落雷抑制への挑戦物語

避雷針から避雷球へ

インフラや工場、物流センター、スポーツ施設などの落雷抑制を担い15期目に突入した弊社の挑戦を、代表の松本敏男が連載いたします。

1.はじめに

避雷針は、エジソン生誕の100年近く前に発明された

 避雷針は、今から270年ほど前に発明された非常に歴史ある製品である。避雷針を発明したベンジャミン・フランクリン(1706-1790)は、米国の建国にも関わった政治家であるが、当時、各国で始まった電気の研究もする中で、雷が電気現象であることを確認した発明家でもあった。トーマス・エジソン(1847-1931)が生まれる約100年も前のことで、オイルランプの時代のことである。
 時代背景を説明すると、エジソン誕生の6年後には黒船が日本に来ている。米国が開港を要求してきた目的は、鯨油を取るための捕鯨船に日本で燃料、真水の補給をするためとされている。鯨油は、オイルランプのために必要であった。ちなみにこのころの日本では、菜種油の行灯が夜の明かりに使用されていた。
 電気が使われるようになったのは、トーマス・エジソンが33歳になって設立したエジソン電気照明会社(1880年創立)以降の事であるから、電気が使われる130年以上も前のことであった。電気製品が使用されていなければ、雷電流の影響もさほど大きくはなかった時代であった。

「避雷針」という日本語名称

 「避雷針」で知られるこの発明であるが、日本語では少し大げさな呼び方で、マクロにみると、例えば教会の屋根に取付けると教会の周囲にいる人に雷撃が直撃するよりは、教会の屋根に落雷し、周囲の人には落ち難くなり、周囲の人たちにとっては雷を避ける効果がある「避雷針」となるが、避雷針自体は雷を避けているのではなく、そこに雷を集めるもので、むしろ雷を被る「被雷針」というべきものである。英語では、単にLightning rodあるいは発明したベンジャミン・フランクリン の名前を取って Franklin Rod. あるいは規格などでは、Air termination System と呼ばれている。すなわち、「避雷」という「機能」、「針」という「形状」についての概念は原文には無く、原文に無い概念を日本語にした場合、それは誤訳と言われても仕方ないものである。

落雷を受けるだけでは解決にならない

 その後、エジソンによる電気も単に照明だけでなく利用範囲も広がり、今や動力源としての電気や情報のネットワークの重要性は言うまでもない。社会システムの安定を担っているのは電気設備である。一般のオフィスビルでも入退室の管理から、エレベータでオフィスに行き、そこでの快適な空調、照明、館内放送、仕事にもPCなど電気なしでの生活は考えられない。
 さて、避雷設備は、建築基準法により高さ20m以上の建築物に義務付けられている。しかし、これは建築物を保護するためのものであり、建物内部の電気設備を保護するものではない。電気設備は雷電流のような過激な電流とは相性が悪く、雷電流を積極的に受け入れるオイルランプ時代の産物を未だに何の疑問も無く受け入れることこそ問題なのである。

落雷で受けた被害の例

 ある高齢者施設であるが、2階建てで1階は共用のスペース、お風呂場、調理場、2階は居室で、食事は一人分のトレイをワゴンに収納し、複数人数分を一度にエレバータで2階に運びは配膳している。2階建てであるから高さは20m以下で、建築基準法上は避雷設備の取り付け義務はなく、実際に何の対策もしていなかった。このエレベータ塔に落雷し、火災は免れたものの、エレベータの修理は1週間を要した。この間、一日3度の食事は、階段を利用して一人分ずつ運ばねばならず、それでなくても人手不足であるのに、たった1/2階の垂直移動ができないだけで大きな影響を受けた。また、入浴もエレベータで1回に降りていくのだが、エレベータが使用できなければ車いすを二人で支えて階段を下りるのも危険で、エレバータの修理完了を待たねばならなかった。もし、電気が止まったらとBCPの観点から自分の身の回りの状況を想定してみることは大切である。
 また、電気設備とは無縁の歴史的建築物でも従来型の避雷針を付けていたが為に被害にあったケースもある。ある重要文化財の三重塔は、高さが24mのため避雷針を取付けた。重要文化財ということで火災報知機も付けた。そこに落雷があり、当然、避雷針へ落雷し雷電流を接地へと導いたが、強力な雷電流で燃えだしたのは火災報知機。この重要文化財はボヤで済んだが笑えぬ副作用である。建物の保護目的で何の疑いも無しに、270年前の避雷針が使用され続けている。
 一度、法律で取り付けを規定されると取り付けることだけが形骸化して受け継がれるが、これでよいのであろうか?最近は、千葉県でもトロピカルフルーツが栽培されているそうである。また、以前は「ゲリラ豪雨」と呼ばれていたが、今では「ゲリラ雷雨」とも呼ばれる今までに無かった急激な天気の変化が見られるようになっている。このような変化を見据えた対策が必要ではないだろうか?

-POINT-
1) 避雷針はオイルランプ時代の産物で、積極的に雷を招こうとしている
2) その避雷針を使用した場合、呼び込んだ雷電流による大きな副作用がある
3) 天候不順や平均気温の上昇で雷日数は増加している
4) 我々の生活は雷電流に弱い電子機器に依存する割合が高くなっている
5) 社会が複雑化し、安定稼働の重要性が高まっている



2.落雷への挑戦

NASAで開発されたDAS


地面の電荷を保護したい建物の上空で放出する仕組み
落雷被害を低減するには、「避雷針」のように雷を落とすのではなく、落とさない方向でと考えるのは自然な事である。落雷を特定の場所に誘導する試みは、現在もロケット、レーザ光などを用いて行われているが、学術的な実験であり実用化には課題が多い。
各国の挑戦を見てみよう。
米国NASAがアポロ計画でのサターン・ロケットを発射台へ直立させている時の高さは110mを超え、発射基地のある米国フロリダの夏場では、落雷によりしばしば発射が順延されていた。そこで、発射のスケジュール変更を防ぐため、落雷防止が研究されることになった。月に行くために地球上での落雷被害を解決することが必要であったのである。
解決策として生み出されたのが、DAS(Dissipation Array System)である。原理的には地面の電荷を保護したい建物の上空で放出し、そこと雷雲の間で放電すれば建物自体には放電が及ばないとする考えである。

日本での導入期間は約40年間
アポロ計画の終了と共にその研究員であった Roy Carpenter がNASAを退職してLEC(Lightning Eliminators & Consultants)という会社を設立し、DASの販売を開始した。 
アポロ計画で使用された実績の影響力は大きく、NASAを始めとし全米で広く使用されていたとのことである。日本では、某大メーカが販売店となり、自社のシステムとセットで数百台が販売された。ただ、日本には冬季雷という世界でも稀な雷があるために北国ではトラブルが発生。また、大地の電荷を集めるために側面に穴の開いた銅パイプを地中に埋め、ここに大量の岩塩を毎年補給していたが、近年は環境意識の高まりを受け、土壌汚染などの嫌疑をかけられた。前述の日本メーカも今では国内の販売活動から撤退し、東南アジアでのみ継続されている。

雨風の中、プラス電荷が真っすぐに上昇する?
このDASであるが、雷雨という雨風の中で地面からのプラス電荷がそのまま空中を真っすぐに上昇するというのは考え難いことである。DASシステムは、空中で放電するための針が多数配列された針山のような構造か、有刺鉄線のように針が一列に並んだ線を屋根の淵に取付けたりしているが、これは今や歴史的な産物で、この10年で見れば新規に取付けられたものはほとんどない。次の3点の写真は、弊社のPDCEに交換する工事の際に撮影された鉄塔と柱に取付けられた放電針である。これは地上からのお迎え放電*を大量に放出することになるので、この針の先端への落雷痕は多数見られる。
*【お迎え放電】
雲の底から地面に向かって出ている「先行放電(ステップトリーダー)」を引き寄せるために避雷針から出す放電のこと。雷は一方的に地面に向かって落ちることはなく、地面側から引き寄せるもの(放電)があって落ちる。避雷針に雷が落ちやすいのは、避雷針の先から放電しているためである。

全米で広く使用されたDAS

地上からのお迎え放電を大量に放出する放電針

放電針をPDCEに交換

製品の説明では、この針の先から地面からのプラス電荷が飛び出すとのことだが、飛び出したところで、強い風雨の中、建物の上空にまでの昇り、それが保護すべき建物の上にとどまるなどと都合の良いようになるのかは大きな疑問である。これはいわば、単なる通常避雷針の集合体であり、お迎え放電の出どころが多い分、落雷の捕捉率は向上するであろうが、それでは落雷を受け易くなるということであり落雷を防ぐことにはならない。
かのNASAが、そのような初歩的な誤りをするハズもないと思われるが、落雷についての奥の深さを物語っている。

DASの発明者も、欧州での販売は断念
 落雷を抑制すると謳う装置には、上空から電荷を集めるといった説明が多い。それは机上の理論であり、想像に欠けているのが現場での強い雨風の状況である。電荷は電荷単独で存在するのではなく、雨粒や空気中で大きさも質量もあるエアロゾルに帯電したもので、周囲の状況に影響を受け、叩きつける大雨の中を電荷が勝手に動きまわる説明は納得しがたいモノがある。半導体の内部のホールとは訳が違う。

次の写真は、DASの発明者であるRoy Carpenter氏とPDCEの発明者Angel Rodriguez氏がパリで会った時の写真である。Angel氏によるとRoy Carpenter氏はDASシステムを欧州に広めようとフランスに来たが、欧州でのPDCEを始めとする落雷対策の多さに進出を断念したとのことである。

Angel Rodriguez氏(左) とDAS の発明者 Roy Carpenter氏 (右)Angel Rodriguez氏(左) と
DAS の発明者 Roy Carpenter氏 (右)


欧州での動き

「お迎え放電」を早い段階から放出するESE
一方、欧州に於いても避雷針の研究は盛んで、地面の電荷を表面積の大きな球体に蓄えておいてお迎え放電を一気に流すことで落雷の捕捉率を高めたESE(Early Streamer Emission)と呼ばれる避雷針がある。これは名称の如く「お迎え放電」を早い段階から放出することで、捕捉率を高めようという狙いである。通常の避雷針に比べると、より高い位置に設置したのと同じ効果を発揮し、設置位置が高ければ地面での保護範囲も広くなるということで、欧州では広く使用されている。
その他、空気を電離して雷電流を流れ易くするために放射性同位元素を用いたものなども開発されたが、落雷を受ける度に放射性物質が空気中で飛散するため使用禁止になっている。

落雷の多いアンドラ公国で、PDCEが開発された
ピレネー山脈の麓にあるアンドラ公国では、INT社のAngel Rodrigues氏も落雷被害を低減したいとの思いで各種の避雷針を開発し、これをPDCEとの名称で販売していた。半球状の電極を上下に対向させた新型の避雷であり、これを世界に紹介した。
弊社もINT社の販売店の一つとしてPDCEの販売を2010年より開始する。PDCE (Pararayos Desionized Charge Electro Statica) 。このスペイン語を直訳すると静電気(Electro-Statica)の電荷(Charge)をイオンを消す(Desionized) Pararayos(避雷針)という事で、「消イオン型避雷針」と日本語名称を付けたが、この名称自体が怪しいので使うのは止め、単に「落雷抑制型避雷針」と呼ぶことにした。

さて、この「落雷抑制型避雷針」がどのように発展してきたかについて、記録を残していきたいと思う。

-POINT-
世界では、落雷事故を克服する挑戦が果敢に行われている。 
日本では270年前に発明された避雷針だけに凝り固まった考えで良いのであろうか?


3. 日本への導入

NASAで開発されたDAS

日本への導入と改良
新型避雷針PDCEを発明した Angel氏は世界中の雷関連の会社にPDCEの紹介をメールで行った。知らない人から届くメールに対応する会社などほとんどないが、日本でも雷保護関連製品では有名なS社に勤務していた石崎誠氏は敏感に反応した。石崎氏は、このメールで紹介された製品を自分で確認しようと2005年、部下1名と共にアンドラのAngel氏を訪問した。アンドラは、スペインのバルセロナからピレネー山脈を車で数時間、箱根よりも険しい山道を上った先の小さな山国である。ピレネーの山中には昔、色々な国があったそうだが、ほとんどスペイン領となり残ったのがアンドラという事で、人口は8万人程度、住所にも「教区」という名称が入り宗教色が強く、元首はフランス大統領とスペインの司祭、インフラはフランス側からの供給、軍隊は無く、観光と金融業の国である。

Angel氏は自分が送ったメールに応え、ワザワザ遠いアンドラまで訪問したのは世界中で石崎氏だけという事で、石崎氏を歓待し、S社は日本での販売権を与えられ、日本でのPDCEの販売を開始した。日本と関係を持ったアンヘル氏は、敬虔なクリスチャンで、その後も広島を何回も訪れているとのことである。

画像


アンドラ公国の首都(アンドラ・ラ・ベリャ) 

初期の説明の誤り
日本で新しい製品の販売となると、今までの製品で既得権益のある業界との軋轢も生じる。また、誤解も多く、典型的な誤解としては、
1. この新型避雷針を設置すれば落雷が発生しない
2. 落雷が発生しなければ雷電流も流れない
3. 雷電流が流れなければ、雷電流から機器を護るためのSPDも不要
というもので、SPDを製造販売している会社としては受け入れ難い製品であった。落雷を抑制することを目指してはいるが、自然現象を100%防ぐことは無理で、また、直撃雷を防いだところで誘導雷を防ぐことはできず、SPDが必要なことは変わりないが、「直撃雷がなくなる」という言葉だけが先行し、雷保護業界での評判はかんばしくなかった。

注:SPD : Serge Protection Device(サージから機器を保護する保安器)

落雷被害を抑えることについての失望感と改良
この頃、日本での販売が先行していた米国LEC社製のDASは、冬に電荷を空中に放出する針の部分が氷雪で覆われて落下するトラブルが発生し、落雷への対抗策全体に信用が無かった時代であり、石崎氏もPDCEをアンドラから導入したものの、販売は低迷していた。それに追い打ちをかけたのがアンドラで開発されたPDCE-Seniorにトラブルが発生したことであった。このトラブルはごくごく稀にしか発生しないが、上下電極を固定するために、上部電極を支えるボルトと下部電極を支えるボルトがアクリル・ブロックの中で上下交互に隣り合っているが、隣り合うボルトの間で放電が発生し、アクリル部分が溶けてしまうのであった。

石崎氏は、エンジニアの良心として自分が日本に持ち込んだ製品を改良する責任を感じ、それに邁進した。石崎氏の属するS社は、PDCEの販売撤退を決めていた。会社として製品を改良する計画はなく、石崎氏は改良して販売を続けたいという技術者の良心と現実の板挟みになった。これに救いの手を差し伸べたのが古くからの友人である「茨城テック」社長の塩幡氏であった。石崎・塩幡両氏は共に接着技術を開発し、上下電極をアクリル・ブロックにネジで固定するのではなく、上下電極をFRPのパイプで固定する技術を開発し、CTS-Wという名称とした。

CTS-Wは、上下の電極をFRP製の円筒と接着剤で上下電極を固定する方法を考案し、大幅な部品点数の削減と落雷した際の強靭性の確保もさせた。PDCEをキャパシタとしてみた場合、上下電極の間の誘電体に優れた誘電率の絶縁体を用いるのではなく、単に空気としたため、例え放電が発生しても上下電極間の誘電体が壊れることはない。

(上図) Senior からCTS-W への改良 (模式図 実際の構造とは異なります。)
      材質がアルミからステンレスに代わり、部品点数も大幅に減少した。


CTS-Wは、茨城テックにより2008年には完成し、石崎/塩幡両氏は2008年9月、これをフランスのポー大学に持ち込み放電試験を行い、好成績を納めている。しかしながら、会社として販売を停止していた製品を友人とはいえ他社の手を借りて改良を進めるというのは、石崎氏のエンジニアとしての熱意は評価できるが、会社としては好ましからざる事であった。新製品を開発するには、石崎氏のような情熱が必要なのであるが、その情熱を上手く会社として取り入れないのは開発技術者と会社の双方にメリットがない。自信のある技術者は一匹狼的な傾向に陥り易い。会社として、新技術の開発が大事なのは言うまでもないが、組織としての統制も同じく重要であり、今後、先の見えにくい将来需要に対し、会社の技術開発の指針を上手く定める事の重要性がますます重要になる。

PDCE事業からの撤退を決めていたS社からCTS-Wは販売することはなく、開発されてから2年以上、塩漬けになった状態であった。


CTS-W の特許不成立
CTS-Wは部品点数を大きく減らすと共に信頼性を向上させる技術革新であった。 これで開発された CTS-W は、従来のPDCE-Senior の電極がアルミ棒からの削り出しで製造していたものをステンレスのロストワックス法による精密鋳造とした。このCTS-Wは、日本で開発されたオリジナルなもので、 INT社の品揃えにも無く、これを販売するのは世界中で落雷抑制システムズのみであり、INT社のあるアンドラ国の避雷針業者からの購入の引き合いを受けることもあった。

この技術については、S社の石崎氏が塩幡氏と共に考案したが、PDCE-Senior を基に改良したという事でINT社のAngel氏との共同出願で出願された。しかし、出願が公開された時にはS社は販売を中止していたため、審査請求に進むことなく終えた。また、一部、審査に進んだものもあったが、審査請求の途中で拒絶に対応しなかったため、特許が成立することはなく、公開された公知の事実となってしまった。石崎氏とAngel氏としては残念な事であったが、これは石崎氏の落ち度ではなくS社という会社の判断なので仕方ない事であった。


名称が誤解を与えやすい「公開特許公報」
日本での特許制度での問題点は、出願し、18か月後に公開された場合「公開特許公報」の名称で公開される。特許制度をよく理解しないまま直訳すれば「公開」された「特許公報」と理解し、特許が成立しているものと誤解し、「公開特許公報」を得るや特許権を主張する外国人もいる。このような誤解を避けるためには「公開出願公報」のように明確な名称に変え、まだ、特許になっていないことを明確にすべきである。INT社のAngel氏はこの「公開特許公報」をもって日本での特許が確立していると思い込み、後日、INT社を買収した会社が弊社に「公開特許公報」を弊社に持ち込んで特許料の支払いを求めてくるという珍事が発生した。弊社は、特許権として成立していないものへの支払は当然拒絶した。この会社も「公開特許公報」をもって特許が成立したと思い込んでINT社を買収したが、特許は成立していないことを知って慌てていた。しかし、これはその会社の事前調査の不足としか言いようがない。

-POINT-
 CTS-Wを開発したのは、石崎氏と茨城テックの塩幡氏


4.株式会社落雷抑制システムズの発足

落雷抑制システムズを起業
松本は、1995年まで日本アイ・ビー・エム社で情報配線関連の仕事に関わっていた。この情報配線に使用する部品はスイスのR&M社からのOEM製品であったため、その後、R&M社の日本進出の際に乞われてR&M社の日本支社長となった。R&M社は、スイスに本社を置くコネクタの専業メーカであり、欧州市場が主で、コネクタやパッチコ-ド、光配線のためのコネクタ、電話配線のための端子盤などをOEM製品としてIBM社に供給していた。日本においては、電話系の部材は前述のS社を販売代理店としていた。

当時の通信配線の状況
当時、日本では各家庭にまで光ファイバーを引くFTTH( Fiber To The Home )が世界の中でも最先端で導入が進められていた。そころが、欧州ではメタル線(銅線)による固定電話が中心で、特に東欧圏ではペレストロイカによるソ連崩壊前は、軍事最優先であったため、ソ連国内のみならずその周辺の東欧圏まで民間の電話網は非常に遅れた状態であった。ソ連崩壊となった後、民間のインフラ整備に力が入り始めたが配線の中心はメタル線であった。メタル線の場合、電話局舎内での配線を保守する仕事では、外の様子は分からず、メタル繊には雷電流が流れることもあり、数キロメートル先でも雷雨が発生していれば危険な作業なので、メタルの電話端子盤にも落電流対策が施されていて、これが松本の落雷対策との出会いとなった。

石崎氏・塩幡氏との出会い
電話用の落雷対策部品を扱う関係でS社との付き合いが始まり、石崎氏や塩幡氏とも巡り合うこととなった。S社の石崎氏は、自分がアンドラから持ち込んだ製品の欠点を補う新型の避雷針の改良を完成させていたが、S社がこのビジネスを拡げないことで辛い立場であった。松本は、それを知って日本での販売計画がない事をもったいなく思い、R&M社を退職し、2010年に新型避雷針を開発、販売する(株)落雷抑制システムズを起業した。当時はS社で技術部長であった石崎氏も、技術顧問として加わった。

日本での生産
(株)落雷抑制システムズは、2010年にINT社の販売店となり、当初は完成品の輸入販売、のちに部品を輸入していたが、2011年に塩幡氏が起業した(株)落雷抑制プロダクツで組立てるようになる。これにより、(株)落雷抑制システムズが販売する新型避雷針は、全て日本製となった。
日本で輸入したPDCE-Senior 用の部材は約200台分であった。販売店といえば、通常は完成品を輸入販売するだけであろうが、日本の場合にはMagnum の開発を行った実力をINT社が認め、単なる完成品の輸入販売のみならず日本国内に於ける組み立ても行っていた。その当時の組立手順書の最初の部分だけを示す。この手順書は、INT社による監修の下に作られ、日本で国内生産をしていた時に用いられた。日本で作られたことが無いなどと主張も存在するが、それはPDCE-Seniorの生産に関わった事のある者による主張ではなく、全く誤りである。このPDCE-Seniorの生産は 既に終了している。

PDCE-S組立手順書1
PDCE-Senior の組立手順書
PDCE-S組立手順書

接着技術
また、石崎/塩幡両氏は上下の電極をFRP管で接着し、電気的に絶縁しつつ、機械的に固定する技術を確立していたので、Seniorの国内組立の次は、新機種 Junior 、Baby の開発にも接着技術を用いた。INT社もSenior の改良として Junior 、Baby という2機種を開発したが、これには側面放電防止の工夫が何もなく、日本で発生した側面放電とそれを防止する技術ついては何の配慮もなかったため、日本では独自の Junior、Baby を開発した。改良されたのがPDCE内部側面で発生する側面放電の防止技術である。

放電発生しやすさは、電極間の距離が重要な要素になり、例えば電線を保持する碍子に於いても放電しないように耐圧を高めるためには、2極間の距離を稼ぐ工夫がされている。その他、材質もINT社がアルミニウムなのに対し、日本ではステンレスとし、内部放電防止板の他、溝にFRP管を彫り込んで入れて接着力を高めるなどの工夫をしている。

INT社製の構造
図1
画PDCE-Juniorの構造
図2

図1のINT社の原案では、上下電極の中心部の距離よりも、側面での距離が短く、上下電極間で放電があれば、側面で放電が発生してしまう。また、部品点数を減らすために雨カバーを兼ねた塩ビ樹脂で上下電極を固定している。この構造で内部圧力をどれだけ受け止めることができるか不安なため、日本では、図2の様に上下電極の固定には、FRP管が入り込む溝を作り、かつ中心部に穴の開いたドーナツ型の円板で上下電極の中心部を対向させて側面での放電を防いでいる。外からは同じように見えるが中身が外国製と日本製では大きく異なる。

この接着技術は、日本の接着剤メーカの協力の下に行われた。のちに開発する高温型で用いるセラミック素材といい、高温型のセラミック用接着剤といい、日本に於いては地場産業による周辺技術が進んでいるので新しい製品の開発においては諸外国に比べればまだまだ日本の底力の一つである。日本では、お客様の要求に応えて、INT時代の1機種から既に18種類の製品を開発しているが、同様製品の扱う外国メーカの製品数と弊社の製品数を比較すればその違いは明らかである。これも日本の底力のおかげの一つである。


HT300の開発
Magnum、Junior, Baby の次に開発されたのは高温対策を施した HT300、HT500 である。HTとは High Temperature のことで、高温を意味し、群馬県のある清掃工場で焼却炉の煙突に落雷事故があり、電気系統が破壊されてしまった。すると、
① 焼却炉は、プラゴミなど燃焼すると発熱量が高く、焼却炉を水冷している。水冷のための冷却ポンプが停電で使えないとゴミも燃やせない
② 排気ガスは、電気集塵機に通し、場合によっては尿素水噴射まで行って煙を浄化しているが、電気が使えないと機能しない
③ ゴミ取集車が町中から集めてくると、その重量を測定しているが、電気が無いとこれも機能しない

など、電気は多くの場面で必須の存在であり、電気設備を守ることは、社会インフラを安定稼働させるうえで非常に重要である。この要求に応えるため高温用のモデルの開発を進めた。上下電極を支えるFRPのパイプを耐熱性の高いセラミックにするのであるが、セラミックというのは種類が多く、ステンレスの鋳物と熱膨張率の値が近く、セラミックとステンレスで同じように熱により伸び縮みが発生すれば理想的なのであるが、その組み合わせにどれが適切か、そして接着剤は何が適しているかなどを模型のサンプルを作り、電気炉で熱した後、氷水に浸して急冷し、そのサイクルを数十回繰り返した後、破壊試験で強度を測定するという地道な事件を1年以上繰り返して、最適の組み合わせを見つけた。その後、接着剤を使用することなく篏合(カンゴウ)で固定する構造に改良し、特許も取得した。この高熱用製品は、ごみの焼却工場のみならず、発電所の煙突、化学工場の煙突など高熱対策の必要な場所で活躍している。

-POINT-
1)接着技術を開発したのは、石崎氏と塩畑氏
2) Seniorは、(株)落雷抑制プロダクツで生産されていた。
3) Magnumを生産しているのは、世界で(株)落雷抑制プロダクツのみ
4) Magnum は、(株)落雷抑制システムズの発足と共に発売
5) 外国製品とは、外形が似ているが内部構造が異なる
6) 内部放電防止機構は(株)落雷抑制システムズと(株)落雷抑制プロダクツの特許
7) HT500は、最高温対策(500℃)を施した製品は篏合構造で接着剤を用いていない
8) 高温型は、発電所、焼却工場、化学工場などの高温排気ガスの出る場所で多数使用されている

      次回「5.  株式会社 落雷抑制プロダクツ」は7月22日(月)に掲載します。