白いというだけの報道は報道機関としての見識も見えない。

このような議員たちの歳費となる税金を支払う事が馬鹿馬鹿しくなります。 このような小さなことでなく、目を外に向けて日本の将来について議論していただきたいのですが、小選挙区制の弊害なのでしょうか、自分の選挙区内の事と、そこにアピールしたいスタンドプレーだけで、天下国家の事を忘れているようです。 日本を取巻く状況は厳しく、このようなツマラナイことに時間を費やす暇はないはずですが、野党の皆様は、日本の問題についてもっと大きくとらえることができないのでしょうか? あの野党の方々こそ、規制改革をされては困る既得権を持つ側とつるんでいるのではないでしょうか?  獣医師を増やしたい政府と、獣医師不足で美味しい思いをしたい獣医師の側に立った野党との利権争いのように見えます。

ニュースを見ていましたら、某野党の皆様が、いきりたって、「俺が車を出すから、皆で文部科学省に調べに行こう」と興奮しておられました。 「議院」には調査権はあるでしょうが、「議員個人」に調査権などないのに、何を根拠に文部科学書に「乗り込んで調べる」と仰っているのでしょう。 思い上がりもはなはだしい議員さんでした。 勝手に事務所内に入り込んだら「不法侵入」で逮捕すべきですが、国会開催中には逮捕されない特権をお持ちなのですね。。



大桟橋からの出港準備

2017年06月13日
こんにちは、落雷抑制の松本です。

昨日の続きです。

停泊すると次にやってくるには燃料を補給する「バンカー船」です。 車は自分でガソリン・スタンドに行きますが、これだけの大型船ですから停泊できるところは限られます。 船の場合には、ガソリンスタンドが自分の所にやってくるのです。 飛鳥の横に停泊した船ですが、この大きさ丸々、燃料タンクだとしても、飛鳥全体の容積に比べれば小さなものです。 このタンカーは、第八健晃丸で重油500トンを補給できるそうです。

500トンといえば、500,000Kg. 非常に大雑把ですが、重油も1リットルを1kgとすると、50万リットル、車の1万台分。 燃料は1万台分でも運ぶ人数はせいぜい1000人ですから、一人当たりの燃費はそれほど良くないように見えますが、この船は人を「運ぶ」のが目的でなく、クルーズの間の優雅な「空間の提供」が目的ですから、一人当たりの容積で比べれば、車よりはるかに大きく、小さく見積もっても20倍以上はあるでしょうから、千人の方が20倍の空間を提供されるとなると、それに必要な燃料は同じ位かそれ以下かもしれません。

よく見ると小型タンカーは2隻が重なっています。もう一隻、外側は水の補給でしょうか? 船や飛行機には、こういうサポートをする船や車両が寄ってきて、次の旅立ちの用意をする。 こう言う風景、いいですね。


大桟橋への入港風景

2017年06月12日
こんにちは、落雷抑制の松本です。

ここ、横浜らしさを感じる一番の光景が大桟橋と大型客船です。 本日(6月9日)、飛鳥IIが入港してきました。 ベイ・ブリッジの下を通り、大桟橋に向かってきますが、約500mほど手前で、タグボートが船尾にロープをつないで後進して時計方向に180度回転させます。もう1隻のタグボートは船首を受け持ち、この2隻で客船の向きを180度変え、それから2隻で飛鳥を押しながらバックで大桟橋に着眼します。 これで客船は、そのまま出港できる「出船」状態で係留されています。

タグボート、小型でかっこはズングリしているのですが、力持ちで、自分の何倍もある船を動かしてしまうのですから頼もしい限りです。 私もズングリ体形なので同類項の様な親しみを感じます。 心のあこがれはタグボートです。 

最新の船は、進行方向と90度の角度で船体にトンネルのような穴が開いていて、その中のプロペラで船体を横に振ることができたり、推進用のプロペラの入っているポッドが360度回転して、推力の方向を自在に制御でき、タグボートの助けが要らない船もあります。 こういう風景もだんだん少なくなるかもしれません。


右の売国、左の亡国  佐藤健志  愛国を装う売国か? ストレートな亡国か?

2017年06月09日
こんにちは、落雷抑制の松本です。

右も左もバッタ、バッタと切り倒す、実に痛快ながら、どうしようもない無力感に襲われます。 日本は怖い方向に向かっているようです。 

政治的な区分けからすれば、「右」「左」あるいは「保守」「革新」などと色分けされますが、そのような単純な色分けからすれば、まるで混沌とした「右」のようでありながら「左」のような政策、その逆もありきで実に分かり難い、と言うより、一貫性に欠けた、デタラメな動きなので余計に分かり難いのです。

一般に、安倍さんは、右寄り、保守的と言われていますが、ニューヨーク証券取引所で次の演説をされています。「私は、日本をアメリカのようにベンンチャー起業精神あふれる、「起業大国」にしたい。規制改革こそがすべての突破口になると考えています。昔ながらの頭の固い大企業は、奮起が必要かもしれません」 日本をアメリカのような国にしたいということは、伝統的な日本を護るナショナリズムとは相容れず、この点では「保守」ではなく、まさに「革新」であり、「保守」= 「ナショナリズム」とは単純にならないのです。

「ナショナリズムを肯定する形で国の在り方や方向性を考えるのが保守」
「ナショナリズムを否定する形で国の在り方や方向性を考えるのが左翼・リベラル」

という従来の区分は意味がなくなるほど、右、左、入り乱れ状態になっているのは、一貫した思想よりもポピュリズムで、人気取り政策に影響され、さらには、ナショナリズムを超えるグローバル化の様子を見ながらこれに迎合したり、情けない状態なのです。 一貫した信条の下では時に辛口のことも、そして優しくはない事も言わねばなりませんが、選挙のためにはイイ顔をせねばならず、民主主義の末路は、大衆に迎合するなかで分裂してしまうのでしょうか。

今の安倍さんは概ね支持しますが、それでも「ナショナリズム」的な観点からは政策がバラバラで、何をお考えなのか? 米国とは仲良くすべきですが、日本の目指すべきは「ミニ・アメリカ」ではありません。「君は君、僕は僕、そして仲良く」で適当な距離を置き盲目的な追従はすべきではありません。 保守と言いながら、「売国的」と思われる動きもあり、本書のタイトル、「右の売国」につながります。

小学生に英語など教える必要なし

2017年06月08日
こんにちは、落雷抑制の松本です。

教育制度を論じることのできる公務員や大学の先生などは、いわば子供の頃から「学習エリート」であった結果、大人になってその職についた方ばかりですから、当然のことながら「学校崇拝者」というか「教育中毒」というか、学校教育の効果を信じておられるようで、国際化のために小学生から英語を教えようとしていますが、授業時間の上限が限られている中で新たに英語を加えれば、追い出されるのはどの科目なのでしょう? まさか国語ではないでしょうね??

言葉など、学校の授業でなく、日常生活の中で覚えれば誰にでもできるもので、モンゴルの力士さんたち、相撲の稽古の中でしっかりと日本語を習得されていますし、外国人の観光客の増えた街ではお土産物屋さんまで立派に対応されています。学校の授業時間など割かなくても、日常生活の中で話し言葉であれば、十分ににおぼえられます。 外国語というのは母国語の能力の下でしか機能しません。 外国語を習得したければ、母国語である日本語の能力を涵養するのが必要なことで、それを行うのが小学生の大事な時です。 この大事な時に、中途半端な英語教育に大事な時間を割くべきではありません。

先日、イタリア語で堂々とサンタルチアをうたっている日本人女性をTVで拝見し、その見事な歌唱力に圧倒されましたが、同時に、この対極ですが、着物を着て山形なまりで「最上川舟歌」を歌う外国人を見たような気もしました。 日本人は、外国文化に貪欲というか、何でも真似る、取り入れる柔軟性さがあり、これはプロの歌手だけでなく、私の知人にはスカートをはいて、なんやら英国のダンスに興じる文化的にソソッカしいオッサンもいました。 日本人のオペラ歌手は多数おられるでしょうが、日本の民謡を歌う外国人は希少です。 それだけ文化の力の差が表れています。 世界における存在感は、イタリアのオペラに比べ我が日本民謡は圧倒的に小さいということです。 最近は、日本の中でさえ絶滅危惧種のようです。

そこで大事なのは、なぜ、英語なのか? 長らく日本を支配してきた影の存在として米国の文化的影響の大きさは言うまでもありませんが、世界における英語の影響力はこれからは減少傾向です。 米国の植民地ではあるまいし、子供に外国語を勉強させるのは、植民地の子供達がそこを支配する外国人の言葉を習うようなもので、日本の子供には、英語よりはまず国語なのです。 英語を話すことにアコガレを持つような無国籍風日本人は、どうぞ英語の国で暮らしていただきたい。 すべての授業を英語でするなど、何を勘違いして得意になっているのでしょう?

小学生に英語をという方々は、ご自分の英語力は如何なものなのでしょう? ご自分ができないことを子供たちに期待してはいけません。 私は、英語は大人になってから自分で身に付けましたが、その経験からすれば子供の頃から慌てて勉強するようなものではないと確信を持って言えます。 放課後にネイティブの方達と交流するのであれば遊びの中で習得するものも多いでしょう。 教室の中での「勉強」よりもよほど効果があることでしょう。 発想の原点が、「文化コンプレックス」から発したような英語教育は脱して、日本語を世界に押し出す元気はないのでしょうか? 最近は、街でのインタビューに立派な日本語で答える外人さんもふえました。 これぞ、日本の文化の力で、世界に日本語を振り向かせたということです。「言葉の力」よりは「文化の力」の大きさを表しています。 日本にとって大事なのは「外国の言葉」を真似るオウム/九官鳥を育てるのではなく「日本の文化」で世界に伍していけるような子供たちを育てる事が肝心なのではないでしょうか?

グローバリゼーション と グローバリズム の違い

2017年06月07日
こんにちは、落雷抑制の松本です。

佐伯啓思さんの「経済学の犯罪」によると、グローバリゼーションは、産業や技術の発達で不可避的に引き起こされる「現象」。グローバリズムとは、その現象を良いこととして評価し、これを自分たちの利益のために積極的に利用する「イデオロギー」。 現象としてのグローバリゼーションには良い面も悪い面もある中、良い面だけを強調して宣伝し、多くの人がグローバリゼーションは良いことと誤解する。 これを推進するグローバリストは、国境を越えて巨大資本を動かし、自国の利益よりは自分の利益のために動き、時に他国の主権をも犯す。それぞれの国の伝統や文化、慣習までも平気で破壊する。

世界が一つになるなどというのは、見かけ上の話で、一つになれば自国の文化も失うということで、一つになれば争いがなくなるという訳ではありません。 例えば言葉一つとっても公用語を英語にする会社が出てきたりしますが、+αで英語を学習するなら良いのですが、外国語は、自分の母国語を捨ててまで覚えるべきものではありません。 自由貿易、「自由」という言葉が付いていれば良いことと錯覚する人が多いのですが、これは強い国が弱い国に対しての誤魔化しの言葉です。 

各国が背負う地理上の格差はどうにもならず、国土の小さな国が農作地が狭いが故に大規模な農業ができず、コジンマリト営農しているからと言って、国土の広い国がバカにすべきものではありません。 山の斜面を切り開いて作った棚田など、空から飛行機で種まきする大規模な農家から見たら小さくて物笑いのタネでしょうが、そういう場所をコツコツと切り拓いてきた我々のご先祖からの伝統が、狭い場所でも大事にし、モノを大事にする文化が継承されてきたのです。

そういう地理的/物理的なハンディを補うのが関税であり、なぜ、強い国のために弱い国が門戸を開けなばならないのか?  貿易の自由化というのは、あくまで買う側の「自由」に任せるべきで、これを売る側の論理での「自由化」などあり得ない話なのです。 人、モノ、金の移動を自由にしてしまったら混乱しか残らないのはEUが証明しています。  国際間で仲良くすることは悪いことではないでしょうが、モノを決める「自由」はあくまで自国のためであり、他国が自分のために何でも要求できる「自由」な権利などあろうハズがありません。 「自由」という怪しげな言葉が使われたら、誰のための何の「自由」なのか、よくよく注意することが必要です。 「自由xx党」、私も一応、党員になっていますが、あの「自由」は何なのでしょうね?

あまりに内向きな国会とマスコミ

2017年06月06日
こんにちは、落雷抑制の松本です。

50年前からの規制に風穴をあけようとすると「行政がゆがめられた」と文句をいうのは、「行政がゆがめられた」というより「行政と既得権者との長年の癒着をゆがめられた」ということで、50年もの間、新規参入を認めてこなかった文部科学省が堂々と「盗人にも3分の理あり」を述べているに過ぎません。

本来は、行政は日本の国が健全に発展するように各種の規制という権限を振るってきたことでしょうが、その規制が新しい事をするための障壁になり、既得権者の利益を保護する事になってしまっているのですから、こうなると、行政は国の健全な発展を阻害する存在になってしまいます。 世界はドンドン新しいことに向かって進んでいるのに、50年前の規制をそのまま守ろうとする方がおかしいのです。 そのプロセスに問題があったかなかった、それも少しは問題でしょうが、大きなベクトルとしては、正しい方に向いたベクトルなのです。

知り合いだから便宜をはかったのではないか? 知人/友人に便宜を与えることなど、世の中では普通にあることで、それの何が悪い? 私も、過去、色々な場面で知人のお世話になって今がある。 人からお世話にならずに生きてきた人、いるでしょうか? 国会議員自体が、与党も野党も、いわば口利き業のようなもので野党の皆様も、支持団体のために何かをする。それは国会議員としては日常的なことではないでしょうか? 聖人君主のような顔をして自分だけは常に正しく、悪いことは何もしていませんというようなあの偽善はいい加減にしてもらいたいものです。 小さなことにいつまでも時間を費やして欲しくありません。

国会の証人喚問であれば仕方ないでしょうが、職務上、知り得たことを記者会見で堂々と発表する元公務員、あの男を野放しにしておくことは、社会全体で「秘密保護」に関する約束を反故にしてしまうものです。 たとえ、発言の内容が正しくてもウソでも問題ではありません。 本人が、職務上、知り得たと公表しているのですから、それ自体が立派な犯罪なのです。 この犯罪行為を利用して政府を攻撃している政党は、違法行為を黙認、助長しているのですから他人の違法性についてトヤカク言う資格するありません。

この男、現職中に進退をかけて内閣府からの圧力に抗議するならともかく、自分が天下りの責任で辞めさせられた後、その不満をぶつけるように告げ口するような行為は日本男児としてみっともない、恥ずかしい行為です。 このような「恥」を「恥」と思わないのは行為をイチイチ、政府レベルで対応することなどありません。 このようなアホの言うことは無視すべきです。

国会議員の諸氏はご自分のコスト、歳費/公設秘書の給与その他について自覚があるのか疑問です。 身の回りのこのような小さな話、面白おかしく、まるで週刊誌と同じレベルで騒いでおられますが、日本を取巻く世界の変化の中で日本の舵をどこに向けて切っていこうとするのか? 日本の世界におけるプレゼンスをどのように高めていくのか、視点をもっと上に切り替えていただき、もう少し高尚な議論をしていただきたいものです。 まあ、最後に行きつくところは、アホな議員を選んだのはアホな国民ということですけどね。。。

大学生よ、甘ったれるな!

2017年06月05日
こんにちは、落雷抑制の松本です。

6月1日の日経産業新聞によると、就活をしている大学生100人へのアンケートで、毎月の残業時間の上限は、40時間未満、20時間未満、全くしたくないの合計が6割とのことです。 例外もいることでしょうが、入社したばかりの新入社員は、即戦力ではありません。 仕事もまだ一人前ではなく、世界の大学性と比べても、大した実力がある訳でもない日本の大学性が何を生意気なことを言っているのか? 新入社員というのは、給料をもらいながら、社会人としてのトレーニングを会社からしてもらえる実にありがたい立場にいながら、40時間程度の残業で、残業時間が多いなどとツベコベ文句を言うな、と言いたいところです。

我々のジジイ世代が若かりし頃は100時間から200時間など普通の事。 実験室や会議室には寝袋や毛布など置いてあったり、お風呂にも入らず社内の休憩室での雑魚寝(ザコネ:今や死語かもしれません)など当たり前の時代で、それ故、米国の経済をも追い越してしまいそうな勢いがありました。 我々、アホな日本人は世界に比べれば生産性が低く、それゆえ長時間の労働をもって対抗するしかなく、それでも夢中で仕事をしたものです。 本来、日本人にとって勤労は美徳であり、働いて何が悪い? と言いたいです。

ハタラクとは「ハタ」を「ラク」にする、即ち、社会や他人への奉仕の精神にあふれた言葉でした。 強制労働でイヤイヤ働かされる事への対抗として、安息日を設けようとする外国宗教での労働の価値観とは一線を画すもので、我々のご先祖様の時代から、とうとうと、この勤労観があったからこそ、江戸時代も安定し、明治になってからも外国に追いつき、大東亜戦争に負けても立ち上がってきたのです。 このご先祖様からの日本の伝統的な勤労観と異なる、「労働は悪」のような価値観に惑わされて、世界に伍していけるほど日本人が優れていると思っているのか? 業種にもよりますが、生産現場以外での日本での生産性は遅れをとっているのが現状です。

表面上の労働時間を気にするのではなく、如何に生産性を向上させるかが日本人にとっての大命題なのです。 労働時間の短縮は、生産性が向上すればこれに付いてきます。 これは、大学生の責任ではありませんが、生産性の低いまま労働時間の短縮を目指すなど、勉強しないで合格だけを目標とするようなアホな話です。 労働時間を短くしようとするのは、日本を貶めたい外国勢力の陰謀とそのお先棒を担ぐ反日日本人の仕業のように見受けます。

働いてこその日本人。 長時間労働だけで過労死などしません。過労死といわれる自殺のほとんどは、長時間の残業もあったことでしょうが、それよりは組織/環境への適合の難しさを苦にされたものではないでしょうか。 会社の中ではいろいろな葛藤があります。会社からのノルマ/評価、仲間からの期待や評価、自分自身の仕事への達成感、組織への貢献感、プライドなどなどが入り交じり、死に至る決断ですから、単なる残業時間だけのハズがありません。 それを分かり易いので単に労働時間だけの問題ととらえては原因がぼやけます。 そのような単純なことを理由とするのは亡くなられた方に失礼ですし、残業時間だけが問題なら、残業時間ゼロ、労働を全くしていない子供までどうして自殺するのでしょう? これは、イジメが行われる組織/環境への適合の難しさを苦にしての自殺です。 原因を見誤って対処していても解決にはなりません。 自殺の原因を大人であれば過労死、子供であればイジメとするのは単純すぎます。 

環境/組織に順応し難くなった原因は何なのでしょう? 私には日本人が弱体化しているように見えます。 体格は立派になりましたが、精神力が伴っていないのです。 これは本人の責任よりも、家庭や社会の変化にも一因があります。 先日、陸上自衛隊の某所でトイレの個室に入りましたら、目の前に小さな貼り紙。 読んでみると、「一人で悩むよりは、まず相談」というタイトルで職場の悩みなどのカウンセラー、コンサルタントなど連絡先が5件も記載されたものでした。 陸上自衛隊といえば肉体的には、日本の平均レベルを上回る屈強な方々の集団と思いきや、精神的には悩みを抱える方が多いのか? 職場のメンタル・ヘルスなど、そんな概念からして昔はありませんでした。 昔は、皆が仲良し集団でメンタル・ヘルスの問題などなかったのか? と言えばそうではなく、人の集まる集団では、必ず何がしかのストレスやイジメは付き物で、江戸時代にもイジメ事件は存在し、江戸城 松の廊下での刃傷事件なども起こしています。 そこまで戻らずとも、私の若い頃でも職場でのイジメなど普通にありました。 人間でも動物の世界でもイジメはどこにでもあります。 あることをあるとして認めず、綺麗ごとで済まそうとする、あるハズのない世界平和などを口にするのと同じ構造です。

しかし、昔は個人がそれに負けない強さがありました。戦うことを忌避する風潮の中でか日本人が弱くなり、集団でのストレスに耐えられない方が増えてきたのでしょう? ハングリーな時代では気に留めてもらえなかったことが、世の中が豊かになると問題になるのでしょう。 日本人の劣化現象はいたるところで見かけますが、それを言ってももジジイの嘆き話にしかなりませんが、日本の社会自体が弱体化してきているのです。 

こんな怖いことを言う社長の会社に新入社員は近寄って来ないかもしれませんね。。。

落雷を防ぐ確率が99.9%??

2017年06月02日
こんにちは、落雷抑制の松本です。

弊社と同じような落雷抑制型(「落雷抑制」というのは弊社の商標登録済みですが)の避雷針の中に、99.9%の確率で落雷を防ぐという広告をしているものがあり、それでは弊社のPDCE(これも弊社の登録商標です)は、何パーセントの確率で落雷を防ぐのか? という質問を寄せられることがあります。  世の中数字で表現していると「数字に強い」「「数字は客観的なデータだ」と思い込む方が多いのですが、数字の意味、背景を考えねばなりません。

99.9%の確率であるというのは、例えば、999個の白い球と1個の赤い球が箱の中に入っている場合、これを目を閉じ、球の触感も同じとして拾い上げれば、99.9%の確率で白い球を拾い上げるということで、そういう確率の表現は正しいのですが、落雷を防ぐ確率というとそのように単純な話ではありません。 落雷の発生は、その時の場所や条件で異なり、白い球と赤い球の割合が動的に変化しているのが自然の状況であり、起こりうる事象が確定的でない(いうなれば、球の割合が決まっていない)事象を相手に確率など分からないのです。 

過去の例として、例えばある地点を中心に半径5km以内の落雷数は分かりますので、その地域に200発の落雷があった。しかし、対策をした施設には0発であった。 だから、落雷の確率は0%と言えるか?  これは、確率ではなくて、過去の事例として付近に落雷はあったが、該当施設には落雷しなかった、というだけの事で、確率という言葉を持ち出して、将来も常にこの確率で落雷が発生しないかの如く言うのはウソに近い、騙しのセリフです。 数字で表現しているからといって、ヤスヤスと信じてははなりません。

何を根拠に99.9%と言えるのか、いい加減な、ウソのような宣伝をするのは、お客様を騙すばかりか、同様の製品を扱う弊社にとっても迷惑な話です。 弊社は、ある確率で防げるというようなことはお約束しません。 きわめて落雷しにくくなるのは事実ですが、数字でお約束できるようなものではありません。 効果については、感覚的には99.9%以上なのですが、ファッションではないので感覚で広告してはいけないのです。 感覚は排除した事実として、「PDCEを付けても100%は防げず、稀にPDCE自体に落雷することもあります」と書いていますが、これはバカ正直でしょうか?


訪問者数が25万を超えました

2017年06月01日
こんにちは、落雷抑制の松本です。

「継続は力なり」と言いますか「チリも積もれば山となる」と言いますか、ブログを始めてからの通算の訪問者数が25万を超えました。 毎日、好き勝手な事を無責任に書き散らしているだけで申し訳ないのですが、スゴイ時代になったものです。 総閲覧数も84万を超えました。 コストをかけることなく、これだけ自分の意見を自由に表明できる機会が誰にでもあるというのは素晴らしい事です。

この数、ネット社会の中では取るに足りない数で、有名人のブログに比べればゴミのようなものですが、それでも無名の私でさえ、この数を達成したというところが自分で言うのもナンですが、トランプさん並みに自画自賛したくなります。

時に表現があまりにストレートで、読まれた方には不愉快な記述もあることかと思いますが、世の中が右に傾いても左に傾いても、時流に乗っても乗れなくても、自分の思うことを自由に発言できることは必要で、幸せな時代に生かしてもらっていると言えます。

まだまだ、終わりにせずに、脳と指が動くうちは継続したいと思います。 よろしくお願いいたします。


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