3. 日本への導入

3. 日本への導入

POINT

 CTS-Wを開発したのは、石崎氏と茨城テックの塩幡氏

日本への導入と改良

新型避雷針PDCEを発明した Angel氏は世界中の雷関連の会社にPDCEの紹介をメールで行った。知らない人から届くメールに対応する会社などほとんどないが、日本でも雷保護関連製品では有名なS社に勤務していた石崎誠氏は敏感に反応した。石崎氏は、このメールで紹介された製品を自分で確認しようと2005年、部下1名と共にアンドラのAngel氏を訪問した。アンドラは、スペインのバルセロナからピレネー山脈を車で数時間、箱根よりも険しい山道を上った先の小さな山国である。ピレネーの山中には昔、色々な国があったそうだが、ほとんどスペイン領となり残ったのがアンドラという事で、人口は8万人程度、住所にも「教区」という名称が入り宗教色が強く、元首はフランス大統領とスペインの司祭、インフラはフランス側からの供給、軍隊は無く、観光と金融業の国である。

Angel氏は自分が送ったメールに応え、ワザワザ遠いアンドラまで訪問したのは世界中で石崎氏だけという事で、石崎氏を歓待し、S社は日本での販売権を与えられ、日本でのPDCEの販売を開始した。日本と関係を持ったアンヘル氏は、敬虔なクリスチャンで、その後も広島を何回も訪れているとのことである。

アンドラ公国の首都(アンドラ・ラ・ベリャ)
アンドラ公国の首都(アンドラ・ラ・ベリャ)

初期の説明の誤り

日本で新しい製品の販売となると、今までの製品で既得権益のある業界との軋轢も生じる。また、誤解も多く、典型的な誤解としては、

  1. この新型避雷針を設置すれば落雷が発生しない
  2. 落雷が発生しなければ雷電流も流れない
  3. 雷電流が流れなければ、雷電流から機器を護るためのSPDも不要

というもので、SPDを製造販売している会社としては受け入れ難い製品であった。落雷を抑制することを目指してはいるが、自然現象を100%防ぐことは無理で、また、直撃雷を防いだところで誘導雷を防ぐことはできず、SPDが必要なことは変わりないが、「直撃雷がなくなる」という言葉だけが先行し、雷保護業界での評判はかんばしくなかった。

※SPD : Serge Protection Device(サージから機器を保護する保安器)

落雷被害を抑えることについての失望感と改良

この頃、日本での販売が先行していた米国LEC社製のDASは、冬に電荷を空中に放出する針の部分が氷雪で覆われて落下するトラブルが発生し、落雷への対抗策全体に信用が無かった時代であり、石崎氏もPDCEをアンドラから導入したものの、販売は低迷していた。それに追い打ちをかけたのがアンドラで開発されたPDCE-Seniorにトラブルが発生したことであった。このトラブルはごくごく稀にしか発生しないが、上下電極を固定するために、上部電極を支えるボルトと下部電極を支えるボルトがアクリル・ブロックの中で上下交互に隣り合っているが、隣り合うボルトの間で放電が発生し、アクリル部分が溶けてしまうのであった。

石崎氏は、エンジニアの良心として自分が日本に持ち込んだ製品を改良する責任を感じ、それに邁進した。石崎氏の属するS社は、PDCEの販売撤退を決めていた。会社として製品を改良する計画はなく、石崎氏は改良して販売を続けたいという技術者の良心と現実の板挟みになった。これに救いの手を差し伸べたのが古くからの友人である「茨城テック」社長の塩幡氏であった。石崎・塩幡両氏は共に接着技術を開発し、上下電極をアクリル・ブロックにネジで固定するのではなく、上下電極をFRPのパイプで固定する技術を開発し、CTS-Wという名称とした。

CTS-Wは、上下の電極をFRP製の円筒と接着剤で上下電極を固定する方法を考案し、大幅な部品点数の削減と落雷した際の強靭性の確保もさせた。PDCEをキャパシタとしてみた場合、上下電極の間の誘電体に優れた誘電率の絶縁体を用いるのではなく、単に空気としたため、例え放電が発生しても上下電極間の誘電体が壊れることはない。

Senior からCTS-W への改良 (模式図 実際の構造とは異なります。)
      材質がアルミからステンレスに代わり、部品点数も大幅に減少した。
Senior からCTS-W への改良 (模式図 実際の構造とは異なります。)
材質がアルミからステンレスに代わり、部品点数も大幅に減少した。

CTS-Wは、茨城テックにより2008年には完成し、石崎/塩幡両氏は2008年9月、これをフランスのポー大学に持ち込み放電試験を行い、好成績を納めている。しかしながら、会社として販売を停止していた製品を友人とはいえ他社の手を借りて改良を進めるというのは、石崎氏のエンジニアとしての熱意は評価できるが、会社としては好ましからざる事であった。新製品を開発するには、石崎氏のような情熱が必要なのであるが、その情熱を上手く会社として取り入れないのは開発技術者と会社の双方にメリットがない。自信のある技術者は一匹狼的な傾向に陥り易い。会社として、新技術の開発が大事なのは言うまでもないが、組織としての統制も同じく重要であり、今後、先の見えにくい将来需要に対し、会社の技術開発の指針を上手く定める事の重要性がますます重要になる。

PDCE事業からの撤退を決めていたS社からCTS-Wは販売することはなく、開発されてから2年以上、塩漬けになった状態であった。

CTS-W の特許不成立

CTS-Wは部品点数を大きく減らすと共に信頼性を向上させる技術革新であった。 これで開発された CTS-W は、従来のPDCE-Senior の電極がアルミ棒からの削り出しで製造していたものをステンレスのロストワックス法による精密鋳造とした。このCTS-Wは、日本で開発されたオリジナルなもので、 INT社の品揃えにも無く、これを販売するのは世界中で落雷抑制システムズのみであり、INT社のあるアンドラ国の避雷針業者からの購入の引き合いを受けることもあった。

この技術については、S社の石崎氏が塩幡氏と共に考案したが、PDCE-Senior を基に改良したという事でINT社のAngel氏との共同出願で出願された。しかし、出願が公開された時にはS社は販売を中止していたため、審査請求に進むことなく終えた。また、一部、審査に進んだものもあったが、審査請求の途中で拒絶に対応しなかったため、特許が成立することはなく、公開された公知の事実となってしまった。石崎氏とAngel氏としては残念な事であったが、これは石崎氏の落ち度ではなくS社という会社の判断なので仕方ない事であった。

名称が誤解を与えやすい「公開特許公報」

日本での特許制度での問題点は、出願し、18か月後に公開された場合「公開特許公報」の名称で公開される。特許制度をよく理解しないまま直訳すれば「公開」された「特許公報」と理解し、特許が成立しているものと誤解し、「公開特許公報」を得るや特許権を主張する外国人もいる。このような誤解を避けるためには「公開出願公報」のように明確な名称に変え、まだ、特許になっていないことを明確にすべきである。INT社のAngel氏はこの「公開特許公報」をもって日本での特許が確立していると思い込み、後日、INT社を買収した会社が弊社に「公開特許公報」を弊社に持ち込んで特許料の支払いを求めてくるという珍事が発生した。弊社は、特許権として成立していないものへの支払は当然拒絶した。この会社も「公開特許公報」をもって特許が成立したと思い込んでINT社を買収したが、特許は成立していないことを知って慌てていた。しかし、これはその会社の事前調査の不足としか言いようがない。